出立前日、シンドリアにて
※シンドバットとジャーファル


 太陽が中天を過ぎ、陰りを見せ始めた時刻。王宮の庭園を抜ける回廊を、ジャーファルは手にした書簡に目を落としながら歩いていた。
「見落としはない、な」
 未決裁の事案がない事を確認し、安堵の息を漏らす。明日からは、一方的な打ち切りを受けた貿易の再開を求める為バルバッドに赴く主に従じ、この国を空けてしまうのだ。数日の事とはいえ、重要な仕事を中途にはしておけない。
 書簡から顔を上げ、庭園に目を向ける。そこには、白い小さな花が大量に咲き誇っていた。
 低木に咲くその花は、バルバッドの先王に贈られたものだった。元々痩せた土地であるシンドリアは、自生の植物は少ない。王宮内にある植物は、大半が他国からの贈り物で占められていた。
 この花の故郷に行くんだな、と考えた刹那、花とは違う甘い香りがジャーファルの鼻を掠めた。
「……まさか……」 
 嗅ぎ慣れた匂いに、嫌な予感が胸を過ぎる。
 バルバッドへの出立は早朝に行なわれる為、体調を考慮し本日の政務は早目に終われるように時間調整はしていた。終わっているのだから、予想する人物が庭園を散策していたところで何ら問題は無い。
 問題は、この匂いが酒のものだという事だった。
「シン!貴方は何をしているんですか!」
 声を荒げ、匂いの元へと歩を進める。爛漫と咲く花を抜けた先、ひっそりと建つ東屋の長椅子の上に、ジャーファルは思い描いていた人物を見付けた。
 簡易な衣装に身を包み、紫紺の髪を背に流し眠る様は、到底この国の最大権力者には見えない。豪奢に暮らすことに愉悦を覚えない王は、拝謁を求める者が居ない日などは、このような格好で過ごすのが日常だった。
 常に身に付けている、ジンが宿る7つの金属器を除いて。
「シン。……シン、起きて下さい」
 床に転がる空き瓶を避け主の傍らに近付く。頭の近くに膝を着き、声を掛けるが一向に起きる気配は無かった。何度も名を呼び、肩を揺らせても硬く閉ざされた目蓋は持ち上がらない。自力で起こす事を諦めてマスルールに寝室まで運んでもらおうかと思い立ち上がった矢先。
「あ」
「が!!」
 抱えていた書簡が腕を滑り、丁度真下にあったシンドバッドの顔面に落下したのだった。
 幾ら酒で熟睡していたとはいえ、顔面に衝撃があれば大半の人間は目を覚ます。
「す、すみません!!」
 ジャーファルは慌てて書簡を拾い、謝罪を口にした。対するシンドバッドが、ひらりと手を振り気にしていない旨を示す。
 シンドバッドは起き上がり、長椅子に座り直すとジャーファルにも座るよう、自らの隣を軽く叩いた。どうやら自室に戻る気は無く、もう暫らくは此処に居るつもりらしい。
「此処じゃなく自室で呑んで下さいよ。出立は明日なのに、風邪でも引いたらどうするんですか」
 本来なら、前日に深酒をする事自体を控えて欲しいのだけど、と胸中で呟く。会談相手が旧知の仲と言え、酒の匂いを残していたり、ましてや二日酔いなどの醜態を晒す訳にはいかないのだ。
「流石にそんなヘマはしないさ。……ただ、帰る頃にはこの花が散っているからな」
「え?」
 今年の花は見納めだ、と小さく嘯く。
 シンドバッドの視線を追い、咲き誇る白に目を向ける。現在が最盛期である花々は、一月も経てば全て散り去ってしまうだろうが、ジャーファルにはたかだか数日で散るとは到底思えなかった。
 しかも、歓待される訪問ではない。会談が長引いたとしても、十数日中には帰れる筈だ。
 ジャーファルが疑問を投げ掛けると、シンドバッドは花から目線を上げ、真直ぐに前を見据えた。その先、海の向こうにはバルバッド王国がある。
「何かが―――嵐のような何かが、起きる気がするんだ。まぁ、勘だけどな」
「……嵐、の……」
 今のバルバッド国は政治不満が高まり続け、反政府組織が台頭し始めるまでに混乱が起きている。
 それが、この時期に訪問するシンドリア国王に何を齎すのか。
 この時のジャーファルには、まさか反賊に協力することになるとは、夢にも思っていなかったのだった。




- - - - - - - - - -
無配SSだったもの。
×
「#甘甘」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -