▼ 3.真夜中のピクニック
夜間の外出は基本的に禁止だ。
訓練兵の時と違い、各兵団に所属すると門限も緩和されるし、申請をすれば外泊や門限以降の外出も出来なくは無い。しかしナマエ達はなんといってもまだ配属して一カ月にも満たない新兵。そんなことをしようとする猛者はなかなかいないし、する理由も無い。
そんな中、件のリヴァイは規律を意外と守る。しかし。
(リヴァイ兵長は冗談っぽく言っていたけれど……)
壁外に出れば、否巨人が壁を破って来る恐れがある今。最前線に立たなければいけないナマエ達にとって、明日どうなるかはわからない。それならば、一度くらいいいのではないかとナマエは思案する。
日中はナマエも訓練続きで、リヴァイも旧調査兵団本部にいるのが常だ。距離でいうと、訓練兵の時と変わらない。そして幸いなことに女子寮の作りは縦に長い建物で、ナマエ達新兵が奥の方のベッドを占領している。一番奥のナマエのベッドの隣は窓だ。
(抜け出すには申し分ない!)
その夜、ナマエは制服を持ってベッドに潜り込んだ。入口の方の先輩達の話し声が止むのを確認し、室内の灯りが完全に消えてからこっそりと制服に着替える。完璧だ、これであとは窓から出るだけーーーとなったところで、思い出した。隣のベッドには、ミカサがいる。
「……どこに行くつもり」
これがサシャやクリスタであれば様々な方便が使えたが、ミカサには通用しない。リヴァイに会いに行きたい事はすぐにばれてしまう。
「……ちょっと散歩に」
「私も行こう」
立ち上がったミカサは、いつの間にか制服だった。
「ベッドに入る前からばれてた?」
「ばれないとでも?」
暗がりに目を凝らすと、各ベッドの膨らみは規則正しく上下している。全員が寝ているのをもう一度確認して、ミカサとナマエは窓から身を乗り出した。
女子寮を抜け、男子寮の脇をすり抜け、人気が無い所でミカサは「行先は、あのチビの所だろう」と呟いた。
「やっぱりそれもばれてる?」
「当たり前」
「手厳しいなぁ」
ナマエの小さな笑い声と、ミカサのため息。こうなればリヴァイの元に行くことは叶わないが、眠れない夜に兵舎の敷地内を少し歩くのも悪くない。
「でも、最近ナマエと話す機会がなかった……から、ちょうどいい」
「そうだねぇ。座学や合同訓練の時は一緒だけど、班別の訓練になると別々だしね。食事もすれ違ってたし」
うん、とミカサが頷くと、その形の良い顎のラインはマフラーの中に埋まった。
「ミカサも、エレンとしばらく離れ離れで寂しい?」
「寂しい……というより心配」
「大丈夫だよ」
ナマエがそう言うと、ミカサの目付きが鋭くなる。
「ごめん、この話しはこれ以上やめておく」
「そうして。ここで心配していても……何もならない」
そう言って視線を下げたミカサが、ナマエにはいつもより小さく見えた。なんとなく、そっとその頭に手を伸ばした。いつもリヴァイやハンジがやってくれるように、ぽんぽんと優しく撫でる。
「私、ちゃんと聞いてなかったんだけど。ミカサは……見たの?エレンが巨人になったところ」
頭を撫でられながら、ミカサはこくりと頷いた。
「正直ね、まだ信じられないの。私は、その現場を見ていないし……想像つかなくって」
「私は、見た。巨人の中から、エレンを引き摺り出した」
絞り出すように言いながら、ミカサは頬の傷に触れる。それが、その時についた傷なんだとナマエは気付いた。
「でも、エレンは……エレンだ。どんな姿でも、私はエレンを守る。それだけ」
「ミカサはぶれないね」
「ナマエもでしょ」
「うん。なんだ、わかってくれてるんだね。ミカサ」
「ナマエの人生が動き出したのは……あのチビに会ってからだ。悔しい、けど」
ふふ、とナマエは目尻を下げる。
「みんなで、生きて帰って来られるかな」
「帰って、来る。絶対に」
「……うん」
気付けば2人は、寮の裏手にある雑木林の池の前まで歩いてきていた。少し、広場のようになっている場所だ。そこだけぽっかりと広く、ちょうど満月の今夜はほんのりと明るかった。
「おい、そこで何をしている!」
低い声が急に響いて、ミカサとナマエは同時に体を固くして振り返る。
「なんてな」
よ、と言いながら片手をあげるジャンに、背後にはアルミン。
「2人とも、夜間の外出は禁止だよ?」
遠慮がちにジャンの背後から顔を出すアルミンの髪は、月灯りに照らされてキラキラとして見えた。
「アルミン。もう戻るよ」
「ナマエにそそのかされた」
「ちょっとミカサ!」
「冗談」
あはは、と2人を見て笑うアルミン。ジャンはナマエの首に腕をかけると、ミカサとアルミンには聞こえないように、振り返って声のボリュームを下げた。
「ミカサと何話してたんだ?」
「ジャンもぶれないねぇ」
「何の話だよ」
いぶかしげに顔をしかめるジャン。
「ナマエに乱暴はよして」
「ミカサこそぶれねぇよな!」
「それはもう言われた」
ふぅ、とため息をつきながらミカサはマフラーを巻きなおす。
「アルミンはジャンにそそのかされたんでしょ?」
ナマエがそう言って振り返ると「うん」と困った顔で頷くアルミン。
「お前らが外歩いて行くのが寮から見えたんだよ。兵舎内っても、女だけで物騒だろうが」
照れ隠しに視線を逸らせながらジャンがそう言うと、ミカサとナマエは揃って「誰に向かって言ってるの?」と首を傾げる。
「……僕も一応、それは言ったんだけれど」
「あのなぁ!いくらミカサとナマエでも」
「ジャン、声が大きい」
ぴしゃり、と言うミカサにジャンは押し黙る。
「ナマエ、女子寮の雰囲気はどう?」
「うん?どういうこと?」
アルミンの思わぬ問いかけに、ナマエは首を傾げる。
「男子寮の方は少しピリピリしてるっていうか……みんなまだ緊張が解けてない感じなんだよね。僕もジャンもさ、眠れていなかったし」
「そういうこと……女子の方はあんまり変わりないんじゃない?ねぇ、ミカサ」
少し前を歩くミカサは、こくりと首を縦に振る。
「お前が一人きゃっきゃしてるからだろ、それは」
「それ褒めてるの?けなしてるの?」
ミカサの隣を歩くジャンは、振り返りながら意地悪そうに笑う。
「ジャンは褒めてるんだよ、ナマエ。ナマエは人の顔色を見ながら、自分らしさを失わないことが出来るだろう?」
アルミンのフォローに、ジャンは「ふん」とわざとらしく顔を背けた。
「そう、かなぁ……」
4人は、男子寮の前まで自然と折り返してきていた。ちょうど反対側には、リヴァイやハンジ達の部屋がある建物が並ぶ。ナマエは自然とリヴァイの部屋を見やると、そこは小さな灯りが揺れていた。
昼間ハンジに言われたことと、今アルミンに言われた言葉が、その頼りない灯りのようにゆらゆらとナマエの頭の中に揺れた。
(素直になって……私は、私らしく)
思えば事態は畳みかける様に襲い掛かってきた。命を落とした同期達の前では、些細なことではなかったかもしれない。けれど、ナマエはずっと動揺していたのだと初めて気付いた。
欲しい物は奪え、力をつけろ、そう叱咤されて育てられたのは3年前。
けれど臆病になっていたのだ。彼の、ほんの少しの拒絶に。きっとあともう一歩は、自分から踏み出さないといけない。頑張るだけじゃなく、そこに勇気を重ねるのは自分。
今のおかれた環境も、状況も、気持ちも。初めの一歩を決めるタイミングは自分自身だ。
「……じゃあ、僕たち寮に戻るよ?ナマエ達も大丈夫?」
「ちゃんと真っ直ぐ帰れよ」
アルミンとジャンも窓から抜け出してきたらしく、裏手の方の窓に回ろうとしていた。
「おやすみ」
ミカサがそう呟くと、ジャンは「おう」と口を濁し、アルミンは「おやすみ」と微笑んだ。2人の背中をしっかりと見送って、ナマエはじっとミカサに向き直る。
「ミカサ、ちょっと先に戻っててもらってもいい?」
「……そう言うと思った」
「先に寝ててね?」
「あいつを倒す理由が、増えた」
「ミカサぁ……」
ナマエの情けない声。しかしミカサはゆっくりと歩き始め、少しだけ振り返ると、いつになく柔らかい表情をしていたのだった。
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