- ナノ -

01

「またそれ買うの?」

早朝のコンビニ
お目当てのラムネはお菓子の棚の一番下に並んでいる。

いつものようにしゃがんでプラスチックの容器が並ぶ箱から一つを手に取ると背後からそう声をかけられる。
そのまま振り返ると、ジャージ姿の彼が立っていた。

「おはよう、角名りんりん」

私がそう呼ぶと、いつもは表情を崩さない彼は不愉快、と言いたげな表情を浮かべる。

「その呼び方やめろよ」
「かわえぇやん」
「かわいいなんて言われて喜ぶ男いねぇから」
「でもれんれんは嫌がれへんで?」
「それは諦めてんだよ。ていうか大耳さん巻き込むのやめて」
「朝から注文多いなぁ」
「名前さんが言わせてんだからね?」

レジで会計を済ませ、コンビニ袋をガサガサさせながら静かな道を二人で並んで歩く。

「りんりん、毎朝早いなぁ。朝強そうに見えへんのに」
「それ言うなら名前さんもだろ?いつもだるそうにしてんのに学校来んのは早いとか意味わかんねぇ」
「朝早よ来なあかんから日中ダルいねんで?」

コンビニ袋からラムネを取り出して、蓋の部分のフィルムをぺりぺりと剥く。
蓋を外してプラスチックの容器からラムネを2、3粒手のひらに出して口に運んだ。

甘酸っぱいラムネが口の中でゆるゆると溶けていく。

「りんりんも食べる?」
「いらねぇし、りんりんやめろ」
「ほななんて呼んだら満足やねん」
「普通に倫太郎でいいじゃん。大耳さんたちもそう呼んでんだし……」
「じゃあ、角名」
「……まあ、いいよそれで」

学校へ着くと、角名はじゃ、と言って運動部の部室棟へ歩いていった。

私はそのまま下足室で靴を履き替え、部室を目指す。

文化部の部室は旧校舎の使用していない教室が割り当てられている。
「書道部」
躍動感溢れる文字で書かれた木の看板。
部屋の鍵を開け、私は中に入る。

朝日の射し込む部屋で深呼吸をし、墨を磨る。

しょりしょりしょりしょり

部屋に静かに響く音と墨の匂い。
本能で書きたいと思う言葉を呼び覚ます儀式。

今日は、何を書こうか。

私の朝はそうして始まる。



教室で1限目の授業の準備をしていると、朝練を終えた練が教室に入ってきた。

「おはよう、練」
「おはようさん。なんや、お前がれんれん言わんの珍しな」

私の隣の席に練が座る。
かばんの中から教科書やペンケースを取り出す練を眺めながら、私は話を続ける。

「あんたんところの後輩に大耳さん巻き込むな言うて怒られたわ」
「また倫太郎と一緒に来たんか?」
「コンビニで会うたからそのまま学校まで来た」
「名前と同じ時間て……あいつ今朝もえらい早よから来てたんやなぁ」
「それでも北くんには勝たれへんらしいで」
「信介はさらに早いもんな」

大耳練は私の幼馴染だ。

母親同士が仲が良く、首も座らぬうちからお互いの家を行き来している。
私達が付き合っていると勘違いしている人は多い。
でも実際は、私達の間に恋愛感情などは皆無で、限りなく兄妹に近い他人というのが共通認識となっている。

昼休み、いつものように角名が練のところへ来る。

「大耳さん、これありがとうございました」

角名は練から借りたメンタルトレーニングの本を返している。
そのまま練の前の席に座り、本の内容について二人で話していた。
角名は練の前では聞き分けの良い後輩の顔をする。

カラカラ

ラムネの容器を振って中身を出す。
練がこちらへ手を差し出すので黙って練の大きな手の中にラムネを出した。

「角名もいる?」

そう声をかけると少し眉をひそめていりませんといって断った。

「大耳」

教室の扉を開けて北くんが練を呼ぶ。

「おう。ちょっと行ってくるわ」

練がいなくなったので、角名と二人になった。

「角名は、ラムネ嫌いなん?」
「好きでも嫌いでもないよ」

角名は私と二人になると敬語が抜けがちになる。

「今は、食べたくない気分?」
「そんな感じ」
「ふぅん」
「……ねぇ」
「なに?角名」
「やっぱり名前で呼んでよ」
「え?りんりんて?」
「そっちじゃなくて」
「我儘やなぁ」



翌朝、またコンビニで角名に会う。
ふたりで並んで歩きながら、

「今日は、倫太郎ラムネ食べる?」

と聞いてみた。
角名は、ちょっと嬉しそうな顔をしながらいらないと言った。

「名前さんはさ、毎日こんな早く来て何してんの?」
「今さらそれ聞く?」

私は少し笑ってしまう。
角名は私が答えるのを待っている。

「部室で墨磨ってる」
「墨ってあの?」
「墨磨ってると書きたい言葉の輪郭がはっきりしてくる」
「へぇ。昨日は何書いたの?」

隣を歩く角名の顔を見上げて私は答える。

「りんりん」

角名は私がふざけてそう言ったと思ったのか、

「……ホントはなんて書いたの?」

と、聞いてきた。
私はポケットからスマホを取り出して昨日書いた文字を角名に見せる。

「………本当に書いたんだ」

スマホの画面には

"倫倫"

と書いた白い半紙が表示されている。

「わたし、"倫" て字、好きやわ」
カラカラ
容器を振って取り出したラムネを食べる。

「俺のことは?」
「ん?どうやろ」

角名がふいに私の腕を掴んで立ち止まらせる。
見上げると、いつもと変わらない表情の角名が私を見つめる。

「俺は名前さんのこと好きだよ」

そんなん、あんた見てたらわかるわ
それは口に出さずに一言だけ

「知ってる」

私はそっけなくそう答えてまた歩き始めた。
角名も私の後ろを歩き始めた。

「ねぇ、俺にもラムネちょうだい」

角名にしては珍しく、そんな事を言うのでまた立ち止まって振り返りながら

「ええよ」

私は答えた。

そっと差し出された角名の大きな手の平へラムネの容器を持っていくと、ぐいっと手首をつかまれた。

ラムネは蓋が外れたままなので中身がばらばらとこぼれる。
黒いアスファルトの上に落ちた白いラムネが水玉模様のようだ。

角名はラムネの行方を見つめる私の顎を片手ですくい上げて 噛み付くようにキスをした。

半開きの私の唇から舌を滑り込ませ、私の舌の上で溶け始めたラムネを角名は器用にコロコロと転がす。

ラムネが溶けて甘いのか、
角名とのキスが甘いのか、
私にはもうわからない。

口の中のラムネがなくなってしまっても、
角名はその余韻を愉しむようにクチュクチュと舌を絡ませる。

どれくらいそうしていたのか、時間の感覚もラムネと一緒にとけてしまった。

ゆっくりと触れた唇が離れていく。
いつもより熱を帯びた瞳で角名は私を見つめる。

「ラムネ、もっとないの?」


「……りんりんのせいで全部落ちたわ」


角名は呆れた顔をして、いつものように私に告げる。

「りんりんはやめろよ」