- ナノ -

ぼくらのゆくえ

「侑、10分したら起こして……」
「お前こんなとこで寝てたら熱中症なるで?」
「うん……10分くらいやったら耐えられる…」
「耐える耐えへんの問題ちゃうやろ」

普段は鍵がかかっていて入ることができない屋上。ここで彼女とふたりきりで過ごせるのは、バレー部内で密かに受け継がれている合鍵のおかげや。

週一回だけ、学内での密会。
その約束は夏休みに入っても変わらず続いていた。

塔屋の影に無防備に寝そべるなまえは参考書を日除け代わりに顔に乗せてスウスウと寝息をたてている。
寝そべっている地面は午前中に陽が当たらなかったせいか、じとりとした湿気を含んで冷たい。
そのアスファルトに投げ出されたなまえの左手にそっと手を伸ばす。

触れるたびにその小ささに驚いてしまう細っこい手ぇ。

こんなに華奢やのにな。


俺の彼女は勉強ばっかりしとる。

高校最後の夏直前、受験生ということも影響してるとは思うけど、それにしたって勉強ばっかりしとる。

「何年に誰が何したかなんて知らんッちゅうねん!大体俺の人生の何の役に立つねん、寝てたほうがなんぼかマシや!」

なまえの部屋でいつものように机を挟んで教科書やらノートやら開いてるけど全く集中できへん。
試験の一週間前は部活もできへんからバレーしたぁてウズウズする。

「侑の将来には役に立てへんやろうけど脳のトレーニングや思て勉強しい。好きやろ?筋トレ」
「筋トレやのうて脳トレやん」
「似たようなもんやん」
「全然ちゃうわ!」
「じゃあ帰って寝とき、赤点取っても私は知らん」

彼女はそう可愛げなく言い放ってまたガリガリとシャーペンを動かしまくる。

あいかわらず、勉強中のなまえは素っ気ない。
構ってほしくて、少し身を乗り出してシャーペンを握る彼女の手を包み込むように握る。
「ちょっと、侑」
と、言い終わる前に触れるだけのキスをすれば目の前の瞳が揺れて俺は満足する。

ちゅっとリップ音をわざと鳴らして離れれば
「……あほ」
聞こえるか聞こえへんか、ぎりぎりの小さな声でなまえはそう呟く。
「せやねん、俺アホやねん。せやからここの問題教えて」

ちょっとだけしおらしくなった彼女の様子に機嫌もよぉなった俺は大人しくお勉強することにした。


「……またトップじゃん」
「おう」
「で?侑は?」
「……聞くなや」

期末試験も終わり、職員室の前に成績上位30名の名前が貼り出される。

その下に追試を受ける者の名前が貼り出されるのはどうかと思うが、今回もなんとかここに俺の名前が無いことを確認して胸をなでおろした。

「侑は贅沢だよね。学年トップに毎回勉強見てもらってんのにさ、あんまり結果に結びついてねぇんだもん」
「うっさいわ。それにあいつ別に試験に出るとこ教えてくれる訳ちゃうし一人でガンガン勉強しとるだけでこっちから聞かな教えてくれへんし」
「でも聞いたらちゃんと教えてくれんだろ?」
「……まぁな」
「じゃあいいじゃん。少なくとも追試になってないんだから」

確かに、なまえと付き合い始めてから俺は追試を受けることはなくなった。

「あ、噂をすれば」

角名の視線の先をたどると、なまえがこちらへ歩いて来ていた。

「宮くん、今回も追試なし?」

通りすがりにそう話す他人行儀な彼女に
「おかげさんで。これで心置きなくバレー打ち込めるわ」
と答えると
「そう、よかったやん」
と言って視線を絡めることも無くそのまま職員室へ入って行った。

俺らが付き合ってる事は周りには秘密や。
この事を知っとるんは治と角名と銀だけやから、特に角名とおる時に自然となまえの愚痴が出てしまう。

「つーか、あいつ勉強しすぎやろ。なんで勉強ばっかりしよんねん」
「え、侑聞いてねぇの?」
「え?」
「え?」

角名と二人してぽかんとお互いの顔を見つめ合ってたら「侑ぅ、こんなとこでなにしてんのぉ?」と同じ学年の女子達にべったり絡まれてしまったのでその話はそれっきりになった。

あの後、角名から俺の知らんなまえの話を聞くのはどうも不愉快で、結局その夜彼女本人に電話で聞いてみることにした。

「角名に聞いてんけど」
『何聞いたん?』
「お前が狂ったように勉強しとる理由や」
『もっと言い方ないん?』
「その通りやないか」
『勉強はなんぼしても損はないやんか』
「限度があるやろ」
『無い無い、大丈夫』

話にならん。
何が大丈夫やねん。
俺が大丈夫ちゃうわ。

『練習、明日もあるんやろ?早く寝てしっかり休まな』

早々に話を切り上げようとする彼女に抵抗するように淡い期待と下心を織り交ぜて夏の予定を確認する。

「なぁ、盆くらいは休みあるんやろ?プールとか行こうや」
『あんた受験生なめとんか。休みなんてあるわけ無いやろ。予備校の夏期講習で予定びっしり埋まっとるわ』
と血も涙もない答えが返ってきて
『じゃあ、おやすみ』という言葉とともに通話は一方的に断たれてしまった。


「俺……やっぱり愛されてないんかも」

今日は専門学校の学校説明会のため治も銀も朝からいなかった。部活も終わり、昨夜の電話の事をもやもやと考えていたらいつの間にか角名と部室で二人だけになっていた。

角名はフンっと鼻で笑って
「お前本気でそんなこと言ってんの?」
と冷たく言い放つ。

「しゃーないやん、この夏あいつ夏期講習で予定びっしりやで?そんなに勉強大事なん?俺と勉強どっち大事なん?!」
「うっわ、めんどくさ」
「せやろ?!」
「ちげぇよ、お前がめんどくさいの」
「は?何でやねん」
「俺らだってバレー最優先じゃん、向こうの都合も考えてやれよ」
「お前に俺らの何がわかんねん!」

しばらく無言で俺を見つめていた角名が
「ホントは口止めされてるんだけど」
と言った。


まっすぐ寮へ帰る気にもなれず、なるべく人の多いところへと足が進む。
気がついたら電車で梅田に出ていた。
地下街でカレー食って、映画見て、でも内容が全然頭ん中に入ってけえへんくて。

『お前の彼女がなに目指してるか知ってる?』

そんなん考えたこともなかった。

自分の未来ですら、ただバレーを続けて行くというシンプルなビジョンしか見えてへんのに。

『弁護士目指してるんだって』
『侑がずっとバレーできるように自立して、侑の事も支えたいんだってさ』
『……バレーしてる侑をずっとそばで見てたいんだろうね』

角名の言葉を何度も反芻した。

俺は今を犠牲にして先の見えへん未来のために勉強しまくるなまえが理解できへんかった。

なまえの手はホンマに小さくて、こんなに小さかったら掴めるもんも掴めへんのちゃうかと。
不安やから、だから勉強ばっかりしてるんやと勝手に心配してた。

あいつはちゃんと準備してたんやな。

立ち止まって、ショウウインドウにうっすら映る自分の姿と目が合う。

俺にできることはバレーをすること。

あとは―――


陽の光がじわじわと塔屋の影を侵食してくる。参考書で顔見えへんけどなまえはよう寝とる。また夜遅くまで勉強しとったんやろ。

別に頼んでもないのに何も言わんと自分にできることを粛々と積み重ねる。
なまえは思い描く未来を確実に掴もうとしてる。

彼女の左手に触れながら、空いた手をポケットに突っ込む。
指先に当たったもんのうちひとつを自分の指に、もうひとつをなまえの左手薬指にそっとはめた。

「なんか……しょぼ」

ピカピカ光るおもちゃの指輪はこのあいだ梅田で見つけた。
星の形したキャンディみたいな色合いのお揃いの指輪は陽の下で見たらあんまりにもしょぼくて笑けてくる。

俺にできることはバレーをすること。
あとはなまえのそばにおると約束すること。

いつか本物をその指に贈るって決めたから
だから
今はこれだけで。