ティーポットフィッシュ | ナノ


▼ 4.不自然な疎通

夜。

ナマエがベッドに潜り込むと、少し経ってからリヴァイもソファへと腰掛けた。昨夜と同じオレンジ色の視界の中、リヴァイも同じように、黒のボックス型のカバンから四十五発分の銃弾を取り出し、三列にし、三つのマガジンをセットした。

あまりにも静かすぎると、ピカピカに光るフォルムが爆発しそうで。張り詰めた空気を崩したくて。ナマエはリヴァイの方に体の向きを変えると、恐る恐る、口を開いた。

「……昨日も同じことしてた」

「ああ。今日は一発使っちまった。使わなくても使っても、この作業はルーティンだ」

リヴァイのひじは膝の上に乗っていて、指先だけが器用に弾を扱っている。そのやや猫背気味な姿勢が妙に柔らかな印象で、ナマエは話しを続ける気になった。

「リヴァイは銃の扱いも、ナイフの扱いも慣れてるよね。殺し屋なの?」

「誰が人を殺したって?」

「違うの?」

「違う。今やってるのは誘拐だ」

薄く細められたダークグレーの瞳が、ナマエの方を睨む。

「わからない」

「あ?」

「どうしてリヴァイが私を誘拐したのか、わからない。リヴァイと兄が、知り合いのように話していたのかも。聖典が、なんなのかも。そんなに必要なものなの?」

リヴァイは三つ目のマガジンをボディにセットして、スライドさせ、またテーブルの上へと置いた。深い、ため息を吐き出して。

「知らないままでいいなら、その方がいいってこともある」

「どういうこと?」

「家に帰って兄貴から聞け。必要なら、髭面の野郎が喋るだろ」

「兄のこと悪く言わないで」

ぴしゃんと言い放つナマエに、リヴァイは少し驚いたようだった。ナマエ自身も驚いた。

「そうか。悪かったな」

「うん」

リヴァイはサングラスを取り出そうとしたが、しばらく銃を見つめたまま、動かなくなった。なにかを考えている風に。それから銃を腰のベルトに挟み込むと。

「紅茶でも飲むか」

「え?」

「ガキにはミルクティーだな」

それはナマエに向けたリヴァイのひとり言で。

返答を待たずして、リヴァイはキッチンに立つとミルクパンを取り出した。ロイヤルミルクティーを淹れるつもりなのだ。

「拳銃持ってそんなの作る人、見たことない」

「今日初めて見ることができた。よかったな」

チッチッチ。小鳥の鳴き声みたいなコンロの点く音がして、部屋の中には急に温もりが満ちた。誘拐犯とミルクティー。なんてとりとめのない組み合わせ。

ナマエもベッドから起き出すと、素足のままでリヴァイの背後に近付いた。そろそろと近付いていたので、途中でリヴァイが振り返り「歩くなら堂々と歩け」と睨んだが、それでも静かに近付いた。

「お鍋で紅茶を淹れるの?」

「ミルクティーはそういうモンだ。カップにミルクを注ぐのは邪道だな」

「ふぅん。私いつもコーヒーなの」

「気は確かか?」

「え?」

ワンテンポ遅れて、ナマエはそのリヴァイの発言が「コーヒー嫌い」だということに気付く。

「その……リヴァイの言い方って、ジョークなの?」

「お前こそ人をからかってんのか?」

言われて、ナマエは吹きだして笑った。

「リヴァイって」

「なんだ」

「ううん、いいの。続けて」

リヴァイは一瞬だけナマエを睨んだが、すぐに視線はミルクパンの方へと直った。口の端が少しだけ、上を向いている。紅茶を淹れる時は優しい顔になるのかしれないと、ナマエは思う。

ブラウンシュガーとハチミツの効いたロイヤルミルクティーは、誘拐犯の威厳までをもミルクティー色に染めてしまいそうなほど、甘くて美味しかった。「カフェのやつより美味しい」とナマエが呟くと「当たり前だ」とリヴァイは言う。

チョコチップクッキー、冷えたミルク、ロイヤルミルクティー。

甘いものばかりを摂取して、ナマエの頭も随分甘くなったのかもしれない。目の前で怖い顔のままカップを傾ける誘拐犯は、なにがあっても自分に危害を加えないのではないだろうか、という気持ちになっていた。

昨日の電話では、ナマエと聖典との取引の期限として三日が設けられている。

三日が過ぎて、ナマエに人質の価値がないとリヴァイがみなすと殺される。そう思っていたが、あれはジークに聖典を出させるためのリヴァイの方便なのでは?

殺すかもしれない相手に、こんなものを出すだろうか。殺すかもしれない相手を、あんな風に助けてくれるだろうか。服を洗濯してくれるだろうか。

(まだ……わからないけど)

なにがリヴァイにフィルターをかけているのだろう。

二人のカップの中身がなくなった頃。時刻はすでに午前二時。前触れもなく、リヴァイのスマートフォンが着信を告げた。静かな室内にバイブ音が鳴り響く。

とろんととろけそうな眠気も覚める、リヴァイのスイッチ。

「お前は喋るな」

ナマエはダイニングテーブルのイスの上で、膝を抱えて座り込む。妙な緊張が背中を走った。

「ちょうど寝る所だった。もう少し時間を考えてかけてこい」

スマートフォンは手に持ったまま、リヴァイはスピーカーにしている。ジークの声はナマエの耳にも届いた。

「時間なんて気にするわけないだろ。おい、お前妹に手を出してないだろうな」

「下品な奴め。俺は出しちゃいない。昨日の昼間、知らねぇガキどもに襲われかけたが」

「なんだと?」

「まだ傷物になっちゃいねぇよ。それより用件はなんだ」

電話の向こう側からは、ジークが喉を鳴らす音が聞こえてきた。たっぷりとした覚悟を呑み込んで、それから。

「聖典を用意する。妹を返して欲しい」

「懸命な判断だ」

「ただし二日待ってくれ。準備をするのに時間がかかる」

リヴァイはひとさし指で耳の裏のあたりを引っかき、考え込んだ。

「……わかった。二日後の午後九時だ。それまでに用意しろ」

「必ず準備するから、妹は無傷で返してくれ」

「安心しろ。傷は……少ししかついてねぇ。口の端とか、な」

ナマエはばつが悪そうに口元を押さえ、リヴァイに視線をやった。リヴァイもナマエを見ていた。

スピーカー越しからはジークの怒鳴り声が響く。

「うるせぇな」

「ナマエに万が一があったら、お前を殺して俺も死ぬからな!リヴァイ」

「そうかよ。てめぇだけ勝手に死ね。二日後、九時。場所はレベリオ地区ディアボロ通り、中央公園セントラル・パーク北側にある廃ビルだ。そこで妹と聖典を交換する」

「妹の……声を聞かせてくれ」

リヴァイはスピーカーをナマエに向ける。なにか喋ろ、と視線で語っていた。

「お兄ちゃん」

「ナマエか?!襲われたってなんだ!傷は……大丈夫なのか?」

「うん。どちらかといえば大丈夫、かな」

「すまない。あと二日堪えてくれ。必ず、必ず迎えに行く!」

「お兄ちゃん」

口に出すと、声は震えていた。無意識に込み上げる涙。もうあと少しでもジークに弱音を吐くと涙が止まらなくなりそうで、ナマエは口を押さえてうつむいた。

リヴァイはすぐに、スピーカーを切る。

「いいか。場所を間違えるなよ、髭面」

耳にあてられたスマートフォンから、もうジークの声は聞こえない。リヴァイが電話を切ったのを確認してから、ナマエは長いため息を吐き出した。

「家に帰りたい」

ため息の終着に吐き出した呟きは、深夜のワンルームを冷たくするには十分だった。

「ベッドに入れ。オヤスミの時間だ」

「とっくに過ぎてる」

ナマエの口調は少し怒った風であったが、リヴァイはそれについて言い返してはこなかった。その代わり。

「……兄貴はどんな奴だ」

布団に潜り込んだナマエは、サングラスをかけるリヴァイを見やる。

「知り合いじゃないの」

「お友達ってわけじゃねぇ。少なくとも今はな」

「どんなって」

物心ついた時から、彼は「お兄ちゃん」だった。

もともとジークは、研究している宗教学の活動の一環で、ナマエが保護されていた孤児院にボランティアスタッフとして来ていた。

彼等のようなボランティアは、孤児院の子供達からすると総じてお兄ちゃんとお姉ちゃんで、ナマエが今なお、お兄ちゃん呼びから抜けだせないのは当時からの習慣でもある。

「うちにもナマエと同い年の弟がいるんだ。今度連れてくるよ」

そう言ってジークが日曜のミサに連れてきたのがエレンで、ナマエはエレンともすぐに仲良くなった。

「ナマエのことは俺とジークで守ってやる」

ナーサリーでは友人も少ないというエレンがナマエに懐いたのは極めて異例で、エレンの向こう見ずな性格を心配していたジークが、エレンにはナマエがいた方がいいと判断した。そうしてナマエは徐々にイェーガー家に通うようになって、正式に養女になっていったのだ。

(そういえば……エレンは私が誘拐されたって知ってるのかな)

さすがにジークが連絡をしているだろう。心配してくれるだろうか。家には、帰ってきてくれているだろうか。ナマエはリヴァイと話していたことも忘れて、すっかり黙り込む。

「……どうした」

交差させた腕の下で表情を隠しているナマエ。リヴァイはサングラスの隙間から、彼女の様子を伺っていた。

「兄は……ジークは良い兄よ。でも、私は良い妹になれなかった」

「なぜだ。ずいぶん仲良しに見えたが」

「私のせいであの家の兄弟はバラバラになったの。私にも理由はわからないけれど、今は取り繕ってるの。頑張って、もとに戻したくて」

今となっては、エレンに好かれたいのかジークに捨てられたくないのか、どうしたいのかナマエ自身にもわからない。

ただ、それでも家に帰りたい。ナマエの帰る場所は、あの家しかないのだから。

「私、どうしてリヴァイにこんな話をしてるの?」

「俺が聞いたからだ」

ナマエが鼻で笑うと、リヴァイも同じように笑った気配がした。

「二日後にお前は家に帰れる。俺は聖典を手にする。ハッピーエンドだ」

「リヴァイはね」

声に皮肉が乗っていた。リヴァイに向けてなのか、自虐なのか。

「……聖典がどんなものか、私にはわからないけど。それをリヴァイに差し出すことで、兄が不利になることはなんとなくわかる。だからきっと、家に帰っても元通りにはならない。私のせいで失ったものを埋めるのに、私また、頑張らなきゃ」

ナマエが寝返りを打つ。真っ直ぐと視線を動かさない、リヴァイの横顔を眺めた。つんとした鼻先は形が良くて高い。彼の矜恃みたいに。

「私が聖典以下の存在だったら、一生リヴァイのこと恨むから」

あくびまじりの恨み節は、一分の隙もない誘拐犯の高々とした鼻っ柱をへし折った。しかしすぐに目を閉じてしまったナマエに、それは知る由もないことだった。


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