- ナノ -

愛を識る

窓を雨が激しく打ち付ける音で目が覚めた。時折ゴォっと強く渦巻く風の音も聞こえる。台風が予定よりも早く到来したことを知らせている。

雨戸……そういえば締めてなかったな

日は昇っているようだが部屋の中は薄暗い。ゆっくり瞬きをすると徐々にピントが合ってくる。ぼやけた視界に倫太郎の寝顔がはっきりと映った。

狭いベッドの上でふたりで身を寄せ合って眠ったせいか 、全身が軋む。
けれど下腹部の痛みはそれが原因ではないことに思い当たり、一気に顔に熱が集まる。

昨晩の倫太郎は優しくて意地悪で色っぽくて。
彼の視線はいつもより鋭くて見つめられただけで全身が粟立った。彼の肌を流れる汗がぽとりと私の肌に落ちただけで震えた。彼の熱い息が耳を掠めただけで疼いた。彼のこれまで見たことない表情に呼吸もままならないくらい鼓動は早まった。そして触れ合っていると言いようのない安心感に包まれた。

一呼吸置いて倫太郎の寝顔を見つめる。
昨日はドキドキしっぱなしだったのに。
どうしてだろう、今は彼の顔を見ているだけでほっとする。愛しさが止めどなく溢れてくる。

前髪の下に覗く滑らかな額に息を潜めて口付けをした。

倫太郎のことはこれ以上好きになることが出来ないくらい好きだと思っていたけれど、彼の寝顔を見つめていると胸が締め付けられそうなくらい好きで好きでどうしようもない。

「……もう終わり?」

目を閉じたまま倫太郎が呟いた。

「……起きてたん?」
「んーん、まだ寝てるよ?」

倫太郎の前髪が一房、はらりと鼻の頭に落ちる。そっと指ですくうと倫太郎は笑うのを我慢しながらふ、と鼻を鳴らす。
相変わらず彼は瞼を閉じたままで、自分の右腕を枕にしているが左手は私の腰をするすると撫でる。その指使いがくすぐったくて私は身をよじった。

「こそばい、やめて」
「俺寝てるからやめらんない」
「も、起きてるやんっ」
「キスしてくれたら起きるよ?」
「さっきしたやろ?」
「おでこはノーカン」

昨晩の彼とは別人みたいだ。子供っぽく甘えてくる倫太郎が可笑しい。

「わがままやなぁ、倫太郎は」

倫太郎の髪に指を通し時間をかけて梳くと彼の瞼がゆっくりと開き、その瞳に私の顔が映る。

「あ、起きた」

今、倫太郎の見る世界には私がどんなふうに映ってるんだろう。私と同じようにより好きだと感じてくれてたら嬉しいんやけど。
倫太郎が微笑むので「なに笑ろてるねん」と戯ける。

「なまえ」

倫太郎に名前を呼ばれただけなのに。
彼が呼ぶ自分の名前がとても好きだと思った。

倫太郎の左腕が私の頭に添えられて、彼の顔がゆっくりと近付く。

重ねられた唇があまりにあっさりと馴染むので、私たちは元々ひとつだったと言われたら信じてしまうだろうと思った。


「身体大丈夫?」
「大丈夫……やと思う」

いつもならもう身支度を整えている時間だが、学校が休校となったためベッドの上で微睡んでいた。
彼の指は気まぐれに私の髪をすくったり頬や唇を撫でたり。かと思えばキスを落としたり。
大きな手は繊細に、そして柔らかく私に触れる。

「痛いとこは?」
「無いことは……ない」
「あるんだ?」
「……あー……うん、まぁそれなりに?」

歯切れ悪く答えると倫太郎は「ふーん」と言いながら私の顔を覗き込んだ。
彼の大きな手が私のお腹にそっと当てられてゆっくりと擦る。

「……ごめん、優しくするはずだったんだけど」
「大丈夫。痛いってそんな激痛ちゃうよ」
「余裕なくてさ……かっこわりぃ」

ぼすっと私の肩口に倫太郎は顔を埋めるので抱きしめた。

「かっこわるくないし」
「……ほんとに?」
「うん……初めてが倫太郎でよかった」

私がそう言うと、倫太郎は顔を上げて鼻先が触れそうな距離で私を見つめる。

「これから先も俺しか知らなくていいよ」
「ふふ、それはお互い様やねんけど」
「約束……ね?」

ちゅっと触れるだけの甘ったるいキスをして、それから倫太郎は私の髪、おでこ、鼻、瞼、頬、耳、首筋、そして手の甲や指先にまでキスを落としていく。

「こそばいねんけど」

いつまでも止むことのないキスの雨を受けながら声を出して笑ったらそれは止んだ。
代わりに倫太郎の真剣な眼差しが降り注ぐ。

「倫太郎?」
「単純に……性欲をどうこうしたかったわけじゃないんだ」
「あ……うん」
「なんつーか……お付き合いの延長線上にある行為?みたいな……そんなくらいにしか捉えてなくて」
「うん」
「セックスする前からなまえのことは好きって気持ちカンストしてるって思ってたから」
「……うん」

倫太郎にしては珍しく沸き起こる感情をすべて言葉にして伝えようとしてくれている。

「今……昨日よりもずっと……なまえのこと好きで堪んない」

―――私と同じだ

「なまえ?」
「……ん」
「どうして泣いてんの?」
「うん……その……嬉しくて」
「……そっか」
「へへ、私も一緒やから」

涙を拭って笑顔で応えた。倫太郎に面倒くさいと思われたくないから。

けどその直後、倫太郎に腕を引っ張られ少し強引に抱き寄せられた。彼は私を抱きしめる腕に力を込めるので呼吸がままならなくて苦しい。

けれど温かい。
どんな言葉よりも直接届く彼の優しさがまた私の感情を揺さぶる。

そんな受け止め方をされたら……また涙が溢れてくる。好きなのに苦しい。そんな私の中の言語化できない思いが溢れ出して涙になったみたいに。

「ごめん……昨日から…私泣いてばっかり」
「そんなの気にしなくていい」
「嬉しくて……倫太郎と一緒で……私も倫太郎のこと好きで好きでどうしょうもなく苦しくて……それくらい好き」
「嬉しいよ」

出会った頃より、好きだと伝えたあの日より、本音で話そうと決めた昨日より、今が一番倫太郎のことが好きだ。

倫太郎の指が私の涙を拭う。
ふ、と少し困ったように笑う倫太郎は「なまえは泣き虫だね」と言って私の瞼に口吻をひとつくれた。

きっと明日も私の『好き』は更新されていく。

止めどなく溢れるこの感情に
昨日まで知らなかったこの情熱に
名前はあるのだろうか

それを識るその日まで
名前もわからぬこの想いを
私は大切にしたい
目の前で微笑む彼の直ぐ側で。