- ナノ -

知らない−後編−

終業式の朝、小作くんが私の席へ来て先日の雑誌を差し出す。

「とりあえず最新号な!興味出たら三学期に入ったときにまた言うて」

「わー、持ってきてくれたんや、どうもありがとう」

「いえいえ、ほなな!」

颯爽と現れて颯爽と立ち去った彼を見送りながら、バレー部にもいろんな人がおるんやなぁと実感する。

自分とは住む世界の違う人たち、なんて勝手にレッテルを貼って関わろうともしなかったけど、彼らだって同じ学校に通う学生でこうして親切にしてくれる人もいるのだ。

角名と付き合う前と後でこんなに考え方の変わった自分を受入れつつ驚きも隠せない。

小作くんに借りた雑誌をかばんに仕舞っていると希美が通りすがりに迎えに来たので席を立って終業式の行われるグランドへ向かった。

移動の途中で角名の姿を見かける。彼はマフラーを首にぐるぐると巻きつけていつものバレー部と4人で固まって移動していた。

角名はスマホをいじりながら双子を風除けにして歩いていて、その様子が微笑ましい。やっぱり大きいし目立つなぁなんて考えていたら彼と目が合った。

マフラーに埋めていた顔を少し持ち上げ私に小さく手を振る角名にこちらからも手を振り返すとニンマリ笑って歩いていった。

直後に私のスマホにメッセージが届いて、出席番号順に並んだ後に内容を確認するとそれは角名からだった。

【今日も一緒に昼食べよう】

先日のキスの記憶が鮮明に甦る。
たった一行のメッセージでも胸の奥に熱がじわりと湧きおこった。

早く昼にならないかなと落ち着かない自分に気がついて、自分が思っている以上に私は角名の事が好きなのだと自覚する。


年が明けた。

休みの間、課題を片付けつつ本を読んでは眠る生活を送っていた。

春高真っ只中の角名へは新年の挨拶以降、邪魔してはいけないかと思いこちらからは連絡をしなかった。

そういえば、と小作くんから借りていた雑誌に目を通すと、春高出場校の特集や秋に始まった国内リーグについての記事が掲載されており、縁のない世界だと思っていたスポーツ雑誌が案外読みごたえのあるものだったことに私は満足していた。

バックナンバーも借りようと思いながらペラペラとページをめくっていると、国内リーグの試合日程についての広告が目にとまる。

ちょうど角名の誕生日付近に京都で行われる試合がある。

こういう試合とか興味あるかな?
春高終わったら休みの日の練習も昼間で終わるって言ってたし……。

角名に直接聞いてみようかと思ったが、もしサプライズできるのであればしてみたいという気持ちに囚われてしまう。

彼の驚く顔が見てみたい。


新学期がはじまり、授業の合間に小作くんに借りていた雑誌を返しに行く。

お礼を言って、ついでに角名へのお誕生日サプライズをしたいので相談に乗ってもらえないかという旨を伝えると、小作くんは

「はぁー、角名ええなぁー」

なんて言いつつ、全面的に協力してもらえることになった。小作くんから得た情報により、チケットを事前に購入して、角名の誕生日に備えた。

迎えた1月25日、角名の誕生日当日の昼休み

この日は角名と文芸部の部室でお昼を一緒に食べる約束をしていたのでお弁当と昨日焼いてデコレーションしたカップケーキ、あとチケットを持って角名を待っていた。

いつもならチャイムが鳴ってそんなに時間が経たなくても来るはずの彼がなかなか来ない。

スマホを確認してもメッセージなどは届いておらず、昼休みを半分過ぎた頃にようやく角名が現れた。

もしかして部活のミーティングが急に入ったのかなと呑気にかまえていたのだが、角名はいつも私を見るときの笑顔をひそめている。

無に近い表情の彼に声を掛けにくくて、部室に入ってくるのを黙って見ていた。

「昼飯、まだ食べてないの?」

ぼそりと角名がつぶやく。

「あ……うん。角名くんは?」

「俺は食堂で食ってきた」

あれ、今日はここで食べるって約束してたと思うんやけど……

私のすぐ横の席に座った角名に思い切って聞いてみることにした。

「ごめん、私もしかして約束勘違いしてた?」

「いや、約束破ったの俺だから」

「えっ」

どういうことなのだろう。
もしかして私、角名が怒るようなことをしてしまったのだろうか。

手の指先が冷えていく。
部室に入ってきた時の角名の表情を思い出す。あんな冷たい表情、これまで見たことがなかった。

角名くんに捨てられんで?

ひと月くらい前の希美の言葉が急に甦ってきた。

こんな時はどんな言葉を返せばいいんだろう。

いろんな本を読んで、いろんな言葉や表現を取り込んできたつもりだった。でも現実は自分の思いを言葉にのせることができない。

結局、私はいつも沈黙を選択する。

「……なんで怒んないの?俺、約束破ったんだよ?」

今、彼はどんな顔をしているのだろう。

確認するのが怖くて、側に座る角名の顔を見ることができない。

次の瞬間、強引に腕を引っ張られて横に座る角名に引き寄せられた。

「……ごめん」

彼の胸に顔をぴたりとくっつけているせいか、くぐもった彼の声が頭に響く。
私は黙ったまま、角名の胸におそるおそる手を添えた。

「みょうじさんの怒った顔見てみたくて……試すようなことしてごめん」

「大丈夫、ちょっと……怖かったけど……」

体を離して正面から向き合った角名が私の片手を握った。
手のひら越しにじわじわと彼の体温が伝わってくる。

「みょうじさんの手、冷たい」

「さっき角名くんが怒ってるって思って……少しだけ血の気が引いたというか……」

私がそう言うと、握られた手に少しだけ力が加わる。

「約束も破ってごめん。双子にここ来るの邪魔されちゃってさ」

「うん」

角名の声が優しくて私はほっとする。
あぁ、この声はいつもの彼の声。

「でもちょっと怒ってたのは本当」

「え?」

「最近、小作と俺のいない所でよく話してるよね?」

一体どこで見ていたのだろう、角名へのサプライズを相談していたので周りには気を配っていたはずなのに。

「あっ……の、それは」

机の上においていた手提げに視線を送ると角名は

「チケットだろ?Vリーグの」

となんでもないことのようにサラリと正解を口にする。入念に準備をしたつもりがバレていたことに私は驚愕してしまった。

「なんで知ってるん!」

「小作から聞き出した」

少し意地悪な微笑みを浮かべた角名は

「俺をこんな手でびっくりさせようなんて、まだまだだね、みょうじさん」

と言って私の頭にぽんっと手を置く。

サプライズが不発に終わってしまったことと、彼の手の上で転がされていることが無性に悔しくて、今さっき思いついたことを何も考えずに実行することにした。

頭の上に置かれた角名の手を掴んで下ろし両手で握ると、彼はニヤニヤとしながらこちらの様子を伺っている。

彼の瞳をまっすぐ見つめて、

「お誕生日おめでとう、倫太郎」

と言うと、角名は目を見開いて少しだけ動きが止まった。

その一瞬の隙に、私から彼の唇へ触れるだけのキスをする。

すぐに顔を離して彼の様子を伺うと、無表情でこちらを見つめる彼の耳が真っ赤になっていった。

角名って照れたときこんな感じなんや。

これまで見たことがない彼の反応に私は満足して

「さ、お弁当たーべよ」

と言って手提げからお弁当を取り出すと、角名は長机に突っ伏しながらこちらを見つめる。

「不意打ちはやめてよ……」

苦し紛れの言い訳みたいなことを言う角名に

「こんな手でびっくりするなんて、まだまだやな、角名くん」

と返すと「……言ったね」と角名が呟く。

スイッチの入った角名が距離を詰めてきたので

「ちょっ、待って、角名くん!」

と言い終わる前に私の両肩をがっちり押さえた角名が、

「だめ、待たない」

と、言ってそのまま何度も何度も角度を変えて私にキスをする。

ようやく開放された私は目尻に滲む涙を隠すことなく彼を見つめた。

「角名くんて……負けず嫌いなんやな」

「あれ、知らなかった?」

「知らんし……知らんことの方が多いし」

角名は私の目尻に溜まる涙を指で拭う。
さっきの貪るようなキスとは違ってそっと優しく。
目元に触れる彼の指がくすぐったい。

「それはお互い様だから」

「ほんまに?」

「うん。だからいっぱい知りたい……なまえのこと」

今は知らないことの方が多いから、
知りたいだけなのかもしれない。

知れば知るほど、
知りたくなかったことも
出てくるかもしれない。


それでも、


私はあなたのすべてを知りたい。

[2021年 角名倫太郎生誕祭]