- ナノ -

01

22時

幹線道路沿いのうどん屋で軽く夕食をとった。
店を出て、駐車場に停めてある自分の車へ乗り込む。

今日は、9月第2週の金曜日
22時30分

目的地まで下道で約1時間、プレイリストには好きな曲ばかり。
車を走らせると、目の端に湾岸の工場、ナトリウム灯が暗い空をオレンジ色に照らすのが見える。



角名とは同じ高校で出会った。

友人に貸していた少しマイナーなバンドのCDを私が手に持っているのを見て
「俺もそのCD持ってるよ」
と話したこともなかったクラスメイトの角名が声をかけてきたのがきっかけだった。

それからは好きな音楽の話をし、好きな漫画の話をし、お互いの趣味趣向の話をしているうちに私達は立派な友人関係を築いていた。

クラスが離れてもその関係が揺らぐ事はなく、約3年間、他のバレー部の連中と一緒にアホな話ばかりして過ごした。

定期的に変わる侑と治の彼女と共にバレー部の試合を見に行く事もあったが、ユニフォームを着て活躍する彼らよりも教室で一緒に騒ぐ彼らの方が私は好きだった。

一度、侑に
「角名と苗字は付き合えへんの?」
と聞かれたことがある。

角名は、
「苗字と?冗談」
そう言って、ねぇ?と私に同意を求めてきた。

私は、その言葉に傷ついた。

傷ついた気持ちを見ないふりして
「角名とはないわ」
そう言って笑った。



23時15分

予定より少し早めに目的地に着きそうだ。
目に止まったコンビニの駐車場に車を停める。

トイレ借りて、飲み物買お。

車を降りると、夏の終わりらしい湿気を含んだ風が腕をかすめる。
運転でこわばった体を少し伸ばしてから、私は煌々と明かりの灯る店内へ入った。



角名と侑はいくつもの大学から推薦がきており、二人とも関東の大学へ進学を決めた。

私も自宅から通える私大の指定校推薦枠を確保していたので、冬になる頃には進路は決まっていた。

最後の春高も終わり、あとは卒業式を残すのみとなった私達は随分とゆるんでいた。
休み時間ごとに角名は私のクラスに来てはダラダラとどうでもいい話をして過ごした。

ある日の昼休み。

「あと1ヶ月で卒業か、早かったなぁ」
「苗字とバカ話するのもあと少しだな」
「せいせいするわ」
私が笑いながらそう言うと、角名は妙に真面目な顔をして私を見つめる。
「俺は………苗字と会えなくなるの、寂しいよ?」
と呟いた。

そんなふうに私の気持ちを試すのは
もう、やめてほしい

私はいつものように戯けることに徹する。
「……しゃーないな、年明けのご挨拶メールくらいは送ったるわ」
「……年一回かよ」
角名がフッと少し笑ったので私は安心した。

そうやって、
あんたは最後まで笑ってたらいい。



車に戻り、買ってきたペットボトルのキャップを開けてお茶を口に含んだ。
カテキン多めのものだったので苦味が舌の奥にちらちらと残る。

暗い車内でスマホの通知ランプが点灯しているのが目に入った。
ロックを解除してアプリを開くと
【あと10分くらいでそっち着く】
とメッセージがきていた。
【こっちはもうすぐ新大阪】
そう返信するとすぐに既読がついた。



卒業式を終えて、友人たちと写真を撮っていたが、角名には会わないようにした。
こちらを立つ日にみんなで見送りへ行く約束をしているので、挨拶はそこで簡単にするつもりだった

角名とじっくり話はしたくない。

そう思いながらも、私はなかなか学校から帰ることができなかった。

ようやく帰る決心がついて、校門を出たところで角名が大量の荷物を抱えて立っていた。

「苗字、これ運ぶの手伝って」

今日、私が避けていたことには触れず、角名はいつものように私に話しかけた。
「これなに?どうしたん?」
私は教室で話す時のように、注意を払って返事をする。
「バレー部の後輩とか女の子からのプレゼント」
あっけらかんと答える角名に、私は今日一日角名を避けていたことが馬鹿らしくなって、肩の力が抜けた。

「角名でこの量やったら双子とか普通に持って帰られへん量なんちゃうん?」
「アイツらは明日も取りに来るってさ」
「角名もそうしたらええやん」
「引っ越しの準備で忙しい」

そんなふうに言われてしまうと手伝わざるを得ない。
こうやって、言いくるめられるのもこれで最後だ。
私は盛大なため息をついて、
「しゃあないな、コンビニでエクレア買うてくれたら持って帰るの手伝ったる」
と仰々しく彼に告げる。
それを聞いた角名はニヤリと笑って
「わかった」
と答えた。

角名から荷物をいくつか受け取って一緒に歩く。ちらりと角名に視線をおくると、ブレザーのボタンが1つも残っていない事に気がついた。
「ボタン全部無いやん。誰にあげたん?」
「先着順であげたからよくわかんねぇ」
「意外と大人気やん」
「まあね」

好きな人のボタンを卒業式にもらいに行くなんて、きっと勇気のいることだというのに。
角名は興味なさげに淡々とそう答えるので
「みんな角名に爪痕残そうとがんばってんからちゃんと覚えときや」
と言うと、角名は私を見下ろして
「余計なお世話」
と言って笑う。

それから新作のコンビニおにぎりや、昨晩テレビで見たお笑いの特番の話など、いつものようにどうでもいい話をしながら歩いた。
口は次々とくだらない事を紡ぎ出すのに、頭ではこの荷物を運び終われば私達の時間は終わる

そう考えていた。

角名の部屋の近くにあるコンビニに着いた。
「飲み物とエクレア買ってくるから荷物見てて」
角名は、荷物を私の足元へ置いた。
店内に向かう角名の背中を見ていたら、どうしようもない寂しさが私を襲った。

「……ごめん、やっぱエクレアいらんわ」
「ん?」

角名は、振り向いて私を見た。
顔を見られたくなくて、俯いた私に角名はゆっくりと近付いて来る。

「じゃあ、何が欲しい?」

私の欲しいものはコンビニで買えるものじゃない。
そんなこと、わかっているくせに。
私は何も言えなかった。
角名は私の髪をするりと撫でて言う。

「苗字が欲しいんだったら俺はなんだってあげるんだよ?」

もう、遅いわ。

私の本当に欲しいものはもう手の届かないところへ行ってしまう。

「ほら、教えてよ」

髪を撫でていた角名の手は、そのまま私の頬に添えられる。その温かな手に自分の手を重ねて私は正直に言う。角名をまっすぐ見つめて。

「セックスしてほしい」

角名は私の渾身の言葉に表情を変えなかった。

「ちょっと待ってて」

そう言って、私を置いてコンビニへ入っていった。



再び車を走らせる。

終電間際の駅前ロータリーにはタクシーが列を成していた。
送迎用の駐車場に車を止めて、エンジンを切る。
暗い車内でまたスマホを確認すると、
【駅ついた】
と5分ほど前にメッセージがきていたみたいだ。
返信をしようとしたら、助手席の窓をコツコツとノックする音がする。
視線を向けると彼はドアを開けて車内へ入ってきた。
「1ヶ月ぶり」
そう言って、荷物を後部座席へ投げる。
「遠路はるばるお疲れさん、倫太郎」



部屋の鍵を開けた角名は
「入って」
と、私を先に部屋へ入れた。

部屋の真ん中にダンボールがいくつか置いてあり、前に双子たちと来た時より部屋の荷物が随分と片付けられていた。
預かっていたプレゼントと自分の荷物を部屋の隅に置く。

振りかえるとすぐそばに角名が立っていて、正面から抱きすくめられた。

「名前も……俺に爪痕残したいんだ?」

初めて角名に名前で呼ばれた。

「ううん。……私の事は 」

忘れてほしい

そう言う前に、角名は私にキスをした。



「で、今回はどこ行きたいん?」
「淡路島」
「こんな夜中に?」
「高速のサービスエリアから海見たい」
「何も見えへんやろ、こんな暗いのに」
「いいから、行こうよ」
「へいへい、りょーかい」

私はエンジンをかけてカーナビに目的地を設定した。

倫太郎は、勝手知ったる車内と言わんばかりにガコガコと座席をスライドさせたりリクライニングを動かして快適なポジションを確保している。

車内に流れる音楽に気づいた倫太郎は呟く。

「随分懐かしい曲かけてるね」
「ん?あぁ、これな」

カーステレオからは、倫太郎と話すきっかけになった曲が流れていた。