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▽ Just Married/前夜


ようやく買えたのは古着だった。擦り切れた白いブラウスと汚れが凝縮したようなこげ茶のスカート。これではリヴァイだって顔を顰めてしまうかもしれない。けれどナマエが自身で働いた金で購入出来る服はそれだけだった。なんといっても、彼等の出立はもう明日の夕刻。

上流貴族であるナマエは、約1年前にリヴァイと婚約関係になった。あからさまな政略結婚であったが、どういうわけかナマエはリヴァイと出会い、惹かれ合った。

しかし先達ての調査兵が中心となったクーデターや、諸々の壁外調査で2人の結婚は先延ばしも先延ばしになり。久方ぶりにナマエの父や仲人代わりであるエルヴィンらと会食の席で告げられたのは「ウォールマリア奪還作戦」

世界がひっくり返るような作戦だ。失った領土が戻ってくる事によって、どれだけの人間が助かるだろうか。

ナマエの父はご機嫌であった。調査兵がウォールマリアを奪還するともなると、その分娘の結婚に箔が付くからだ。

「それではエルヴィン団長、詳しい婚儀のこと等は帰還なされてから。楽しみにしております」

隣で口ひげを撫でながらそう言う父を見て、ナマエはその日のうちに家を出た。

今まで幾度となく家出をしたことがあったが、訳ありの女が集う住み込みの旅籠屋で働くのは初めてであった。勿論、家には帰っていない。そうしてナマエは僅かな賃金を貯め、ようやく着るものが揃った。

──父から与えられたもの。それは鳥籠の中で与えられた規則正しい餌のようで。それを身に纏い、彼等を見送りに行くのは違う気がした。

今夜はリーブス商会が調査兵団に貴重な肉や食料を多く提供したとかで、街中が浮足立っている。前祝いのようなものなのだろうか。ナマエはとてもそんな気になれないのに。

商人らが慌ただしく出入りしているお陰で、兵舎内にはナマエも簡単に入ることが出来た。ちらほらと、調査兵らしき人影が横切る。皆、私服であるけれど。ふいに窓ガラスに映った自身を見て、ナマエはそれから顔を背けた。なんて惨めなんだろう。

身を隠し、建物の間を縫うように走った。人が賑わう一角が見える。誰か……多分、リヴァイが。壁を背に座り込んでいる。しばらくそうしていて、ふいに癖のあるカップの持ち方で飲み物を持ち上げ、立ち上がった。彼もまた私服だ。

ナマエの心臓が跳ねる。小さな心臓だ。捧げる相手はただ、1人。

「……リヴァイ!」

暗闇から顔を出し、言い放つ女にリヴァイは目を見張った。一瞬誰なのかわからない風だった。

「オイ……オイオイオイ。なんて恰好だ、お前」

冷やかしか?と言いながらもリヴァイはナマエに近付き、黙って手を繋いだ。指は絡み合い、てのひらが重なる。片手には酒の入ったコップを持ったまま、リヴァイは黙って歩き始めた。

「どこに行くの」

「お前が勝手に入って来たんだろうが」

時たま通り過ぎる人らがナマエを見ては二度見する。まさかあの貴族家のナマエと思わないのだろう。兵舎内で兵士長が浮気とは強気だな、くらいに思われたのかもしれない。

リヴァイは先日ナマエが訪れた執務室では無く、私室となっている部屋へとナマエを招いた。ナマエが想像していたより、ずっと質素な室内だった。

外はもう十分に暗い。閉められたカーテンがはびこる喧噪と緊張とを遮断する。小さな丸テーブルの上に持ってきたカップを置いたリヴァイは、ベッドの上に腰掛けた。

「随分、服のセンスが変わったようだが」

「そう……ね。センスが変わったの」

「悪く無い冗談だ」

扉の前で立ち尽くしたままのナマエを、何かに疲れたような、明日を憂うような、切なげなリヴァイの瞳が見ている。

今言っても、きっとこれはナマエの自己満足。でもこの一言を告げる為に、言いたいが為に、ナマエは全てを捨てたのだ。

「今すぐ結婚したいの」

「……あぁ?」

睨むような三白眼が少しだけ弧を描く。空気がわななく。近いようで遠回りしてきた2人が確かに、今。

「聞こえなかった?私を……今すぐお嫁さんにして」

「そういう、ことか」

「今私が、私自身が手にしているのはこれだけよ。粗末な服、それから貴方が好きだってこと」

は、と笑いながらリヴァイは手の甲で口の辺りを隠した。急に込み上げた笑いは久しぶりのものすぎて、気恥ずかしかった。

「なぁ……お前のそういう愚かな所に俺は惚れてんだ。知ってたか?ナマエよ」

「知らないわよ」

不貞腐れてナマエがそっぽを向くと、リヴァイは「来いよ」とナマエを手招いた。

優しい抱擁だった。

これまでリヴァイはナマエにこんなに優しかっただろうか。優しかった。彼は、きっと最初から。

「最初にお前との婚約話しが出た時、俺は勿論乗り気じゃなかった。どんな面してんのかと拝みに行ったら、お前はあの様だ。限界まで酒を煽りやがって、旦那と寝る前に処女を捨てたいと宣ったな」

「やめてリヴァイ」

「お前の生い立ちは大方想像がつく。その中で、抗う姿勢は悪くねぇと思った。まぁ……やんちゃが過ぎた時もあったが」

「リヴァイ、もう」

「泣き喚く顔は俺の好みだ。悪くねぇ。だが俺も大概焼きが回ったらしい。お前を、笑わせてみたくなった」

「リヴァイ」

絶対に泣くまいと心に決めてきたのに、腕の中はナマエの涙の湿度で溢れていた。温もりが飽和する。

(私が泣いてどうするのよ)

全てを捨て、ただのナマエになって。これまでのことを謝って、彼に受け入れてもらいたかったのに。

「勘違いするなよ。今夜はお前を抱かない。帰ってきてからだ」

ぽつりと零されるように放たれたリヴァイの言葉に、ナマエはリヴァイの腕の中で身を縮こまらせた。

「やっぱり……何も無い私じゃ駄目、よね」

「勘違いするな馬鹿野郎。帰って来たらすぐに抱き潰してやる。すぐにだ、わかったか?ここで待ってろ。初夜が数日お預けになるだけだ」

今更初夜?とナマエが視線を持ち上げると、リヴァイはナマエのまぶたに触れるだけのキスをした。唇は鼻筋を辿り、柔らかに唇どうしが重なる。

「それにな、男は一発抜いた後が一番腑抜ける。少し溜まってるくらいがちょうどいい」

「こんなに優しいキスの後一番に言われたくなかったわ」

「許せ。これも願掛けみたいなもんだ。俺は一番食いてぇもんを最後までとっとくタイプだからな……嫁との初夜もとっておく」

そんな願掛け、一番叶わない願いの常套句じゃない!いつものナマエならそんな風に反論しただろう。でもリヴァイが言ったら何故か、酷く説得力があった。リヴァイがここで待っていていいと言うなら、その通りにしよう。ただのナマエは、リヴァイ・アッカーマンの妻になることを許された。

この日初めて2人は、ただ抱き合ったままベッドに入った。時折リヴァイは、いたずらにナマエの胸に触れたりしたけれど。

翌日には刃を振るい、巨人を削ぎ、仲間の命を救うであろう腕の中に、ナマエは切なる想いを持って収まった。リヴァイが眠ってしまった後もずっと、その寝顔を眺めていた。朝が来るのが恨めしい。まだ眠っている彼を──私の旦那様を起こさないで。そんな風に祈りながら。

白いシーツは清潔で静謐で、もうこれが結婚式のようなものだと2人は思う。証人も祝言も何も無いけれど、今この時、2人は確かに夫婦になったのだ。

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