▼ 3.pharmaceutical company(製薬会社)
海岸線沿いをしばらく走り、工業地帯を抜け、砂地の道路を進んで行くと、リベリオ製薬会社は見えてきた。
「あれ……か?」
窓から身を乗り出して、エレンが呟く。
ざっと見て20階程の高層ビルだった。ビルのすぐ側が
ビルは料金所を抜け、ちょうど道路がU字になっている部分に、挟まるようにして建っていた。
「
「了解」
ジャンはアクセルペダルから静かに足を離していく。のろのろと、息を吐くように車は停車した。
リヴァイが指示を出す前に、助手席に座っていたアルミンがライフルのスコープを利用して、ビルの1階部分を覗き見る。1階部分は全面ガラス張りで、中までがよく見通せた。
「……兵長、恐らく黒です」
「何が見える、アルミン」
「アンデッドが……数え切れません。奥の方には異形種らしき物体も確認できます。防護壁、といった所でしょうか。正面からの突入は不可能かと」
「ハロウィンパーティにしちゃあ、まだ時期が早ぇな」
リヴァイのジョークに、コニーだけが「え?」と首を傾げた。
「でも行かねぇと!いくら姉……ナマエが感染しないからって、あんなビルの中に!」
「落ち着いてエレン。いくら武装した私達でも、作戦を立てなければあれは……」
ミカサもライフルからスコープだけを取り出して、ビルの1階を覗いている。銃やナイフだけでは、とてもじゃないが間に合わない量のアンデッドだ。
どうしよう、という単語が車内でいくつか飛び交う間。リヴァイは黙って周囲を見回していた。それから少し考え込んで。
「……よし、全員聞け。これから指示を出す」
リヴァイの通りの良いテノールが響き、ジャンはエンジンを切った。皆姿勢を正し、一様にリヴァイに向き直る。
「これから俺とエレンで一旦外へ出る。ジャンとアルミンはこのまま車をいつでも出せるようにしておけ。ミカサ、コニー、サシャの3人は車内で待機。ビル内以外にアンデッドは見当たらねぇが、周囲を警戒しろ」
ミカサは何か言いたげであったが、リヴァイの言う事は上官の「命令」だ。苦虫を噛み潰したような表情でもって「了解」と呟いた。
「それから全員、インカムを付けろ。俺達が外へ出てからの指示はこれで行う」
まだ実戦には出たことはないといっても、エレンらは訓練を積んだ士官学生だ。インカムの装着にも問題は無かった。
リヴァイは腰のホルスターに愛用の手斧を装着し、薄い黒のTシャツの上から、予備の弾や手榴弾の類が備わった分厚いベストを着込んだ。そしてこれから先のプランを見越して、フィンガーレスのレザーグローブも着ける。
「準備はいいか」
車両からリヴァイが飛び降りる。一目散に駆け出す先はビルとは反対側だ。
(兵長?)
リヴァイは車両の後方、道路の端に乗り捨てられた、大型のバイクへと近付いた。
「……バイク?なんてどうするんですか?」
「ガス欠だ」
大型バイクと言っても、リヴァイなら一人で優に動かせるだろう。そうは思っても、エレンは黙ってリヴァイに倣い、バイクに手を添えた。
リヴァイはバイクを、皆が待機する車両の側へと横付ける。
「こいつのガソリンを移す。少しでいい」
そう言うと拳で二度、窓を叩いて、中のサシャを呼び出した。
「そこにホースとポンプがあっただろう。エレン、お前はバイクを支えておけ……斜めになるように、だ」
高い位置から低い位置へ、所謂サイフォンの原理を利用して、リヴァイは軍用車両のガソリンをバイクへと移した。
「兵長、まさかとは思うんですが……その、このバイクで特攻するんですか」
「そうだな。これくらいでいい、エレン、中へ戻れ」
移したガソリンはほんの僅か。明らかな、片道分。
「俺も行きます!さすがの兵長だって!」
「俺が先に行って奴らを引き付ける。お前らは合図があったら正面から上がって来い。エントリーポイントはここだ。帰還に車両は必要になる。絶対にここは守れ」
いや、そんな、兵長、とエレンは口ごもるが、リヴァイはすでにバイクへと跨がった。右のハンドルを数度、勢いをつけて回転させると、バイクはけたたましい音をたてる。
「兵長!」
「命令に従え、エレン。ナマエは絶対に取り戻す」
小気味良くクラッチを離した瞬間、バイクはスピードを付けて走り出した。エレンの前に勢いを含んだ砂ぼこりが舞い、笛が遠吠えするような音をたてながら、バイクは遠ざかってゆく。
「……え?」
呆気に取られ、エレンはその場に立ち尽くした。エレンの思っていた行き先では無かったのだ。
「エレン、早く中に」
ミカサが手を貸そうと扉を開けると、エレンは「オイ、あれ」と指を指した。ミカサだけではなく、全員がリヴァイに注視する。
「兵長……まさか」
リヴァイの乗ったバイクは
バイクはU字へと差し掛かり、リヴァイはバイクを斜めに構え、直線になろうとした所で更に速度は上がった。
「嘘だろ……」
速度を保ったまま、大きく放物線をなぞりながら、リヴァイはバイクごと
ビルと
沢山の装備を身につけているのに、その様子は軽やかで激しく、確固たる意志を持って、真っ青な空に点のような影を作った。
リヴァイが窓を突き破るのと、バイクが
突き破った窓は約15階の辺り。
両手を交差させて飛び込んだものの、リヴァイの腕はいくつかの切り傷で済んでいた。受身は全く申し分無い。
(クソ、ナマエはどこだ……)
顔を上げた瞬間、侵入者を知らせるサイレンが響く。真夏の蝉を何百倍にもしたような合唱は、ビルの外のエレン達の耳にも届いているだろう。
リヴァイが飛び込んだそこは会議室などよりも広い、例えるならば
「こちらリヴァイ・アッカーマン。ビル内に侵入成功。これよりアンデッドを引きつける。突入の合図までそこで待機だ。わかったか?!」
車両に残る6人がインカム越しに、揃って「了解」と返事をする。
敵のアジトだ。
本来ならば何か敵の手がかりになる土産が欲しい所だ、とリヴァイは思ったが、今回はそこまでの余裕は無いだろう。班構成も全くの付け焼刃であるし、何より第一目的はナマエの奪還だ。
「ほぅ……出迎えはその程度か?」
リヴァイは肩から下げていたアサルトライフルを背中へと回し、腰のホルスターから手斧を取り出した。貴重な弾を使うまでも無い相手なのだ。
アンデッドへと向かって走り出す。
手を伸ばせば触れる所まで容赦無く近付いた所で、リヴァイは壁へと駆け上がる。1、2、3歩、4歩目のつま先をアンデッドの項へ──
平伏したアンデッドに手斧で一撃。背後から襲い来るアンデッドには振り向かずして、その手斧を背後へと振りかぶった。
「景気よく飛び込んでくるから……何事かと思ったじゃないか」
廊下の奥、広く踊り場になった方角から声が響く。リヴァイは視線より先に、背中のアサルトライフルを使った。銃声が響く。照準を合わせながら、体勢を構える。
「ちょっと待てよ。俺の妹がいるんだ。もう少し紳士的に出来無いか?」
リヴァイの放った弾は、全て彼の前に盾となったアンデッドへと命中していた。白い蒸気が立ち込める中、髭面の男が口角を上げて笑う。
「リヴァイ!」
男の背後から一瞬、顔を出したのはナマエだった。リヴァイは一瞬だけ目を見開く。
「……妹だ?寝言は寝て言え、猿みたいな髭面しやがって……この、猿野郎が」
「随分口も悪いときた。なぁナマエ、まさかあいつがパートナーだとかいう奴じゃないよな?」
「そのまさかよ!ジーク……リヴァイに手を出したら、私があんたを殺してやる!」
後ろ手を縛られているらしいナマエは、体を大きく暴れさせながらジークを睨んでいた。ジークだけが、余裕そうに肩をすくめる。
「ナマエを取り返そうって意気込みは褒めてやるよ。しかし、ここから出られると思ってるのか?」
「あぁ……?だから俺が来たんだろうが、髭面」
「目的はナマエの持つ抗体か?お前のことは知っている、リヴァイ。その名はマーレにも届いてたよ」
は、とリヴァイが吐き捨てた。右手に持っていた手斧を大きく一度、回転させてから逆手に持ち直す。リヴァイの動きを察したジークは、アンデッドに信号を送った。銃弾で平伏していたアンデッド達が、のろのろと立ち上がり始める。
「反吐が出そうだ……俺からナマエを奪っておいて、お前の言いたいことはそれだけか?」
まばたきをする間だった。
ジークが一瞬、そのほんの一瞬。瞳を閉じた瞬間に、彼の操っていたアンデッドは再び全てが沈黙していた。ジークの視線を惑わすように、リヴァイは左右の壁に飛び移りながら、ジークとナマエの間目指して走って来る。
ジークの舌打ちが響く。同時に、緊急事態を報せるサイレンが再びビル内へと響いた。
「遅ぇよ」
踊り場には近代的なシャンデリアがぶら下がっている。
リヴァイはナマエを抱えると、手榴弾を落としてからシャンデリアへと飛びあがった。ちょうどシャンデリアが繋がる天井部分には喚起ダクトの金網がある。
爆音と共に、2人はダクトの中へと転がり込んだのだった。
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