第三話

 どさ、どさ、どさり。湿り気を含んだ重たい土が、大きな穴の中に落ちていく。三日三晩続いた雨はようやく上がったものの、じめじめした生温い空気が肌の上を不快になぞっていた。昼間だというのに辺りはどんよりと暗く、分厚い雲が遠くの空までたなびいている。

 名前が見下ろすその先に、まだ微かなにおいが残っていた。大好きだった、小さき兄の香り。土と混ざり合い消えようとするそれが無性に寂しくて、横に立つ一番大きな兄の手を、ぎゅうと強く握りしめた。


 千手一族の幼き命が、またうちはの手によって奪われたのだ。憎き悪の一族め。復讐だ。一刻も早く根絶やしにせねば。


 大人たちは皆、棺桶の前で呪詛の言葉を吐き連ねた。この中に、板間の死を純粋に悼むものが果たしてどれほどいただろう。その命を恨みへと昇華する者たちは、総じて暗く濁った目をしていた。


「いくさのせいで、いたま兄さまはしんだ」


 ぽつり、とこぼした名前の言葉を、大人は誰も聞いていなかった。聞いていたのは、名前の手を強く握り返した柱間だけ。
 板間の亡骸が土の中に埋められていくのを見ていた名前は、人の死がどういうものであるのかを、この時やっと理解し始めていた。瓦間のときにはわからなかったこと。

 父は、忍は戦って死ぬために生まれてくるものだ、と言っていた。父の言うことが本当ならば、この先、柱間も扉間も、戦いによって死なねばならぬということになる。それが、本当にそんなことが、兄たちの使命なのだろうか。戦。そんなことのために、兄たちはこの世に生まれてきたとでも言うのだろうか。兄弟の死を嘆くことが、どうして侮辱になり得るのか。名前は、兄たちを死の淵へと追い詰める戦が、大人たちが、初めて憎いと思った。


「はしらま兄さま」


 名前を絶対に死なせたりしない。そう言った兄の想いが、重たい心が、胸を痛く締め付けている。死は、とてつもなく怖い。昨日まで聞こえていたはずの声も、感じていた体温も、香りも、名前が大好きだったものすべてが、冷たい土の中に埋もれて消えてゆく。今日死んだ板間や、瓦間のように。

 名前は、ぽろぽろと静かに涙を零した。土の上に落ちていく涙も、悲しみも、痛みも、想いも、土の中で眠る兄にはなにひとつとして届かない。死んでしまったあとは、何もかもが手遅れだ。
 死なないで、生きて帰って来てください。板間が家を出て行く際に、もしそれが言えていたなら。戦に赴く兄の小さな背中を、最後まできちんと見届けていたら。名前はひどく後悔していた。なにも知らない自分の愚かさを。救う術もなにひとつもたぬ、自分の無力さを。

「なまえも、はしらま兄さまを、とびらま兄さまを、しなせたくない」

 死んでしまったら、もう祈ることしかできない。その祈りが届くかどうかもわからない。だからこそ、残された兄弟が無念にその命を散らすことなく、生きてゆける術を見つけたかった。

まだ幼い名前の手には、何の力もない。
 












「なまえに、にんじゅつをおしえてください」

 名前は両手を八の字に付き、父の前で頭を下げた。井草の濃い香りが鼻をついて、擦りつけた額がじんじんと熱を持つ。喉から絞るように出した声は、情けなく震えていた。名前が面と向かい父に何かを願い申し出たのは、これが初めてのことだった。
 名前がその細い腕で刀を握ったとて、屈強な男相手に叶うはずもない。女が戦場に身を投じることがあるとすれば、それは忍術による戦法を極めたものだけだ。千手にも、ごくわずかであるが女で戦場に立つものがいることを名前は知っていた。それは柱間が教えてくれたことなのだが、まさかそれを父に悟られたせいで後に兄が責められることになるなんて、この時の名前は考えてもいなかった。

「女のお前に、何が出来ると言うのだ」
「兄さまたちを、そばでおまもりしたいのです」
「……お前があやつらを守るだと? 笑わせるな」

 仏間は激怒し、吐き捨てるように言った。名前の前髪を掴み乱暴に顔を上げさせて、真っ向からその赤い瞳を睨んだ。

「柱間あたりになにか吹き込まれたか? 馬鹿のひとつ覚えみたいに生意気なことを口にするな」

 父の冷たい瞳は、名前のことなどなにひとつ見てはいなかった。その心を理解することも、知ろうとすることもない。名前の全てを否定するその瞳は、兄たちとはまるで違う。名前は絶望感に打ちひしがれた。親とはなんだ。このひとが、このひとのせいで、兄たちは。名前の大好きな兄たちが、いなくなってしまったのではないか。


「……いたま兄さまや、かわらま兄さまみたいに、いくさに兄をとられるのは、もういやです」
「……なんだと?」
「かえしてください。いたま兄さまを、かわらま兄さまを、かえして、」


 名前の瞳から大粒の涙が溢れ出した。かえして、かえして、と壊れたように泣く名前に、父の目がカッと見開かれる。名前は父の逆鱗に触れてしまった。仏間は名前の長い髪を引きちぎるかの如く掴み上げて、その拳を振り下ろそうとした。名前は咄嗟に目蓋を伏せてその衝撃がくるのを待つ――が、名前がその痛みを知ることは、なかった。


「名前が罰を受ける必要、ないだろう」


 ふわり、と温かい体温と優しい香りに包まれて、名前は目をそろりと開けた。名前の身体を抱きしめるようにして、父と名前の間に飛び込んできた柱間が、その身を庇ったのだ。父の拳を受けた米神からは血が流れており、名前は、思い切り目を見開いた。

「っ、柱間、お前」
「父上。名前の分の罰は、俺が全部引き受ける」

 名前の身体を強く抱きながら、柱間は横目で父を睨み上げた。その目は侮蔑に塗れていた。父は、こんなに小さな妹にさえ、拳を奮おうとしたのだ。兄の死を涙ながらに惜しむことさえ、許しはしない。
 仏間は未だ怒りで顔を赤くしていたが、それ以上は動く様子もなく、血のついた拳を固く握り締めているだけだった。呆然としたのだ。ほんの一瞬、柱間から発せられた刺々しい――あれは間違いなく、殺気だった。

「兄さまっ……兄さまっ、血が、」
「ああ、このくらい平気ぞ。あとで薬を…」

 名前はひどく狼狽えていた。鼻をつく錆びた鉄のにおい。柱間の血を見るのは初めてで、しかもそれが自分を庇って出来た傷なのだから、当然のことだ。大粒の涙が止めどなく溢れている。柱間は名前を安心させるように、ニッと笑って見せた。しかし、名前の心は全く穏やかではない。

「……名前?」

 柱間の腕の中でもぞもぞと身を捩り、父の拳を受けて切れた部分に、名前はそっと手のひらを当てた。血が流れているのを、止めなくては。そう思って咄嗟にした行動なのだが――それが、柱間や父を驚かせることになるとは、思いもよらぬことだった。

「……医療、忍術だと」

 はっきりと、父の声がそう言った。名前が手のひらをかざした部分に、白いチャクラの閃光が見える。血を止めるだけにとどまらず、みるみるうちに額の傷が塞がって、数秒後には痕ひとつなくなっていた。
 医療忍術は、忍術の中で最もチャクラコントロールが難しく、優秀な忍であっても皆が扱えるような生半可なものではない。戦乱の世において最も不足しているとされる技術であり、そして最も重宝される忍術のひとつでもある。

 この時、柱間は父の目色が変わったのを確かに感じた。そして、心底怯えた。名前の身体を強く抱きしめて、父から隠すように、その胸の中に閉じ込めた。

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