AOT中編 | ナノ


▼ 3.鳥籠

閉め切られたカーテンの隙間から朝陽が零れる。室内の温度が上がったせいか、花瓶に生けられた花が開いていた。湿気に反応するような、雨の中にいるような。そんな草の根を思わせる、紫の花だった。


明るく朗らか、機転が利いて面倒見も愛想も良い。同期、先輩、後輩と問わずナマエは人気者だった。立体起動の腕は特別秀でていたわけではない。けれど持ち前の努力と瞬発力で、数多くの壁外調査をこなしていた。

リヴァイがナマエにそうであるように、ナマエもリヴァイの恋人である前に「兵士」だった。お互いを強く求めながらも、兵士としてのお互いを尊重していた。2人の未来は兵団の未来と平行してあった。そうなくては、いけなかった。

「でも……もういいじゃねぇか」

ぽつり、とリヴァイは呟く。穏やかな寝息を立てるナマエの耳にそれは届かない。

全てを忘れたナマエ。リヴァイの存在しか知らないナマエ。透明な中に揺蕩う、儚い存在。もう彼女は「彼女」じゃない。リヴァイが認識していた個体とは別物になってしまった。

「俺しかいねぇよな」

リヴァイはベッドから飛び起きると、散らかった衣類をかき集めた。自身とナマエの身支度を整え、眠るナマエに口付けた。

「すぐ迎えに来てやる」

耳を澄ませば階下では人の動く気配がした。医師達も動き出す時間なのかもしれない。手続きをするなら早い方がいいと、リヴァイは病室を出た。


***


朝議を終えたエルヴィンの元に、最初に訪れたのはハンジだった。

「リヴァイ、昨夜は戻ってないらしい」

「……知っている」

マホガニーの執務机に座り、エルヴィンは膝の上で両手を組んだ。

「どうする気なんだろう。エルヴィンも、このままでいいと思ってるわけじゃないだろう?」

「俺達が介入する問題じゃないが……そうだな。ナマエを失っただけでも十分な痛手だったが、リヴァイまでとなると……」

「損失どころの騒ぎじゃないよそんなの。人類にとってもね」

ここで2人が話し合ってもなんの解決にもならない、それはわかっていた。けれど解決の糸口はどこにも無いのだ。ナマエは兵士ではなくなった。ただ、それだけなのに。

「迎えに行った方がいいかな?」

「リヴァイをか?まさか……」

今にも飛び出して行きそうなハンジを諫めるかのように、控え目なノックが響く。エルヴィンの返答を待たずして、扉は静かに開いた。

「リヴァイ……」

いつもに増して目の下の隈は濃く、疲弊している風だった。片手にマントとジャケットを持ち、しかしクラバットだけはしっかりと首元に結わえて。

「お……おかえり」

ハンジが狼狽えつつもそれだけを口から捻りだしたが、リヴァイはそちらを一瞥することもなくエルヴィンの机の前に進み出る。

「エルヴィン、報告がある」

「何の報告だ?」

「ナマエのことだが」

そのまま話し出す様子に、ハンジは押し黙って様子を見守った。

「聞こうか」

「ああ……あいつの身柄は俺が引き受ける。今俺が兵舎で使っている部屋より広い場所を希望する」

「リヴァイの部屋に住まわせるということか?大丈夫じゃないだろう」

記憶が抜け落ちたナマエは今や子供同然の脳みそ。そんな人間が、忙しいリヴァイと居を共にするのは現実的ではない。

「俺の目が届かないうちは……壁外調査の間とかな、そん時は俺が人を雇う。俺の金でする話しだ。兵団としても異論はねぇだろうが」

相談ではなく、報告。もうリヴァイの中では決定事項なのだろう。

「ちょっと待ってよ!まだ他に方法はあるんじゃないか?病院を変えてみるとか……いっそもっと環境の良い、人里離れた場所に置いてみるとかさ!」

「ハンジ。俺はもう、決めた」

「それがお前の答えか?」

エルヴィンは真っ直ぐと、リヴァイを睨む。

「ああ。エルヴィン、部屋の方は頼んだぞ」

「それでまたリヴァイが飛べるのなら……享受することとなるな」

は、とリヴァイは鼻で笑う。口角を上げて横目で2人を流しながら、振り返って部屋を出た。颯爽とした振る舞いは、まるで彼の背中に翼が生えているような。

あっという間にいなくなってしまった話題の主が消えた部屋。ハンジは扉の方を向いたまま、ぽつりと口を開いた。

「ねぇエルヴィン……」

「ハンジ。君もそろそろ仕事に戻りなさい」

「聞いてよ。昔さ、近所に住んでた男の子が小鳥を買ってもらったんだ」

唐突に出されたハンジの昔話に、エルヴィンは書類に落としていた視線をハンジの方へと向ける。

「可愛い小鳥でね。鳥籠も特注で作ってもらったとかで、みんなに自慢してたよ。それでさ」

ハンジはまだ、リヴァイが出ていった扉から目を離さない。

「その小鳥を籠に入れる時、羽根を切ったんだよ。賢い小鳥は自分で開けて出ちゃうからって。綺麗な羽根だったのに。白や黄色のね……」

「何が言いたい、ハンジ」

「今のリヴァイさぁ……その羽根を切った男の子と、同じ顔して笑ってたよ」

「そうか」

それ以上ハンジも言い返すことは無く、黙ってエルヴィンの部屋を出た。廊下の窓から外を見ると、ちょうど馬に跨るリヴァイが視界に入る。きっとこれから、ナマエを迎えに行くのだろう。

あの男の子の小鳥はいつ死んだんだっけな──ハンジはぼんやりと、そんなことを思った。


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