触れても、なお−後編−
あぁ、やってしまった
ピシャリと閉められた職員室の扉の前で気分が沈む。
「角名、なんか用事あるんか?」
後ろから隣のクラスの担任に声をかけられ
「いえ、なんもないっス」
と言ってその場を離れた。
廊下の途中にある中央階段に腰を下ろして長いため息をつく。
あいつのそばに居たかっただけなのに
○
俺が想いをこじらせている相手、
それがみょうじだ。
目立った美人というわけでもないけど愛嬌があってノリが良くて何より俺とウマが合う。
誰もが羨むような自慢の彼女が欲しくないわけじゃないけど、身近にそういう女と片っ端から付き合ってあっという間に別れていくやつの話を聞いている限り、決してメリットばかりじゃない事が伺える。
つーか、気が付いたらあいつの事ズブズブに好きになっちゃってんだから、こればかりはもうどうしょうもない。
みょうじはいつもバカみたいな話して大きな口開けて笑って、俺に対して恋愛対象ではないという態度で接してくる。
それでも
目が合ったときの一瞬の眼差し
ふと触れてしまった指先が離れる瞬間
どこか名残惜しい
あいつからそんな気配が漂うのを俺は見逃さない。
先日、急遽俺の部屋で勉強することになってみょうじと二人きりで掃除をしていた。
洗い物をするみょうじが俺を呼ぶ。
ちょっとしたイタズラ心と、また反応を見て楽しめるかもしれないという期待から、わざとあいつの背中にピタリとくっついて袖を捲くってやった。
一瞬にしてビクリと固まってしまったくせに口では何でもない風を装う。
全然ごまかせてないんだけど
みょうじに見られることもないので堂々とにやけていた。
でも
俺の頭の中のみょうじと
今俺の腕の中にいるみょうじ
その存在感の大きさと思ったより華奢な体とのギャップに徐々に打ちのめされていく。
あぁ、なんだこれ
……今すぐ好きだって言いてぇ
みょうじからその言葉を引き出したいという思いもあるが、もう我慢の限界だ。
あいつの名前を呼ぼうとした次の瞬間、
「こんな汚い部屋では女の子呼ばれへんで?」
気が付いたら思ってもいないことを口走っていた。
今日もそうだ。
ちょうど日直だったみょうじに一日中絡んでいた。
珍しく部活も休みなので、放課後も一緒に居られると思ってたのに、先日の俺の部屋の散らかりっぷりを引き合いにあいつは「はよ帰れ」の一点張り。
つまんねぇ
そっけないみょうじにどうしても振り向いてほしくて、窓の外を眺めるとちょうど先週俺に告ってきた先輩の姿が目に入った。
その話をダシにしてみょうじの心を揺さぶろうとしたけど、思ったような反応は返ってこなくて少しヤケになる。
「部屋……呼んじゃおっかな」
本当に呼びたいのはあの先輩じゃなくてみょうじなのに。
いまいちリアクションの薄いみょうじの反応を引き出したくて、話が少しエスカレートしていく。
みょうじは不機嫌さを隠さずに俺を置いて教室を出ていこうとした。
やっぱそうなるよね?
俺がみょうじ以外の誰かになびく話なんて、聞きたくないよね?
あいつに俺の存在を深く刻みつけてる気がして満たされる。
我ながら歪んでいると思う。
でもそれは俺の勘違いで、みょうじは静かに怒っていた。
「女なめんな」
目の前で閉められた扉。
それは俺に対する明らかな拒絶だった。
こんなはずじゃなかった
……何してんだ、俺は
○
「みょうじ、大丈夫か?家連絡しよか?」
教員用の休憩スペースに居座る私に担任が声をかけてきた。
「あ、すいません。大丈夫です」
「ほんまか?無理してへんやろな?」
「してないですよ。ちゃんとひとりで帰れますよ」
「せやったらええねんけどな」
「ご心配おかけしました。もう帰ります」
「気ぃつけてな」
ガラリと職員室の扉を開けて失礼しましたーと言いながら頭を下げる。
廊下に出て辺りを見回したが角名の姿はない。
ホッとする反面、どうしょうもない寂しさが私を襲う。
こんな気持ちに飲み込まれる前にさっさと帰ってしまおう。
そう思いつつも下足室へ向かう私の足取りは重い。
ローファーを地面に落として転がった靴を揃えることもなくダラダラと上履きから履き替えていたときに忘れ物に気がつく。
クラスメイトのシマちゃんから借りて紙袋に入れていた漫画を机の横に引っ掛けたままだ。
はぁーと仰々しくため息をついてからまた上履きへと履き替えて教室を目指す。
職員室を通り過ぎて中央階段の前に差し掛かったときに階段の隅に大きな人影があった。
「「あ」」
お互いの姿を確認して、全く同じタイミングで声を発する。
気まずくて、私はすぐに目をそらした。
「……角名、まだ帰ってなかったんや」
「みょうじこそ……何してんの?」
「私は忘れ物取りに来た」
角名は何してるん?なんて聞いてあの先輩を待ってるなんて返されたら、いよいよ私は立ち直れないだろう。
だから敢えて何も聞かなかった。
黙って角名の横を通り過ぎて階段を登っていこうとしたが、角名がそれを阻む。
私の腕を掴む角名の力が少し強い。
痛いのは掴まれた腕なのだろうか、それとも心なのだろうか。
私は困惑する。
それでも、可愛げのない私はいつでも準備万端だ。
「何?私早く忘れ物取りに行って帰りたいねんけど」
「ちょっと話しよう」
「……ここで?」
「そう」
「あんたの暇つぶしのために?」
「そんなんじゃない、俺がみょうじと話したい」
そこではじめて角名の顔を見た。
いつもの無表情。
でもその瞳の奥には僅かばかりの緊張を孕んでいるように感じた。
階段を登ろうとするのをやめると角名は掴んだ腕を離してくれた。
私は角名から距離をとって座る。
さっきの八つ当たりと後悔とでまだ心の中の整理がついていない。
角名を直視することができなくて、視線は自然と自分の足元へ落ちる。
「さっきはごめん」
角名が落ち着いた声で話し始めた。
謝るのは私の方なのに
こんなときはなんて答えたらいいんだろう。
素直に角名の謝罪を受けとめられなくて、ずるい私はまたあの先輩を盾にしてしまう。
「……私やなくて先輩に謝るべきや」
「俺はみょうじに謝りたい」
「……なんでやねん。私関係ないし」
「あるよ」
「ないって」
「ある」
「……なんか今日はこんな言い合いばっかりやな」
「話、逸らさないでよ」
いつもとは違う声色に視線を上げて角名の方を見ると、さっきと変わらないどこか緊張感のある視線で角名は私を射抜く。
「みょうじのこと、大事だって思ってんのに……いつもからかってごめん」
大事だって思ってる
角名がそう言うなら、私も友達としてその思いに応えなければならない。
「……私も……ごめん、ちょっと言い過ぎたところあったし感じ悪かったし…いつも言いたいこと言うてまうけど、角名の事は大事な友達やって思ってるから」
そう言って、へらりと笑うが角名は表情を変えない。むしろ少し寂しげな気配すら感じた。
「角名?」
不安になって呼びかけると
「もう……それやめない?」
角名は立ち上がり、私の目の前に立った。
「それって?」
私が聞き返すと角名は階段の手すりに片腕をのせてゆっくりと私を覗き込むように近づく。
「友達ごっこ」
階段の正面にある窓から外の明るさが差し込むが、校舎の中は暗いので角名の顔に影が落ちて表情がよく見えない。
「友達ちゃうの?私ら」
「みょうじは俺のこと友達だって思ってないだろ?」
うん、思ってないよ
本当は友達じゃなくて、ひとりの男性として、私は角名のことを大事に想っている
心の中ではそう饒舌に語れるのに、それを角名に伝えることができない。
拒絶されたら嫌だから
勇気がないから
このまま側に居たいから
いろんな言い訳が私の舌の動きを鈍らせる。
結局、私は沈黙を選ぶことになるのだろう。
角名の唇が短い言葉を紡ぐ。
今、角名はなんて言ったんだろう。
耳には音として入ってきたはずなのにその言葉の意味を理解できない。
その直後、廊下の奥から誰かの笑い声が聞こえてきた。こちらへ向かって歩いてきているみたいだ。
「ちょっと場所変えよ」
そう言って角名が私の手首を掴んで階段を登っていく。
「忘れ物って教室?」
「うん…」
「じゃ教室戻ろうか」
○
傾いた陽の光が教室をオレンジ色に染めている。天井も床も、机も黒板も。
その中に入った私も振り返った角名も、何もかもオレンジだ。
「さっきの続き」
角名が私の両腕を握って見下ろす。
階段と違って教室の中は明るかった。
ここなら角名の顔がよく見える。
その顔がゆっくりと近付いてきて、そっと角名の唇が私の唇に触れた。
角名の唇は薄いのに思ったよりも柔らかだった。
ゆっくりと離れていく角名は私から視線を外さずに静かに話す。
「俺がみょうじのこと大事に思ってるって、こういう意味だから」
みょうじは?
角名は視線だけで私にそう問いかける。
「わ……たしは」
私は?
「角名…のこと」
俺のこと?
「……すき」
そこまで言い切ると、角名はこれまで見たことがないような優しい笑顔を見せた。
わ、どうしよう
すごく好きだ、角名の事が
これまで頑なに言えずにいたはずなのに、堰を切ったように私は口を開く。
「すき…すき、角名が……好き」
私が溢れる想いを言葉にのせて伝え続けていると角名は私の顔に手を添えて
「伝わったよ」
と言ってまた唇を重ねた。
よりその感触を確かめるように。
触れれば触れるほど、よくばりな私は角名をもっと感じたいと願ってしまう。
長いキスを終えて私を抱きしめた角名が
さっきの言葉をもう一度口にする。
「好きだ、みょうじ」