04
数ヶ月前、倫太郎の通う大学の近くにカフェが出来た。
たまたまそこで待ち合わせをして、二人で飲んだコーヒーがとても美味しくて、それ以来、倫太郎と外で待ち合わせをする時はそのお店を指定するようにしている。
店内にグリーンが多いのも好きな理由の一つで、大きな鉢植えが目隠し代わりにゴロゴロ置かれていてとても落ち着く。
こっちの大学へ進学してから久しく土に触れていない。
学生の住む小さな部屋ではせいぜいミニサボテンなどの観葉植物を育てるくらいが関の山。
今日は倫太郎とお出かけデートの約束をしているので植物とのふれあいが不足気味な私は、行き先に植物園をリクエストした
……のだが、先月週末に倫太郎の練習がなくなったことのしわ寄せがきて、午前中に練習が入ってしまった。
当然、植物園デートは延期になったのだが、倫太郎と午後から一緒に過ごせると思うだけで機嫌よく過ごせるのだから私は随分と燃費の良い彼女だと思う。
待ち合わせは14時。
少し早めに来て窓際の席で外を眺めていると、10月最後の週末なので、チラホラと仮装をしている人たちが通っていった。
それに加え、街中いろんなところにかぼちゃやこうもり、黒猫モチーフが飾り付けされていてここ数年で根付いたハロウィンの雰囲気に少しわくわくする。
しばらくすると、注文していたコーヒーが運ばれてきたので、私の意識はハロウィンからコーヒーへあっさりと移行した。
小さな乳白色の小鉢に入っているブラウンシュガーをふたつぶカップに落としてくるくると混ぜる。
ほわりと湯気が立ちのぼり、カップの中の琥珀の渦に吸い込まれるように口をつけるとほろ苦さと芳醇な香りが鼻を抜ける。
はぁ、満たされるなぁ。
ソファーの背もたれにだらりと体を預けて、リラックスする。
お昼ごはんは家で済ませてきた。
冷蔵庫に入っていた作りおきの鶏ハムやレタス、スライスチーズを雑に挟んだサンドイッチを食べた。
その時にコーヒーも一緒に飲みたかったけど、ここで飲む事を楽しみにしていたので我慢した。
ふふっ、家で飲まなくて大正解!
また一口、コーヒーを啜る。
一息ついたところでお店に倫太郎が入ってくるのが見えた。
「名前、待った?」
ちょっと走ってきたのか、倫太郎はうっすらと汗ばんでいる。少しでも早く来ようとしてくれたんかな?だったら嬉しい。
ていうか、顔見れてもうかなり嬉しい。
「ううん、さっき来てん。お先にコーヒー楽しんでます」
「そっか、ならよかった」
倫太郎は私の正面に座りながら俺もコーヒーにしようかなぁとメニューを見ている。
「倫太郎はお昼食べたん?」
練習とミーティングがあると聞いていたので多分チームメイトと食事は済ませているとは思うが、念の為聞いておく。
「あぁ、学食でラーメン食べてきた。名前は?」
「私はいつものやつ」
「あー、別名残りものサンドね。あれ地味にうまいよね」
褒められているのか貶されているのか、でも手料理と言うにはあまりにもお粗末なものでも、倫太郎はいつも美味しいと言ってくれる。
照れ隠しにちょっと可愛くない言い回しで答える。
「今度泊まりに来たらお見舞いしたるわ」
「だったら明日食べられるね」
倫太郎がそう言ってニヤリと笑う。
あ、じゃあ明日まで一緒に過ごせるんや。思わず口元が緩みそうになるが、ぐっとこらえる。
私ばっかり好きみたいでなんか悔しいし。
でも、そんな様子も倫太郎にはお見通し。
「嬉しいって顔に書いてるよ、名前」
倫太郎が長い腕をのばして私の頬をつつく。
○
カフェを出て手を繋ぎながらぷらぷらと歩く。
目的地なんて決めてない。
大学とは反対の方向へ、曲がりたいときはどちらかが手を引っ張って、気分次第の散歩道。
そういえば、最近は倫太郎とこんなふうに散歩してなかったなぁ。
高校時代は、よくバスの停留所いくつか分を二人で歩いて帰ってたっけ。
倫太郎と付き合い始めた高校時代を思い出していると、彼が徐に声を出す。
「あ、猫」
「え!どこにおるん!!」
倫太郎の視線の先を見つめるが、私と彼では目線の高さが違うので外壁が邪魔をして見えない。
「あー、3匹いるな。しかも子猫……と母猫?」
私が見えないのをいい事に、倫太郎はわざとらしくかぁわいいーなんて言う。心こもってないし。
「倫太郎だけずるい!」
「じゃあ肩車する?」
私の方を向いてそんなことを言う。
倫太郎の肩車なんて、高すぎて怖すぎやろ、無理無理。怪我すんのもさせるのもごめんや。
「いくら人気のない路地でもえぇ大人が肩車して人様の敷地内覗くとか通報案件やで」
「でも猫見れるよ?」
「ぐっ、」
「名前、おんぶしてあげようか?」
「そんなバカップルみたいなことせえへん!」
○
……なんて言ってたくせに。
「倫太郎っ、見て!あっこにピケチュンおるで!」
俺の背中に乗っかってごきげんな名前は、日が落ちてしばらくするとどこからともなく集まってきている仮装集団に目を輝かせている。
なぜこうなったのか。
ぶらぶらと街歩きをしていたが、日が落ちてくると少し肌寒くなってきた。
上着を持ってきていなかった名前が何回かくしゃみをしたので、ランチもディナーも営業しているカフェに入って早めの夕食をとった。
名前は、スープパスタにサラダが付いたセットと一緒にグラスの白ワインを注文しており、すいすいと飲んでいく。
ちょっと待て、
いつの間にワインなんて覚えたんだ。
あっと言う間にグラスは空になり、
「なぁ、倫太郎。もう一杯飲んでもえぇ?」
うっすらと頬をピンクに染めて上目遣いでおねだりしてくる。
「ンッフ」
だめなんて言えねーじゃん。
反則だろ。可愛すぎ。
結局、2杯のグラスワインで名前は甘えたモード全開の酔っぱらいになり、二人で店を出たところで
「寒いからおんぶして」
なんて、言い始めた。
「バカップルみたいなことせえへんって言ってたのどこの誰?」
「ここにおる、名字の名前ちゃんでーす」
素直でバカわいい。
「もぉ、仕方ないな」
口角が緩むのをそのままに、腰をおろして名前が背中に乗りやすいように屈むと、えーい!と言いながら名前が背中に飛び込んできた。
どすんと軽い衝撃と柔らかい感触。背中がじわりとあったかい。
「乗ったよー、倫太郎」
「ちゃんと、捕まってなよ?」
ゆっくり立ち上がると、名前は少し興奮気味に
「うわあー、高ぁーい!すごい!」
と、子供のように喜ぶ。
えぇ大人がうんたらかんたらと言っていた昼間の名前に聞かせてやりてぇ。
そのまま駅に向かって歩いていたのだが、さすがハロウィン。
いろんな格好をしたやつがそこらじゅう闊歩している。
すると、正面から歩いて来た、よく見知った顔が俺らを見つけて嫌そうな顔をする。うわぁ、という声が聞こえてきそうだ。
「あ!侑くん!!」
目ざとくそいつを見つけた名前が大きく腕を振る。
「相変わらず糖度高すぎやろ、このバカップル」
侑は俺たちに近付いて悪態をつきながら少し茶化してくる。
バカで結構。ギスギスしてるより全然いいじゃん。
「おかげさまで。まぁ、侑は来てると思ってたよ。こんなイベント好きそうだもんね?」
「なんやねん。なんか文句あるんかい」
ちょっと不服そうな顔をした侑に名前が空気を読まずに話しかける。
「なあなあ、侑くん!その耳と肉球かわいいなぁ!黒にゃんこなん?いいなぁ!」
「お、なんや名前もう酔うとるんか?」
侑が、肉球のついたふかふかの手袋で名前の頭をぼふぼふと軽くたたく。
「ワイン飲んだ!」
「さよか、でも程々にしとけよ?つぶれたら角名に何されるかわかったもんやないで?」
侑は俺に視線を送ってニヤニヤしているが、そんなのは名前にとってはどこ吹く風。
「だいじょうぶ!つぶれへん!!」
「お前のその自信、どっから出てくるねん」
侑がため息をつく。
そんなやり取りをする間も駅からどんどん人がこちら側に向かってきて、その波に流されそうになった。
身動きが取れるうちに帰るか。
「じゃあ、俺たちもう行くから」
「今から私の部屋でハロウィン限定のケーキ食べんねん!」
名前が侑に自慢げにそう話すと、
「おいおいおい、お前らのハロウィンてそんだけなん?コスプレとかせぇへんのか?」
侑はこの祭を楽しみきることが、さも当たり前のように聞いてくる。
相変わらず、何かを楽しむことに対する意識が高いというか貪欲というか。
「そりゃさ、俺だってしたいよ?名前にいろんな格好させたいよ?でもシラフの名前ってちょっと素直じゃないからさ」
少し首を動かして名前を見ると、
「ん?なに?」
俺らの話に興味を失ってた名前は、気合の入ったコスチュームやゾンビメイク、ネタに走った衣装に身を包む人たちに夢中だったみたいだ。
ほんと自由だね。
「せやったら、これやるわ」
そう言って、侑は猫耳と肉球付きの手袋、
あと首に巻きつけていた小さなマントを
名前につけた。
「わ!黒にゃんこセット!ええの?侑くん!」
「ええで、さっき100均でその場しのぎに
買ったやつやし。このあとツレと見に行くかぶりもんが本命やから。俺はもっとおもろいやつ探すわ。ほい、これ持ち、名前」
最後に星のモチーフが付いたステッキを
名前に持たせて侑は満足げに眺める。
「ええやん、名前。なかなか似合とるで」
「ありがとぉ、侑くん!」
「ちょっ、侑、俺見れないから写真撮って」
「えぇ?いらんやろ?どうせ二人きりになったらお前はアホほど写真撮るんやろ?」
「そん時に名前がシラフになってたら
どうしてくれんだよ!」
「え、待てや、なんで俺逆ギレされてんねん」
○
名前の住む部屋の最寄り駅へ着くと、
幾分か酔いの冷めた名前は
もうおんぶしろとは言わなかった。
また手を繋いで、買ったケーキは俺が持って
街灯に照らされた道を歩く。
「ハロウィンて楽しいなぁ」
名前は侑に貰ったステッキを
振り回しながらそうつぶやく。
「来年は俺たちも仮装して外練り歩く?」
「……来年かぁ」
名前が歩きながらこちらを見上げるので、立ち止まってその視線に応える。
「なぁ、倫太郎。来年も……私と一緒に居てくれるん?」
「……俺はそのつもりだよ?」
「そっか……へへっ、楽しみできた!」
ゆるゆると口元を緩ませて、名前は俺の手をキュッと握って歩き始める。
「またおんぶしてな」
「名前がしたいんだったら、
いくらでもしてあげる」
「やさしいな、倫太郎は」
猫耳付けていつもより3割増しの可愛さで
名前は俺を見上げてふわりと笑う。
「名前だからだよ」
すばやく顔を近付けて唇にひとつキスを
おとしたら、満面の笑みでを俺を見つめる。
そんな嬉しそうな顔されたら
俺にもうつっちゃうよ。