Mission two


遠くから引いては寄せる、波の気配がする場所だった。

頭上からは冷たい風がナマエの体を撫で、潮騒と共に窓から吹き込むのは温かな南の風。甘いココナツの香りが鼻腔を満たし、瞼の向こう側は爽やかに白い。

「……変な夢、見た」

ゆっくりと目を開ければ、とてつもなく高い天井でシーリングファンがくるくると回転している様だった。ナマエの家はごくごく一般的な作りだ。天井で空気を循環させねばならいないほど、広い部屋なんかでは無い。

慌てて飛び上がる。

真っ白なシーツに埋まったナマエは、改めて周囲を見回した。背後には幾重にも折り重なるふわふわな枕の山で、天蓋付きのベッドにはレースのカーテンが揺れていた。

「何これ……」

夢の続きだろうか、と思う。

「ようやくお目覚めか。薬が切れてからも寝ていたな」

湯気と同時に扉が開く。そこから出て来たのは、大判な真っ白のバスタオルを腰に巻いた昼間の黒縁眼鏡の姿だ。

「私まだ夢見てるのかな……夢で天井から降りて来た人が」

「夢じゃねぇ。それからナマエ、お前が聞いたミッションは本物だ。悪いが協力してもらう」

「協力って……」

中央の薔薇Central Roseの顔を見たんだろ?パーティ会場でそいつがいたら俺に教えろ。お前の仕事はそれだけでいい」

「……昨日の話し、本当なの?」

「本当だから今、ここにお前がいるんだろうが。いいか、奴の顔を教えろ」

肩をすくめながら、リヴァイはテーブルの上のミネラルウォーターのピッチャーに手を伸ばした。中には輪切りのレモンと、緑の鮮やかなミントが散らばっている。

クリスタルのグラス2つに水を注いだリヴァイは、1つは自分で口を付け、もう1つはナマエに手渡しながら、ベッドの上に乗り上げた。

「えっと……リヴァイ?だっけ」

「ああ」

「服……着て下さい」

あ?とリヴァイから間の抜けた声が零れた。見事に割れた6つの腹筋は、あまりにも色気がだだ漏れだ。

「……悪い。職業柄、あまり抵抗が無い」

「職業って」

「スパイってやつだ。いつも昨夜みたいな恰好だからな」

ぶ、とナマエの口から水が噴き出した。やっぱり夢じゃない、ということと、リヴァイがあまりにもあのスーツが似合っていたことと。ナマエのキャパシティは限界に近い。リヴァイは「どうした」と言いながら、小さなタオルを差し出した。

「ああ、それからナマエ。お前も着替えだ。今夜の潜入先は大富豪の開催するバースデーパーティだ。衣装は揃えてやったから、そこから好きなものを選べ」

そこ、とリヴァイは顎で指した。
広い広い室内の隅の方……に、クローゼットと見紛う程のハンガーラックにかけられたドレスが並んでいる。

「……あれ、カーテンかと思った」

グラデーションに並べられた色とりどりのドレスは、そこだけでドレスショップの一角のようだ。

「シャワーを浴びて来い。着替えが済んだら出発だ」

私は協力するなんて一言も言ってないんだけれど──ついぞそれを言う暇も無く、ナマエはリヴァイのペースにまんまと乗せられたわけである。

南の太陽にさらされた、逞しい肌は眩しい。


***


「オイ、きょろきょろするんじゃねぇ」

強めに肘で突かれ、ナマエはむっとしてリヴァイを見上げた。視線が泳ぐのも仕方ない。

ドット・ピクシス邸は世界でも有数の大豪邸で、パーティ会場のボールルームはナマエの言葉で言うならば「豪華な美術館のよう」だ。

大きなシャンデリアはいくつも下がっているし、シャンパングラスやフィンガーフードを乗せたトレーを持つ美男美女のウエイターは幾人もいる。

会場内のゲスト達も皆、リヴァイやナマエのように完璧なドレスアップをした人達ばかりだ。

(リヴァイって、本当はどんな人なんだろう)

皺ひとつ無いタキシードを着こなすリヴァイを横目に、ナマエは胸が高鳴った。

「ゲストの顔に注意しろ。どこに奴が潜んでいるかわからねぇ」

「う、うん」

大きく背中の開いたドレス。肌色の部分に、リヴァイのてのひらが触れる。ナマエはぴんと背筋を伸ばして、会場内に目を泳がせた。

中央の薔薇Central Roseの顔を見たと言っても、ホログラム映像で一瞬見ただけだ。しかも5秒したらそれは全て燃え尽きた。

(私に見つけられるかな……)

気付けばリヴァイに腕を組まれ、会場隅のバーカウンターの前に連れて来られていたナマエ。リヴァイは慣れた様子で、バーテンダーに声を掛ける。

「マティーニを頼む。ステアではなく、シェイクがいい」

かしこまりました、とバーテンが言うと、リヴァイはじっと上目遣いの視線でナマエを睨む。

「あ……私も同じものを」

ほどなくすると、カウンターの上にはオリーブの実が浮かぶ2つのグラス。

会場内にはいつしか音楽が流れている。クラシックな装飾の室内に反して、ポップミュージックだ。肩を揺らしながらダンスを始めるゲスト達。所々ではシャンパンの栓が抜ける音が響き、何度か「アンカ!誕生日おめでとう!」と声が上がった。

「すごいなぁ、こんな所でお誕生日パーティなんて」

度数の高いアルコールをちみちみと舐めながら、ナマエは呟く。

「成金趣味か?」

「そういうわけじゃないけど……こんな場所、来るのも初めてだし。それに私、明日が誕生日なんだ。私は予定も無いし、えらい違いだなーって」

「ほぅ……」

リヴァイが何か言わんとしたその時だった。ナマエの視界の端に、見覚えのある人物が横切る。

「あ!」

「どうした」

グラスを持ったまま、ナマエは顔を背けた。目が合ったような気がしたのだ。

「リヴァイ……今バルコニーの入口に立ってる背の高い人……お洒落な中折れハットをかぶった人……あの人、だ」

リヴァイはそっとナマエのグラスを取り上げると、カウンターの上にグラスを置き去りにする。

「行くぞ」

ナマエの手を引きながら、リヴァイはダンスの輪の中へと紛れて行く。ポップな音階を踏み分ける様にしながら、ナマエの腰へと手を回した。

「……お前も抱きつけ。恋人同士のふりをしろ」

「恋人って!」

ほぼ初対面なんですけど!とナマエは思うが、仕方ない。相手は暗殺者だという。何かに悟られないように、一般のゲストのふりをするのが良いのだろう。

リヴァイに誘われるまま、ナマエは両手をリヴァイの首に絡め、1ミリの隙も無いようにぴったりとくっついた。リヴァイはナマエの頬や首筋に執拗に唇を這わせながら、囁くように呟く。

「ケニー・アッカーマンだ」

「ケニー?ちょ、リヴァイ……近すぎない?」

「あいつは俺の……叔父だ。敵対する組織にいやがる。俺を狙ってきたな……」

おもむろに、リヴァイはナマエにキスをした。

「ンッ!」

驚く暇も抵抗する暇も無く、舌先が口内で混じり合う。ちゅ、ちゅ、とリップ音が響く刹那、リヴァイは言った。

「もうすぐバースデーケーキのお出ましだ。会場の照明が落ちたら、地下へと潜入する。それまで奴の目を逸らす為に、このまま恋人のふりだ。わかったな?」

「ふぁッ……ん、わかっ……ン!も、ちょっと……ひゃらしく……」

「やらしく?」

「優しく!」

会場内のカップル達は、ダンスに合わせてイチャついている。ナマエとリヴァイも同じだ。

(もう勘弁してほしい……!)

このままではケニー・アッカーマンに見つかる前に、ナマエが腰砕けになってしまう。「ふり」とは思えない程、リヴァイの舌使いは巧妙で官能的だ。

(限界!)

しかしキスを止めたのはリヴァイでは無かった。

会場内に銃声が轟く。

能天気なゲスト達は「今年は銃声のクラッカーか?」などと、高らかに笑い声を上げるが、リヴァイだけは違った。ナマエの手を引き、ダンスの輪から逃れるように走り出す。同時に天井のシャンデリアも灯りを消し、ホール入口には蝋燭がいくつも灯った巨大なバースデーケーキが控えていた。

「今だ、行くぞ!」

「あの音……」

「ケニーだ!奴が動く前に仕事を片付ける!」

薄闇の中、リヴァイは人気の無い廊下へと躍り出た。そしてどういうトリックか、右手だけで着ていたタキシードをわし掴むと、タキシードはテーブルクロスを引っ張るような要領でリヴァイの体から抜けて行った。

職業柄だと言ったスパイスーツに変身したリヴァイは、ナマエの手を引きながら走り始めた。

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