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Mission one
日曜の午後だと言えど、ここだけは静謐であるようにと申し渡されたような場所だ。真新しい紙のにおい、隙間を許さぬ並んだ背表紙、数多の物語を秘める本、本、本。
黒縁の眼鏡をかけたまま、リヴァイは整然とするそれらに目を滑らせる。目当ての作家の題名を探していた。
「ちょっと聞いていいか」
無いはずは無いと思い、リヴァイは店員を呼び止める。バックヤードに入って行こうとしていた店員であるナマエは、慌てた様子でリヴァイへと振り返った。
「あ、はい。何かお探しですか?」
正しい客と店員の距離でもって、2人は向かい合う。
「Eで始まる作家が見当たらねぇんだが……」
「申し訳ありません、そこの棚はちょうど入れ替え作業をしていて。担当の者を呼んできますね」
「あんたは担当じゃねぇのか」
「私は雑誌の担当なんです。少々お待ち下さい」
そう言うとナマエは愛想笑いを披露して、リヴァイに背を向けた。ネームプレートのナマエという文字を、リヴァイは脳内でリフレインする。
(……雑誌も買って帰るか)
ほどなくすると、ナマエは数冊の本を持ってリヴァイの元へ戻ってくる。
「すみません。今わかるのがこの数冊だけで……お探しの本、この中にありますか?」
「多分これだ。ありがとうな」
そう言ってリヴァイは一冊をナマエから受け取り、雑誌売り場へと足を向けた。
ナマエの勤めるこの書店、今日は偶然にも、予定外の大掛かりなディスプレイ変更が行われていた。急遽立ち退き命令が出たとかで、店長は「どうするかな」とぼやきながらも、ナマエ達に指示を出していたのだ。お陰でナマエの仕事も余分に増えている。
(あ、これ……)
バックヤードに戻ったナマエは、さっきの──客である、リヴァイが買って行った物と同じ装丁の本を見つけた。特にこれと言って特徴の無い表紙だ。ダークネイビーの艶やかな背景に、ゴールドの筆記体の横文字が題名として印刷されている。
黒縁眼鏡の奥の三白眼を思い出し、ナマエは無意識に本を開いていた。彼がどんな本を購入したのか、気になったのかもしれない。
(どんなお話しなんだろう)
しかしナマエの想像は一瞬で裏切られる。文字に目を滑らす前に、本からは録音音声が流れ出してきたのだ。
──ごきげんよう、リヴァイ。さて、今回の指令だが、ドット・ピクシス邸に潜入して欲しい。明日の夜、ピクシス邸では彼の側近、アンカ・ラインベルガーのバースデーパーティが開催される。参加者は100人を越える大きなパーティだ。
ピクシスご自慢の隠し金庫は、邸宅の地下にあると言われている。そこに保管されているであろう、フロッピーディスクを盗んで来てくれ。
このフロッピーディスクは暗殺組織中央の薔薇も狙っている。明日のパーティにも関与する可能性が高いだろう。十分に注意してくれ。メッセージ終了後に暗殺者のホログラム映像を表示させよう。
わかっていると思うが、リヴァイ、もしくは君の仲間が捕えられ、殺されたとしても、当局は一切関知はしない。なお、このテープは5秒後に自動的に消滅する。成功を祈っているよ。
呆気に取られたナマエをよそに、ページの上には突然3Dのようなホログラムの肖像が浮かぶ。更に驚く暇無く、本自体がナマエの手元から燃え出した。
「え!え?何これ!」
火事になってしまう、とナマエは慌てて水を求めて周囲を見回したが、本は綺麗に燃え尽きて、灰すらが残らなかった。
こんなトリックが仕掛けられた小説が最近ではあるのだろうか。まさか。
「ナマエ、すまない!レジの方に入ってもらえるか?」
店頭の方から、少し焦った様子の店長の声。静かと言っても日曜の午後だ。忙しいのだろう。釈然としないままナマエはレジへと立って、それ以降はいつも通りに仕事をこなしたのだった。
その夜
午前0時を回ろうかとしていた頃だ。ナマエは自宅のベッドでスマートフォンを握り締めて眠っていた。眠りに落ちる直前まで昼間の本についてネットで調べていたが、答えは見つかっていない。
上下する胸元は穏やかな寝息を立てる。
天井裏からそれを覗いていたリヴァイは、人が1人分、通れるだけの丸い底穴を開けて、透明なロープで自身を繋ぎ、するすると眠るナマエの目の前まで降下した。
両手と両足を並行に構え、じっとナマエを睨む。
「オイ……オイ、起きろ」
「ん……」
グローブを付けた指先でナマエの頬を突くリヴァイ。グローブもボディースーツと同じ、つやつやとした伸びやかな皮製だ。ひんやりとした感触に、ナマエは目を覚ました。
「っきゃああああああ!」
つんざくような悲鳴はごく正当なものである。真夜中に目を覚まして、天井からスパイスーツの男が目の前にいれば、悲鳴の一つも上げたくなる。
「落ち着け、俺だ」
「へ?え?ひぇっ?!」
布団をたくし上げ、ナマエは寝ぼけ眼を擦る。既視感。
「……昼間、の?」
「リヴァイだ」
瞳が同じだった。ダークグレーの瞳は、昼間穏やかな書店内で見たものと同じ。リヴァイという名にナマエは聞き覚えがある。
「昼間お前から本を買った。が、探していたのはお前が開いちまった本の方だ。ミッションを聞いたな?」
ナマエは数度頷いた。そうだ、あの本の音声はリヴァイに宛てたメッセージだった。
「聞き終わったら全部燃えてしまって……びっくりして、そういう仕掛けの本かと思ったんだけど」
「そんなわけねぇだろ。内容を覚えているか?」
「え……えっと」
ぼんやりとした意識の中から、昼間の記憶を手繰り寄せる。
・ドット・ピクシス邸でアンカ・ラインベルガーのバースデーパーティ
・邸宅の地下にある隠し金庫
・フロッピーディスク
・暗殺組織中央の薔薇
・ホログラムの映像
覚えている限りを掻い摘んで話せば、リヴァイは深いため息を吐いた。
「見ちまったんだな、そいつの顔を」
「え?その中央の薔薇っていう暗殺の人?見た……けど」
「仕方ねぇ。一緒に来てもらう」
しゅ、とスプレーの小さな水飛沫がナマエの顔にかけられた。意識が一瞬でどこか遠くへと飛んで行く。
物語のスタートは静かに、しかし唐突に始まりを告げた。