▼ 5.Unconditional love(無条件の愛)
ナマエが目を覚ますと、背中を向けて座っているリヴァイの姿があった。ナマエの起きた気配に気付いたリヴァイは振り返り「起きたか」とだけ呟いた。
「ん……リヴァイが運んでくれたの?」
ナマエが寝ているのはリヴァイが作った簡易ベッドの上。彼は床の上で作業をしているようだった。
「ああ」
「優しいね」
ふん、と鼻を鳴らすリヴァイ。照れ隠しのような、はぐらかし方だ。
立ち上がり、リヴァイに背を向けて畳んで置かれていた下着と服をさっさと着込むと、ナマエは厨房に立った。湯を沸かしながら「それは何をしているの?」と少し大きな声でリヴァイに尋ねる。
「ここを出る準備だ。後でお前にも持てるモンを作ってやる」
「へぇ……」
白い湯飲みに紅茶を入れると、ナマエはそのフチを持ってリヴァイの隣に座り込んだ。
「後でもらう」
手が汚れているからだろうか。彼の潔癖の具合は昨日の掃除の様子を見れば、それは誰だって一目瞭然だ。
「飲ませてあげようか?」
「いや」
そう言って俯いていたリヴァイは視線を上げ、背筋を伸ばしてナマエに唇を近付けた。
「んっ……」
リヴァイの舌はぐるりとナマエの口内を一周して「おはよう」と言いながら離れた。そして唐突に、
「お前の分の武器の説明をしておこう」
「……リヴァイ?」
じと、とした目でナマエはリヴァイを睨む。
「なんだ?」
「いいの。私が慣れればいいだけだから。武器の話し続けて?」
こんな状況でキスの余韻が、なんて言っている場合じゃない。けれどこの切り替えの早さはきっとリヴァイ本来のものだ、とナマエは思った。
リヴァイがナマエに作ったのは簡易の火炎瓶。これで少しの範囲なら、アンデッドを怯ませることが出来るという。リヴァイが先を歩き、昨日発見した軍用車両の所まで行く。それに乗ってここから逃げだすという算段だ。
それからナマエ用に2丁の拳銃。
「こっちは右の腰に挟め。こっちは左だ」
「私はこんなの使ったことないよ」
「使わなくていい。右のは護身用だ、全弾込められている」
「左は?」
「1発分しか入ってねぇ。もし俺に何かあって、どうしようもなくなったら使え」
1度しか発砲出来ない銃。
それが意味する所は、さすがのナマエにだってわかる。
「……ちゃんとしたベッドで抱いてくれるんでしょう?」
「そのつもりだ」
リヴァイはナマエの何倍もの装備を肩から下げる。しかしその実、一番使い勝手がいいのは手斧なのだとリヴァイは言った。
お互い何も言わずに、出発出来るような雰囲気になってから厨房の方へと向かった。ここを出る時が近付く。リヴァイは製氷機に手をかけ、もう一度ナマエにキスをした。朝したキスより、幾分か長かった。
***
モール内は思ったより暗くはなかった。所々で非常電源が入っているからだ。リヴァイはライフルを使いながら、前日下見をした通り、最短で1階の入口を目指す。
「奴ら……どうも、人の気配より音に敏感だな」
まるで射的のようにリヴァイが遠くの物を打てば、アンデッドはそちらに向かって集まって行く。1階までは難無く辿り付いた。
1階の入口、総合受付カウンターなどと呼ばれる場所に2人は転がり込み、リヴァイはナマエを覆うようにして一旦身を隠した。そこからそっと瞳だけを外に出して「見てみろ」と入口の方を指す。
「あの軍用車両に乗る気?」
「ああ。間違いなくエンジンは生きてやがる上に、乗っちまえばこっちのモンだ」
「でも……」
車両の周りにはアンデッドが10、20体は裕に越えて群がっている。あれらを殲滅しなければ、乗り込むなど絶対に出来ない。
「俺が片付けてくる。その間、お前はここから絶対に出るな」
再び「でも」と言いかけて、ナマエはそれを飲み込んだ。今ナマエに出来る事は、ここで自身を守ることだけ、なのだ。揺らめく瞳に、強く噛んだ下唇。そんなナマエの表情を見て、リヴァイは「いい子だ」とナマエの頭に手を置いた。
「リヴァイッ……!」
手斧を片手にリヴァイは走り出す。音に気付いたアンデッドが1体、リヴァイの方へ。容赦無く首元目掛けて手斧を振り下ろすリヴァイ。また1体が近付く、足蹴りを食らわせてもう一度手斧で。反対からのもう1体にはベルトの拳銃を。そしてまた、手斧。振り下ろした反動で跳躍、そして発砲ーーー
その流れるようなリヴァイの動きに、ナマエは目を見張った。アクション俳優でも、こんなに流暢な動きは出来ないだろうと思った。
アンデッドの数はあっという間に減っていく。しかし残り1体となった時に、2階から3体のアンデッドが、まるで固まって申し合わせたかのように飛び降りて来た。
「リヴァイ!」
叫びながら、ナマエは飛び出した。渡されていた火炎瓶をそいつらに向かって放つと、ちょうど良い位置で爆発が起こる。
「悪くない」
近くにいた残り1体のうなじをライフルで打ち抜き、リヴァイは呟く。そしてすぐさまリヴァイもナマエに向かって駆け寄り、ひょいとナマエを横抱きにした。
「行くぞ!」
大きなトラックのような軍用車両。鍵はついたままだ。乗用車よりも軍用車両はずっと車高が高い。リヴァイはナマエを持ち上げて助手席に押し込めると、自身は運転席へと飛び乗った。
「乗れた……!」
「ああ。うまくいったな」
リヴァイはすぐさまエンジンをかけて、大きくハンドルを回しながら車を出した。ナマエには聞き慣れない、豪快なエンジン音が響く。周辺にもアンデッドが徘徊している。リヴァイはそれらを避けながらスピードを出した。
郊外のショッピングモールではあったが、そこはもうゴーストタウンのようだった。建物の窓は割れ、色んなゴミが落ちている。
「たった2日で」
「ああ。ひでぇモンだな。ナマエ、お前の家はどこだ」
「ストヘスの方なんだけど……送ってくれるの?」
「馬鹿か、この有様だ。そっちだけ無事なわけねぇだろ。近くまで寄れたら寄ってみるが……状況次第だな」
「そう……だよね。あれ、リヴァイはどうするの?」
言いながら、リヴァイは手元の無線機をいじる。
「連絡取れる人がいるの?軍の人?」
「いや……前にも少し話したが、俺の今の」
ちょうどその瞬間、ジジ、ジジ、と無線機に音が入る。リヴァイが口を開くより先に、無線機から声が聞こえてきた。
「応答せよ、応答せよ。こちら
その声を聞き、リヴァイは安心したようなため息を吐いた。
「こちらリヴァイ=アッカーマン。エルヴィン、生きてたか」
「ああ。君はどうした?随分ショッピングに時間がかかったようだな」
「デカイ買いモンをしてたんだ……今どこにいやがる」
ははは、とエルヴィンと呼ばれた男の笑い声があがる。
「トロスト州の軍の発電所だ。その位置からだと南の方角だが、場所はわかるか?」
「ああ、問題無い。すぐに向かう」
「気を付けろよ」
そう言って無線を切ろうとしたリヴァイは一瞬ナマエに視線を移し、「エルヴィン」と彼を呼び止めた。
「まだ何か?」
「一般人を1人、連れて行く」
少しの沈黙が車内を包む。ナマエは「私の事?」とリヴァイに視線で語りかけてみたが、軽く頷かれるだけだった。
「リヴァイ、連れ合いになった女性のことをデカイ買い物などと言うんじゃない」
「うるせぇな」
「非常事態だ。現状こちらでも傷跡を確認すれば、一般人の受け入れは許可している」
「最初からそう言え」
リヴァイは荒々しく無線のスイッチを落とすと、一旦ブレーキをかけた。北に向かっていたので、Uターンするのだ。
ナマエの乗っている助手席に肘をかけながら、リヴァイは片手でハンドルを回す。少し不機嫌そうなその横顔に、ナマエは「私も行って大丈夫なの?」と小さく呟いた。
「当たり前だ。ったくエルヴィンの野郎……あいつは1のことで10のことを読みやがる」
「リヴァイの上司さん?」
「ああ。今から行くとこはそのエルヴィンが作った軍隊だ。見様によっちゃあ、テロリストみたいなモンだがな……」
「そうなの?!」
「発電所にいると言っていた。多分そこにいけば、とりあえずは安心だ。軍関連の施設をこの機に乗じて拝借してるが……そのうち士官学校の情報も入るだろう。お前の自宅には寄れないがな」
ふと話したナマエの弟のこと。それを覚えていてくれたことにも、それを考慮して動いてくれていることにも、ナマエは嬉しさを覚える。
「……ありがとう。私、リヴァイと一緒にいていいの?」
「責任を取ると言ったはずだ、俺は」
ぽ、とナマエの頬に熱が集まった。照れ隠しに少しだけ笑い、ナマエは数センチだけ窓を開けた。外の景色は街中を抜け、広い荒野になっていた。「砂ぼこりが入る」とリヴァイは顔をしかめたが、無理に窓を上げろとは言わなかった。
「デカイ買い物をしたのは私の方だったかな」
「それを言うな」
片手でハンドルを握りながら、リヴァイはラジオのチャンネルをいじる。2人とも予想はしていたが、ノイズ音が響くばかりだ。しかし1つだけ、聞き慣れない音楽を鳴らすチャンネルに当たった。
「放送してる局があるの?」
「この辺は海岸線の電波を拾うことがある。他国のやつだろう」
「そっか」
世界は、どうなっているんだろう。
ハスキーな女性ヴォーカリストの心地よい声が車内に流れる。リヴァイはチャンネルを回していた手を、シートの上に投げ出されていたナマエのてのひらに重ねた。ナマエはぎゅっと握り返すと、リヴァイの肩に頭を預け、地平線の先を眺めたのだった。
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