One Thousand Words
※乖離進行
千の言葉を集めてみても。
万の祈りを捧げてみても。
この願いは、決して叶いはしないのだろう。
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アラミス湧水洞での再会以来、たまに行われていたルークの診察は、レムの塔での障気中和からは二人の日課となっていた。
誰にも知られたくない、という彼の希望を満たす為、ここ暫く宿の部屋割りはジェイドと同室になっている。今夜もまた、同様に診察は行われていた。
指先に感じる鼓動が、確かな生をジェイドに伝える。
「……変わりはないようですね」
「そっか。ありがとう」
診察に使った道具を片しながら告げると、ルークの顔に複雑な笑みが浮かんだ。
まだ生きていられる事に対する安堵と、いつ消えるとも知れない不安をない混ぜにした、泣き顔にも見える微笑。
年不相応なそれを目にした途端、ジェイドの胸に鉛を飲み込んだような重苦しい感覚が襲い掛かった。
こんな顔など、させたくないのに。
ジェイドは気取られぬ程度に小さな息を吐くと、ルークの頭を軽く撫でた。
「もう夜も遅い。明日も寝坊するのでしょうけど、一応さっさと寝なさい」
「ぐ……。さ、最近のは俺だけの所為じゃねぇだろうが!」
「おや、では何が原因だと?」
頭に置いた手を頬に滑らせ、顔を覗き込む。おどけた調子で切り返すとルークの顔が朱に染まった。
実年齢は年端も行かぬ子供に手を出し、睡眠不足の原因を作っているのはジェイド自身だ。
自制が出来ない程若いつもりは無いが、思っていた以上に年寄りでも無かったらしい。宿に連泊出来る時などは、高確率で事に及んでいた。
出会ったばかりの時は、好意など抱ける筈がないと考えていたのに。いつしか、この子供は凍えて固まっていた大人の心を溶かしていた。
叶わぬ願いを、抱かせる程に。
頬に添えていた手を、再度頭に戻した。少し固い髪が、指に滑る感触が心地好い。
「兎に角、今日は寝なさい。まぁ、希望とあれば手ずから寝付かせるのも吝かではありませんよ」
「寝る!直ぐ寝るから!」
何をされると思ったのか、ルークは千切れそうな程に首を振りながらジェイドから離れた。宛てがわられたベッドに潜り込み、しっかりとシーツを握り締める様が目に入る。
知らず漏れた笑いに、シーツの塊が揺れたが気にしない事にした。子供の反応は楽しいが、今夜は休ませる方が重要だ。
検査結果を纏める為、備え付けの机に向かっている内に微かな寝息がジェイドの耳に届いた。
一定のリズムで聞こえる音は、今は彼が悪夢の中に居ない事を物語っている。
朝まで保てば良いが、と思ったのも束の間。ルークの息は段々と荒さを増していった。
ベッドに近付き、閉じた目蓋から溢れる涙を指で掬う。
「……何故、貴方ばかりが責められなくてはいけないんでしょうね」
閉ざされた箱庭が全てだった小鳥は、徐々に世界を知った。
広がる大地と海。何処までも続く空。
其処に生きる、全ての生命。
世界を知り、世界を愛した為に、彼は世界に殺される。
彼に罪が無いとは言わない。だが、最も罰せられるべきは己である筈だ。
「それとも、これが罰だとでも?」
罪業から生まれた愛し子すら救えない現実。確立させた理論は、避けられない別ればかりを強調する。
だが、それでも諦める事は出来なかった。
未だ流れる涙に触れながら、ジェイドは、ただ彼が消えない事を願ったのだった。
終
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