▼ 3 tea spoon***
「返してもらうぞ」
壁際に置かれた枕の上で眠っていたナマエは、冷やりとした空気に触れて目を覚ました。
「リヴァイ……返してください」
「馬鹿言え。もともと俺の物だ」
普通の布団では小さなナマエには大きすぎる。ここ数日はずっとリヴァイのクラバット(ハンカチという代打案をリヴァイは提示したが肌触りの関係でクラバットに落ち着いた)を掛け布団にして眠っていたナマエ。
「今朝はいつもより早いですね?」
「今日から壁外だ」
「……!」
少し皺になったクラバットを睨むと、リヴァイは手早くそれを首に巻きつけた。いつもの潔癖症のリヴァイなら一度洗濯をする所だが、ナマエが包まっていた布は例外だ。ナマエの残り香はリヴァイ好みの優しい花の香りがする。
「私もすぐに支度します!」
「支度と言ってもお前……」
ふわふわの枕のベッドの上で、ぴょんぴょんと飛び跳ねるナマエ。リヴァイは黙って指通りの良い髪の毛を一度撫でつけて、自身の胸ポケットに放り込んだ。
「支度完了です!」
「……ああ」
リヴァイの胸ポケットにはボタンが3つ。初めての壁外調査に伴って、ナマエが大きくなっている間に自分で縫いつけたのだ。簡単に飛びだしてしまわないように。
***
───3日前
書類仕事の合間にリヴァイは一冊の本を机の上に広げた。
「ナマエ、これを見ておけ」
「なんでしょう?」
窓辺で外を眺めていたナマエはのろのろとリヴァイの机の上を歩く。広げられた本を覗き込むと、そこにはナマエの知らないこの世界のことが書かれていた。
「……巨人?」
「ああ。壁の外にいやがる奴らだ」
とは言っても、巨人の存在は説明した所でナマエにとってはあまりピンとこない存在だった。そもそも妖精時のナマエから見れば、リヴァイ達も立派な「巨人」だ。
「コイツらを絶滅させるために、俺達はここにいるわけだ」
先ほどまでナマエが眺めていた窓辺に、リヴァイは視線を移した。外では大勢の兵士が訓練に勤しんでいる所だ。
「リヴァイの一番の目標は……巨人を絶滅させることですか?」
唐突な質問に、リヴァイは若干面食らう。そうだなと言いながら彼は頬杖をついた。
「じゃあ巨人が絶滅したら、私は人間になれるかもしれません」
「あぁ?」
「紅茶の妖精は主人に着き従い、主人を癒すのが仕事です。その中で主人の一番の目標や願いが達成された時、ご褒美として人間になれるそうなんです」
「なんだその馬鹿げたルールは」
「さぁ……紅茶の神さまがそう定めたので……でも前例はあまり無いそうです」
リヴァイの肘の下でカラカラと笑うナマエ自身も、あまりそのルールは信じていないようだった。
「私はこのままでいいんですけれどね。リヴァイは、本当に美味しそうに紅茶を飲んでくれますから」
仔猫にするように、リヴァイは指先でナマエの首をゴロゴロと撫でる。ナマエは気持ちよさそうに目を細めた。
「リヴァイは私に……人間になってほしいですか?」
「さぁな……」
そこから話題は切り替わり、三日後の壁外調査の話しになった。壁外にいる間は決して胸ポケットから出ないこと、リヴァイの言う事を良く聞くこと、静かにしていること。
それから
「俺が外で立体起動を使っていると思ったら、耳を塞いでおけ」
しんと、空気が冷たくなるような口調でリヴァイはそう言った。
***
胸ポケットに入ってからしばらくが経った。今回の壁外調査は2日に亘り、ナマエは言いつけ通りその中で大人しく沈黙を守っていた。
ナマエがリヴァイの元に訪れて、こんなに長く会話を交わさなかったのは初めてのことだった。真っ暗なポケットの中、ナマエは自分がリヴァイの元へ遣わされた意味をただ考えた。
ナマエには計り知れない重責を背負っているリヴァイという人。その人に与えることが出来る、僅かな安らぎ。
うつらうつらと、もう何度目かの睡魔が訪れた時、頭上のポケットから光が差し込んだ。
「オイ、酔ってはねぇか」
「リヴァイ……もう壁の中ですか?」
「いや、まだ壁外だが……他の連中とは少し離れた場所にいる。帰還している最中だ」
リヴァイの声は少し小声だ。
「顔を出してもいいですか?」
「ああ」
ひょっこりとナマエがそこから顔を出すと、久しぶりの光にナマエは目を細めた。肌の色が変わって見えるほどの、煌々とした夕焼け。
「お疲れですね」
「疲れてねぇように見えるか?」
ふ、と笑う彼の顔には影が落ちて見える。ナマエの小さな小さな胸は、きゅうと絞めつけられた。
「……巨人は絶滅したんですか?」
「馬鹿か。そう簡単に絶滅したらこんなに苦労はしてない」
そうですか、とナマエは残念そうに目を伏せた。彼女には完全に伝わらないであろうこの世界の理を、リヴァイは不思議な感覚に思う。
「しかし……そうだな……帰ったら、紅茶を飲ませてくれ」
ふいにリヴァイが微笑んだ。ナマエが喜んで顔を上げると、少しだけ紅茶の良い香りがリヴァイの鼻腔にまで届いたような気がした。
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