▼ 9.偶然な初陣
翌朝の調査兵団内は、早くから準備をする兵士達で騒がしかった。壁外調査に参加しないナマエも、送り出す際と帰還した際には諸々の雑務が充てられている。本当ならばトロスト区の門までリヴァイ達を見送りに行きたい所ではあったが、さすがにそれは難しい。
出立前にせめて顔だけでも見ることは出来ないものかと、彼の姿を目だけで探していると急に視界が暗転した。
「ナマエ!調子はどうだい?」
「ハンジさん!」
ナマエの視界を塞ぐようにして後ろから抱き付いてきたのはハンジ。そして振り返れば隣にはリヴァイの姿。2人は厩に向かう途中のようであった。
「兵長、おはようございます」
「ああ」
「今回はナマエの勇姿が拝めなくて残念だけれど、次回は楽しみにしてるよ」
他の兵士たちは朝からピリピリと緊張していた。ナマエも多少それにつられていたが、2人のいつも通りの様子を見てほっとした。
「はい。今回は留守を守ります」
「他の居残りの奴らは誰だ」
「他ですか?」
前回の壁外調査や訓練中に怪我を負い、戦闘不能となった兵士はナマエのように居残り組となる。ナマエは聞いている限りの兵士の名を挙げた。
「そうか……その中ならギードが一番序列が上のはずだ。何かあったら奴の指示を仰げ」
上官としての顔を見せて言うリヴァイに、ナマエは敬礼をしながら「了解です」と呟く。
「何かって、何があるのさ。壁外に出るのは私達だよ、リヴァイ」
「念の為、だ」
「心配性だねぇ。ていうか、そんな形式ばったことじゃなくてさ、貴方たち手を繋いだりキスしたりとかそういうのしておかなくていいわけ?」
「それはもういい」
言うなり、リヴァイはくるりとナマエに背を向けて歩き始める。ハンジはナマエとリヴァイを見比べながら「どういうこと?!」と声を荒げた。
取り残されたナマエは2人の背中を見送っていると、少しだけリヴァイが振り返り、目があった。先ほどとは違って、いつも2人の時に見せるような柔らかな視線。
(必ず、帰ってきて下さいね)
リヴァイの視線が「ああ」と返事を寄越した。
***
壁外調査に向かう兵士達が出立してから、ナマエは与えられた雑務の間に掃除にも精を出していた。あまりにもひっきりなしに動くので、その様子を心配したギードは「疲れてないか」と声を掛けた。
「ギードさん。お疲れさまです」
「エルヴィン団長達が帰還すれば、嫌でもまた忙しくなるさ。今の内に休んでおけよ」
「はい。でもなんだか落ち着かなくて」
「わからなくもないけれどな」
ギードはいつもはミケの班にいるらしいのだが、前回の壁外調査の際に右足を骨折していた。ゆっくりと歩く分にはもう大丈夫なくらいまでに回復しているらしいが、壁外へ出て巨人と戦うとなるとまた別だ。
「ギードさんも何かお仕事があれば言ってください。私、多分今ここで一番元気ですし、動きますよ」
「それは頼もしいな」
感じ良く笑うギードにナマエも微笑む。そこからは他愛無い会話のやり取りが続いた。新兵はどれくらい入ってきそうだとか、数日は天気がよさそうでよかっただとか。落ち着かないのはギードも同じのようで、そんなぎこちなくも穏やかな時間が訪れる。しかしそれはすぐに終わりを告げた。
2人が立ったまま会話を続けていると、まるで地鳴りの様な大きな音が響いた。だだっ広い食堂にいたので、大きな窓はカタカタと揺れ、天井からは小さく埃が舞っているのが見える。
音が完全に止み、また静かな食堂に戻ったところでナマエは静かに口を開いた。
「ギードさん……私、今の音聞いたことあります」
「奇遇だな。俺もだ」
両者の顔は青ざめていた。認めたくない、しかし彼等は知っている。昨日壊されなかったからと言って、今日あの壁が壊されない保証がどこにも無い事を。
「……ナマエ、立体起動装置をつけろ。本部内にいる他の兵士全員にも同じ伝達を。俺は様子を見てくる」
「私が行きます。ギードさんは脚を」
「いや、ナマエがこっちを頼む。万が一早急に動かなければいけない時、俺よりもお前の方が負傷兵を誘導できる」
「わかり、ました」
ギードはひとつ頷いて見せると、少し走り難そうな脚を引き摺りながら掛けていく。緊張感だけが取り残される。
(急いで伝達しないと)
ナマエは伝達ついでに本部内の兵士に一か所に集まってもらうよう呼びかけた。まだ真偽のほどはわからない。けれど、確信めいたものがあった。
本部内の全員が食堂近くの広間に集まり、各々がなんとか立体起動を装着し終えた時。行く時よりも更に青ざめた表情のギードが戻ってきた。息を切らせながら全員の前に立つと、一気に述べた。
「超大型巨人が出現!壁が破られた。我々は住民の避難の援護へと回る」
そんな、と小さく騒めき立つ。
「なんたってこのタイミングで」
「エルヴィン団長達が出て行ったばかりなのに」
口々に兵士達が呟く。ギードは怪我人の様子を見ながら、どこへ支援に回るかを簡単に割り振っていた。
「ナマエ、お前は」
「あの、ギードさん。エルヴィン団長達に報せに行く人はいますか」
「なんだって?」
もう動き始めている兵士がいる中、ナマエはぽつりと呟くようにそう口にする。
「早く、報せた方がよくないでしょうか。調査兵団の主力部隊ですし」
「それはそうだが……残っているのはこの少人数の上にお前以外は怪我人だ。この状態で壁の外に」
「でも!もう同じじゃないでしょうか。外も、中も」
は、とギードが息を呑む。そうだ、むしろ今危険なのは中の方だ。巨人は人が集まる所に寄ってくる。
「ナマエ、お前の腕の程はリヴァイ兵長のお墨付きだったな」
「これが初めての実戦になりそうですが……」
「俺に着いて来い。2人で団長達に報せに行こう。他の者は先ほど割り振った様に動いてくれ!」
了解、と兵士達の声が揃う。ナマエの初陣の時が来たのだ。
***
「西側の壁に回る。あの辺りのリフトなら、あるいは使えるかもしれない」
「もし使えなければ?」
「立体起動しかない。どこまで行けるかわからないが……ガスの残量に注意しろよ。帰り道分がないとそこで終わりだ」
馬の蹄音だけが妙に大きく聞こえる。
すでに街中はひどく混乱しており、時折ナマエの目にも訓練兵の団服が視界に入った。
(……みんなも、戦っているのだろうか)
昨日の今日、で。
ミカサやエレン、アルミンの表情が脳裏に過ぎる。しかし今は余計なことは考えるなとかぶりを振った。今ナマエがしようとしていることで、救える命が増えるかもしれない。ナマエが一人刃を振るよりも、多くの。
ゆっくりとリフトが浮上していく。全身は総毛立っていたが、どこか落ち着いているのがナマエ自身わかった。
(大丈夫、できる。あの人にもう一度会うまでは死なない)
高揚感すらを伴ってナマエはウォール・マリアを見下ろした。思考も、驚くほどクリアだった。
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