ネタ帳 | ナノ
春を待ちきれない柔らかな若草がナマエの頬を撫でた。少し湿り気のある、土のにおいがそこかしこから立ち込める。昨夜は雨が降っていた。大地に寝転ぶナマエの腰や背中を土色に染めてしまうだろう。小さな草木の影すらを濃くする空は高い。遠くで鳶が弧を描きながら飛んでいる。届きもしないのに、ナマエは手を伸ばした。

「ここにいたのか」

鳶を遮るようにナマエの顔を覗き込んだのは、彼女の従者であるリヴァイ・アッカーマンだった。王宮から抜け出してナマエが散歩をするのはいつもの事なので、彼は大きなため息を吐きながら、彼もまた、同じように空を仰いで寝転んだ。

「戻ったらばーさん達から説教だ」

「あら。いい加減に諦めてくれないかしら」

「ああ。いい加減に俺の身にもなってくれ」

レイス家の長女であるナマエ。そのレイス家を守護する一族のリヴァイ。

他の、例えばナマエの世話役である「ばーさん」達がいない所では、2人はいつもこんな風だ。口調も、関係も、あの空高く舞う鳶のように自由である。目に見えない部分だけは。

ごめんなさいねと口先だけの謝罪を述べながら、ナマエはリヴァイの方に顔だけを向けて、トントン、と唇を叩いて見せた。リヴァイは体を起こして、そこに口付ける。

「婚儀が終わっちまえば、こんなことはもうしない」

「嫌よ。駄目。リヴァイは私から離れては駄目」

ふざけて頬を大きく膨らませる表情は、幼い頃と何一つ違わなかった。王家の内々で育ったナマエは世界を知らない。しかし巨人を受け継いでしまえば、歴代の始祖の巨人の記憶も同時に受け継ぐという。だから勉強をする必要は無い、というのはナマエの言葉だった。

本当は、ナマエはリヴァイとの子供が欲しいと思っていた。しかしそれはナマエが王家の人間である以上叶わぬ願いだ。

婚儀を終え、子供を成し、そしてようやく女王として、ナマエの役目である始祖の巨人を受け継ぐことが出来る。巨人化学の副産物であるアッカーマン一族とは、子供を成すことが許されない。

「小さな時から言ってるでしょう?何があっても、私の心はリヴァイのもの」

「知っている……俺は俺の力をもって、お前を生涯守り抜く」

「ええ、約束よ」

「約束だ」

リヴァイは起き上がり、ナマエに被さった。黒い髪の毛の間に若草が絡まる。鼻先を触れ合えさせば、朝露の残りで2人の顔も濡れた。そんなことが、ただ楽しかった。

リヴァイが力に覚醒したのも、こんな風にナマエとじゃれ合っている幼き日のこと。まだ2人が10に満たない子供であったので、今よりもずっと自由に、2人は外で遊ぶのが許されていた。

その日も数人の次女を伴い、2人は王宮の側近くで遊んでいた。手を繋ぎ、花を摘み、落ちている木の枝を剣に見たてて振り回したり。侍女らは2人の姿が見える位置に布を敷き、午後のお茶の準備をしていた。

「リヴァイ、お腹が空いたわ。そろそろお茶にしましょうよ」

小枝を手にしたまま、ナマエはリヴァイの手を握る。リヴァイもナマエよりは大きな枝を手にしたまま頷いた。

しかし急に、リヴァイが動きを止めた。不思議に思ったナマエはふいに周囲を見回した。景色は一寸前と違わない。ただ息遣いが見晴らしの良い大地に増えていた。上下する胸を思わせる、獣の息遣い。遠く、人があまり通らない方にある背の高い草、そこから垣間見える鋭い眼。

「狼だ」

群れのようだった。リヴァイはすぐにナマエを後ろ手に庇った。姿を現した瞬間、狼達は布の上でティーポットを持った侍女達に襲い掛かり、ジャム付きのクッキーを血に染めた。10頭から15頭。とても王宮に助けを求めている時間などなく、リヴァイ達に狼が襲い掛かるのはあと数十秒といった所。

「ナマエ、お前はここに伏せていろ」

そう言って一瞬だけナマエに振り返ったリヴァイの瞳に、瞬く稲妻が見えた。血か、歴史か、宿命か。突き動かすのはアッカーマンとして生を受けた性なのか。

「いや、リヴァイ、1人にしないで」

リヴァイは前を向く。その背中は、少し前にナマエと遊んでいたリヴァイの背中と違って見えた。

王宮には多くのアッカーマン一族が住んでいる。しかしその全てが「覚醒」しているわけではない。ほんの一握り、力に目覚めたアッカーマンのみが、その生涯を王の側で仕える役割を担える。

リヴァイはこの瞬間にアッカーマンとしての力を引き継ぎ、全ての狼をその場で、しかも持っていた木の枝なんかで倒してしまったのだ。

後々わかったことではあるが、これは王政に反対する組織が差し向けた人為的な攻撃で、奇しくも、この時の功績が認められたリヴァイはナマエ付きの従者となったのだ。

「私も巨人を受け継いだら……リヴァイみたいに何か変わるのかしら」

ほとんどキスをしながら、ナマエは言う。リヴァイは「は」と笑って見せた。白い上着の間から、首に巻いたクラバットが零れる。それは優しく、ナマエの首筋に触れた。

「さぁな……俺の知ったこっちゃねぇ」

「子供を身籠っても変わるかしら。私じゃなくて、母親になるのかしら……」

「なんだ?今更不安になってんのか」

「私とリヴァイの子がいたら、どんな風だったかしらって。そんな風に思うのよ」

強い風が吹いた。リヴァイの表情がナマエからは見えない。僅かに残る冷たい冬を追い払うかのように、リヴァイは荒い口付けをした。息が止まってしまいそうなほど、深い口付けだった。

2人とも着ているものは白い。汚れてしまえばいいとリヴァイは思う。いっそ、この雨上がりの大地を転がり回り、幼い頃に戻り、埋まってしまえばいいと。

「お前が王家の人間で、俺がアッカーマンである以上。そんなことは未来永劫有り得ない」

ナマエの頬を掴み、懇願するような眼差しでリヴァイは言う。ナマエは少し間を置いて、傾き始めた太陽を見やり、それからリヴァイを抱き寄せた。

白く柔い胸元にリヴァイを包みこめば、彼はそっと瞳を閉じる。

「私達が結ばれる運命が……どこかに落ちて無いものかしら」

「無いな。俺は永遠に、お前の従者だ」

ナマエはリヴァイの頭を撫でる。周囲からは歴代のアッカーマン随一の力を持つと名高いリヴァイだが、ナマエの胸の上では幼い子供に戻ってしまう。

黒髪を往復するてのひら。温もりに満ちたこの時間。

「じゃあ……私がリヴァイに呪いをかける」

「呪い?」

不思議そうにリヴァイが言えば、ナマエが小さく笑う。リヴァイの頬が、ナマエの笑った分だけ揺れた。

「いつかリヴァイの魂を持った人がとても危険な目に遭っている時……その時に私が助けてあげる。今ここにいるリヴァイが私を守ってくれた分、私がリヴァイを守るわ。恩返しね」

「必要ねぇ。王家を守るのは俺達一族の宿命だ」

「きっといつか……私も貴方も。そんな宿命から解き放たれる時がきたら、の話し」

くるもんか、と不貞腐れたように胸に顔を埋めるリヴァイが、ナマエにはどうしようも無く愛しかった。

「さ、そろそろ戻りましょ。お祈りの時間だわ」

「お前がそれを言うか」

不服そうな口調にはそぐわない機敏さで、リヴァイは立ち上がる。名残惜しそうにナマエを見つめながらも、リヴァイは王宮の方へと歩き始めた。

「……リヴァイ」

夕暮れに差し掛かる、茜色。振り返るリヴァイ。

空はこんなに晴れているのに、リヴァイの周りだけが一瞬にして雨に降られたように見えた。さっきまで撫でていたすべやかな頬には大きな傷が入り、鋭い瞳は閉じている。着ているものも違う。緑の外套なんてリヴァイは持っていないもの。ああ、これは何だろう。私は、何を見ているんだろう──

「ナマエ?」

「きっと、なんとかなるわ」

そっちのリヴァイの側には王家の人間の気配がする。やめて、わかった、でも私はリヴァイを助けるの。

こっちのリヴァイに悟られないように、私はゆっくり歩き始める。白い上着を着たリヴァイの手を、握る。

「大丈夫よ」

何がだ、とリヴァイは笑う。

大丈夫、大丈夫。絶対に貴方はいつか解放されるの。だって貴方はこんなにも王家に、私に仕えてくれた。リヴァイ・アッカーマンなのだから。
いつかの女王といつかのアッカーマン

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