Scent
※シンジャとモルジアナ


  雨のにおいが好きだと気付いたのは、この国───シンドリアに身を寄せるようになってからだった。
 今まで、戦闘奴隷として生きてきたモルジアナにとって雨は恵みをもたらすと同時に、他の匂いを紛らわせ判別しにくくなるという不便なものだった。
 全く判らなくなる訳ではないが、普段よりも近い距離でないと個々を判別出来なくなってしまうのだ。
 だが、奴隷身分から解放され、今や食客として扱われている身、しかもシンドリア王宮内に在ってはそこまでの危惧を抱く必要はない。
 雨のにおいと、無意識に緩んでしまっていた感覚の所為だろうか。
 廊下の角を曲がろうとしたその時、死角から現れた影にモルジアナは気付くのが一瞬遅れてしまった。

「……っ!」
「だ、大丈夫ですか!?」

 ぶつかる寸前で足を止め、どうにか激突を免れる。相手も避けるために動いたのか、視線を向けると、彼は角から一歩引いた場所に立っていた。
「ジャーファルさん」
「モルジアナ。怪我は?」
「……ありません」

 ぶつかってもいないのだから、怪我などしようもないのだが、ジャーファルはモルジアナやアリババ、アラジンなどのあからさまな年下には甘い態度を惜しげもなく見せる。何もない旨を告げると、ジャーファルは、ほっとした柔らかな笑みを浮かべた。
 執務室か書庫にでも向かう途中だったのか、持っていた書簡を抱え直すジャーファルを見て、モルジアナはふと疑問を抱いた。
 幾ら雨に紛れていたとはいえ、こんなに近くに居るのに、彼の匂いや存在に気付かなかったのはおかしい。気配を断つ事に長けた、同じファナリスのマスルールでさえ、ここまで完璧に判らないという事は今までに一度もなかったのだ。

「モルジアナ?」

 訝る空気を感じたのか、ジャーファルはモルジアナに視線を合わせると窺うようにその名を呼んだ。

「……あなたには……」
「?」
「あなたには、匂いがありません」

 唐突に告げられた言葉に、ジャーファルの顔に浮かんだのは苦笑だった。




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