▼ 7.気分だけ補佐官ー3日目
「そういやさ、ナマエのやつもいねぇけど、フォルクマーもいなくねぇか?」
野営訓練行軍中ーーー
昨夜のキャンプは全員が集まって、同じ場所にテントを張っていた。その中で見なかった顔はナマエとフォルクマー。エレンは誰か知ってるか?という風に、班員達と顔を見合わせる。
「フォルクマーなら懲罰中のはずだよ。ほら、あの時ナマエに怪我させて、気付いてたのに逃げて行っちゃったから……まぁ、あの怪我は僕にも責任の一端があるんだけれど」
「あれはアルミンのせいじゃないでしょ。アニもその場にいたけれどそう言っていた。フォルクマーは罰を受けるべき」
少し落ちこむように口を開いたアルミンに、ミカサがぴしゃりと言い放つ。エレンはそんな2人を見て「そうか」とだけ呟いた。
「でもさ、なんかあれ妙だったよな」
少し歩みの遅いアルミンに歩調を合わせながら、どこか冷やかしたような表情でジャンが呟く。
「どういうこと?」
「いや、この野営訓練に出てくる前、俺フォルクマーが連れていかれるとこ見てたんだよ。教官どもが、血相変えて引っ立てて行った感じだったぜ」
「はぁ?まるで犯罪者扱いだな」
怪訝に顔を歪めるエレン。
いくら怪我をさせたのを見過ごしたとしても、さすがにそれは大げさな気がする。
ここにいるメンバーも、不本意ながら誰かに怪我をさせたり、逆にさせられたりしたことはある。兵士なのだ、それは仕方ない。
「ナマエに怪我をさせたんだもの。当然の報い」
「出たよ、ミカサのナマエ贔屓」
「贔屓して何が悪いの?ジャン。この班の水は今私が管理している。今夜この荒野を抜けるには、私の協力が必要と思うけれど」
淡々と言うミカサに「黙りますよ」とジャンは肩をすくめてみせた。
「ミカサみたいな人が、他にもいるのかもしれないね」
エレンにだけ聞こえる様に、アルミンは呟いた。
それがあの調査兵団の人なのだろうかーーーとは口に出さずに。
***
木々の間を、緑のマントがまるで点のようになって飛んでいく。
(すごい、鳥みたい……)
ナマエの同期には、なんといってもあのミカサがいる。それにナマエ自身も立体起動装置の扱いには多少自信があった。けれど初めて目の前で見たリヴァイのその姿は、ナマエの記憶の中にある立体起動という物の概念を凌駕していた。
軽やかで、素早くて、でも一切の無駄が無い。
少し離れた高い木の枝の上で、ナマエは開いた口が塞がらないでいた。
「驚いた?訓練兵」
アンカーの引き戻す音と共に、ナマエの隣に降り立ったのはスラリとした女性の兵士だった。
「はい。驚きすぎて言葉もありません」
「すごいよねぇ、リヴァイ兵長。壁外でもね、あの調子で数体相手でもあっという間に倒しちゃうのよ」
「そうなんですか……あの、失礼ですが」
彼女はナマエを知っているようだったが、もちろんナマエは初対面の相手だ。何度か訪れた食堂でも、顔を合わせたことはない。
「ああ、ごめんね。私はペトラ=ラル。最近リヴァイ班に入ったばかりなの。えっと、ナマエって呼んでもいい?兵長もそう呼んでいるから」
「はい。よろしくお願いします。ペトラ……先輩?」
「やだ、その呼び方照れちゃうわね」
「ペトラさん」
そう言ってナマエがにっこりと笑うと、ペトラも嬉しそうに微笑んだ。
和やかな雰囲気が訪れたと同時、ペトラとナマエの間の木にアンカーが飛んでくる。
「余裕そうだな、ナマエ」
同時にその場に降り立ったのは、先ほどまでナマエが見惚れていたリヴァイ。
「いえっ。あの、すごかったですリヴァイ兵長」
「すごいも何も、訓練だからな。削ぐのはハリボテだ」
「それでも……どうしてあんな風に動けるんですか」
「ナマエってば、口を開けたまま茫然と兵長のこと見てましたよ」
くすくすと笑いながら、ペトラはどこか嬉しそうにそう告げる。
「ペトラ、他の奴らを集めて来い。休憩だ」
「はい!」
そろそろかと思ってました、と表情で語りながらペトラは飛び立って行く。
「さて、お前も降ろさねぇとな。来い」
リヴァイがナマエに向かって手を伸ばす。登ってきた時と同じように、ナマエはリヴァイの片手に抱きしめられた。
「……私も立体起動をつけていいなら、リヴァイ兵長の手を煩わせないんですが」
「馬鹿言え、怪我人だろうが。それに一応訓練兵だ」
小脇にナマエを抱えた状態でも、リヴァイは難なく休憩地点と思われる場所まで跳躍する。
(片方にこんな体重がかかってたら、バランス取り辛いと思うんだけどな)
まるでナマエなどいないかのような軽やかさ。
すとんと降り立った先にはペトラを筆頭に、リヴァイ班のメンバーが飲み物を広げていた。
「お疲れさまです、リヴァイ兵長」
「ああ。こいつの分もいれてやってくれるか」
グンタ=シュルツ、エルド=ジン、オルオ=ボサド。ペトラ以外のリヴァイ班のメンバー。
3人はナマエを見るとにこやかに笑い、エルドが「よろしく」と言いながら、お茶の入ったカップをナマエに手渡した。
「私まですみません」
「おい訓練兵、あんまり調子のんじゃねぇぞ。いくらリヴァイ兵長が最近お前に構いっぱなしだからといって」
「ちょっとオルオ!小声で訓練兵いじめは関心しないよ!」
リヴァイ班の洗礼のようなペトラとオルオのやり取りが始まる脇で、エルドとグンタは「オルオは気にしなくていい」とナマエにフォローを入れる。
リヴァイはその様子を見て少し安心したように、カップを手にひと心地つこうとした時だった。
「リヴァイ兵長!」
木の上を立体起動で飛んできた、1人の兵士。
「なんだ」
そこまで声が届くように、リヴァイは声を張り上げる。
「エルヴィン団長が団長室にてお呼びです。至急おいでください」
リヴァイは小さく舌打ちすると、持っていたカップをナマエに手渡した。
「奴の部屋からはここの休憩が見えてんのか、まったく……ペトラ!」
「はい」
「時間までに俺が戻らなければ、ナマエを連れて戻れるか?ここから兵舎までは距離がある」
「あ、はい。ちょっと自信ないですが大丈夫と思います」
2人の会話から、それが自分を抱きかかえて兵舎まで戻る件なのだとナマエは察した。来るときは、リヴァイに抱きかかえられて来たのだ。
「あの、リヴァイ兵長。私歩いても戻れます」
「てめぇは黙れ。あとペトラ、俺はお前に頼んだからな」
「はい。心得ています」
念押しをすると、リヴァイは迎えの兵士の方へ飛んでいく。
リヴァイの姿が完全に消えたのを確認して、ペトラは「ね?」とオルオに向かって首を傾げた。
「兵長があんな調子なんだから、ナマエをいじめたらこの班から叩き出されるわよ」
ペトラに言われ、オルオもリヴァイを真似たかのような舌打ちをすると、小さくナマエを睨みつけた。
「どういう意味ですか?」
主語の無いやりとりに、ナマエが不思議そうにするとペトラだけではなく、エルドとグンタも笑い声を上げた。
「わかんなかったか?最後に兵長がペトラに念押ししてたろ」
「ですよね、エルドさん」
どこか得意げに、ペトラもにやにやと頬を緩ませている。
「俺たちじゃナマエに触るのも厳禁だってことさ」
グンタが肩をすくめながら言うのを見て、ナマエは一瞬にして赤面する。
「そ、そんな意味じゃ、きっと私が訓練兵でまだここに慣れてないから……」
「おいおい。そんな訓練兵が調査兵団に一人でやって来るってのも、俺は初耳だぜ?リヴァイ兵長が話しを通したんだろ。今回のナマエの件」
「はぁ……確かにリヴァイ兵長が言い出したのですが」
ナマエがそう言うと「ホラ見ろ」とエルドが口角を上げる。
「私も今日会うまでどんな子だろうって思ってたけど……兵長、ナマエのこと妹みたいに思ってるんじゃない?」
女の感は鋭い。
実際にそう指摘されたことのあるナマエは、はぐらかすようにカップに口をつけて視線を落とした。
「ああ、それなんかわかるな。兵長、面倒見いいしさ。成績も優秀なんだろう?そんな子が調査兵団に入りたいって直談判してきたら、多少特別扱いもしたくなるよな」
「おいグンタ。あんまり訓練兵が調子に乗るようなこと言うんじゃねぇ」
「もう、オルオは黙ってて!」
4人の会話がナマエのことで盛り上がる中、ナマエは黙ってそれを見守っていた。
(……妹みたいっていうのは、女としては見られてないってことなのかな)
昨日、執務室で抱き寄せられたのもーーー
お互いが地下街出身だということを話した直後だった。リヴァイは、そう、ミカサがナマエに思うような、同類のような感情を自分に抱いているのではないか。
それはそれである意味光栄ではあるが、どこか胸が痛む。
(どうして?)
それはきっと。
「少し早いけど、兵長戻ってきそうにないし。そろそろ兵舎に戻る?」
カップを仕舞いながらペトラがそう声を上げると「そうだな」と一様に帰還の準備を始める。
「さ、ナマエは私とね」
「ごめんなさい、ペトラさん」
「いいのよ。怪我してるのはこっちの腕だよね?」
ナマエを気遣いながら、ペトラがひょいとナマエを抱き上げる。
「ん?ナマエ、貴女以外に重い……?」
「ああ、ごめんなさい!そうなんです。結構筋肉ついてて……」
「いや、ほんとに重いって意味じゃないのよ。なんていうか、見た目はもっと軽そうだったから意外ってだけで」
よいしょ、と軽く声を掛けながらペトラはアンカーを放つ。
リヴァイより安定はしていなかったが、それでも問題なく飛び立った。
「ナマエは身長もちっこいよな。兵長が気に入るわけだ」
「ちょっとグンタ!そういえばナマエ、フォルクマーって人知ってる?」
「フォルクマー?私の同期のですか?」
怪我の原因となった刃を落としてきた人物だ。どうしてここで彼の名前が出てくるのか。
「多分その人。駐屯兵団にいる私の同期から教えてもらったんだけれどね、この間その訓練兵が兵士の懲罰房に連れて来られたんだって。で、そこにリヴァイ兵長が現れたらしいの。どうしてだろうってちょっと噂になってて……ナマエ、何か知らない?」
ひゅんひゅんと、ワイヤーの音だけが森に木霊する。
「……おい、なんとか言えよ訓練兵」
顔を強張らせるナマエに、オルオが声を掛けるが返事はない。
「ナマエ?」
心配そうにペトラがナマエを覗き込むと「いいえ」と苦い顔をして笑った。
(まさか、まさかね)
そのまさか、なのだが彼女が真相を知る日は恐らく来ない。
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