▼ 15.不自由な素数
ーーーリヴァイ兵長は、私の気がおさまるようにキスしてくれたんだろうけれど、あまり嬉しく思えない。きっと、子供をなだめるようなキスだったからだ。
じゃあ、私はどんなキスなら満足なんだろう。私はリヴァイ兵長と、どうなりたいのだろう。
告白もしたのに。そんなことすら曖昧で。だから、子供なんだ。
***
昨夜ナマエはあれから程なくして、照れ隠しに「エレンと分隊長の様子を見てきます」と言ってリヴァイの部屋を飛び出した。そして食堂で懇々とハンジに追い詰められているエレンを見て、ナマエはペトラの部屋へと逃げ込んだ始末。
(どうやって挨拶したらいいんだろう。リヴァイ兵長は平気なのかな……それとも大人はこれくらい普通に、なんでもなかったみたいに出来るのかな)
悶々としながら着替えをしていると「どうしたの?」と不思議そうなペトラ。そうだ、とナマエは唾を呑みこんだ。ここは大人の分類に入る彼女に教示を仰ぐべきだ。
「ペトラさん、聞きたい事があります」
「何?急に改まって」
「はい……あの、大人の人って、キスしたりした次の日、どんな風に接したりするんですか?」
もう少し、上手い言い回しは出来たはずだ。しかし今の彼女は色々と追い詰められている。
(兵長!何やってるんですか!)
思わずペトラは心の中でツッコミを入れるが、それを受け止めてくれる者はどこにもいない。そして同時に、昨夜急にやってきて「泊めてくれ」と言って来たナマエの行動の所以が結びついた。
「えーっと……それって、どういうキス?」
「キスに種類があるんですか?!」
「うん。そうね、本題に入るまでは長そうだわ。とりあえずほっぺたにちゅ、とか、おでこにちゅ、とか色々あるじゃない?ナマエが聞きたいのはどういうキス?」
恐る恐るペトラがそう尋ねると、ナマエはさらに顔を赤くする。
「そういうのじゃなくて……もっと、あの、なんていうか、舌とか」
「舌?!」
ペトラがナマエの両肩に掴みかかったところで、ノック無くして扉が開く。同時に「ペトラ!」とオルオの声。
「ちょっとオルオ!ノックしなさいよ。今大事な話しを」
「捕えた2体の巨人が殺されたらしい。急いで本部に帰還するから、お前ら準備急げ」
は、とペトラとナマエの目が見開く。詳細まではわからない。しかしそれは、紛れもない緊急事態だった。
***
早馬で伝令にきたモブリットと、旧調査兵団本部にいた一同が到着すると、そこにはわずかに巨人を殺した際に立ち上る蒸気と、2体分の巨人の残骸が残っているだけだった。
「ソニー!ビーン!」
想像通りのハンジの絶叫に、ナマエは今朝方まであった甘い余韻が掻き消えた。
(……誰が、こんな。なんのために)
周囲からは「よっぽど巨人が憎かったんだろうな」などというささやき声が犇めく。
「ナマエ、どこ行ってたの?」
意識が遠くなりそうなところを、ナマエはぐいと手を引っ張られて我にかえった。
「ニファさん!」
「分隊長、立ち直るのに絶対時間かかるから。先に私達は仕事にかかるよ!」
そう言ってニファは走り始める。何をどう仕事にかかるかナマエには想像もつかなかったが、忙しくなりそうなことは伝わってきた。
目線だけで振り返ると、そこにはエレン達と立っているリヴァイの姿。
(リヴァイ兵長は……どう見ているんだろう)
この、事態を。
昨日の事がなければ、いますぐにでも聞けたのに。そう思いながらも、ナマエはニファの背中を追いかけた。
***
エルヴィンが一部の兵士を招集したのは、午後になってからだった。
「……うちの班員にも作戦は伏せたまま?」
少し伏目がちなハンジ。朝の取り乱した姿からは一転、その表情はひとつの部隊の命を預かる、分隊長のそれをしていた。
「ああ。敵がヒトの姿を成して潜り込んでいる可能性がある以上、作戦が漏れては元も子もない」
「見えねぇモンに、命を賭けろと命令するんだな。俺たちは」
部屋の端で立ったまま、壁に背を預けたリヴァイは腕組みをしながらエルヴィンを睨んだ。「そうだ」とだけ返事をするエルヴィンに、少しの間を持った後「了解だ」とリヴァイは小さく呟いた。
「でも、捕獲の可能性があるのなら、それなりの理由はうちの班員には説明させてもらう。準備もあるからね」
「ああ、そのあたりはハンジ。君の判断に任せよう」
「そうさせてもらうよ」
「話しは以上だ。他に何か質問は?」
エルヴィンが部屋の中をぐるりと見回すと、皆静かに首を横に振った。ここにいるメンバーは長い付き合いだ。多くのことを口にしなくとも、それぞれが自分の思考で理解し、判断を下せる人間ばかり。
緊張の糸が途切れると共に、ばらばらと兵士達は会議室を後にする。
エルヴィン、リヴァイ、ハンジそしてミケが残ったところで、ミケはリヴァイの前に立ちはだかった。
「ミケ、お前があんなにお喋りな野郎だとは思わなかったぞ」
「こう見えて結構弁が立つんだ。あれからナマエとは話したか?」
「……ああ」
「ならよかった。次の班の編成を聞いたか?」
含みを持たせる言い方に、リヴァイはぴくりと片眉を上げる。現在形式上、ナマエの上司となるハンジは、おそるおそる視線をリヴァイの方へ向けた。
「……ナマエはうちの班員となるんだけれど」
口ごもるハンジに助勢するように、エルヴィンが付け加える。
「ナマエはハンジ達の護衛班だ」
「あいつはまだ新兵だろうが」
「そう……だけど、彼女の実力はみんな見ているしね。貴方の生き写しのような子に護衛してもらえれば、巨人捕獲の成功率もぐっと上がるんだよ。実際、2体も捕えたじゃないか」
「真似してんのは見てくれだけだ」
声も表情もいつも通りのリヴァイだ。しかし、僅かな動揺は拭いきれなかった。
「リヴァイ、これはミケが進言して私が決定した。確かに新兵にとって荷が重い配置かもしれないが、お前もこのためにナマエを育ててきたんだろう?」
しん、と静かになる室内。
「エレン=イェーガーの件もある。今回、手段は選べない」
「わかっている。エルヴィン」
そしてリヴァイから部屋を出る。
ーーー調査兵団は104期訓練兵から新兵と共に、次の壁外調査を迎えようとしているのだった。
The end of
「2.turned the hat diamond」
「2.turned the hat diamond」
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