いにしえより底なしの



「確実に殺したと思ったのになぁ」

 とびきり苦い丸薬を噛んだような渋面で、イズナは忌々しげに呟いた。行灯の丸い光が照らされた室内で、青畳の上に敷かれた布団に背を付けて、手足を四方へ投げ出している。女中が運んできた箱膳に一切手がつけられていないところを見ると、よほど虫が好かないらしい。沈鬱な色を携えた瞳が、天井壁からマダラの方へゆったりと流された。
 マダラはイズナのそばに膝をつき、上からじっと眼を覗き込んだ。長い睫毛を縁取る青白い目蓋は僅かに痙攣しており、流れるチャクラも不安定に揺らいでいる。恐らく三日はまともに扱えぬだろう。マダラから送られる視線の意図に気がついたイズナは、居心地悪そうにふいと顔を背けた。

 万華鏡写輪眼を開眼したばかりの弟は、大きすぎる力をまだ完全には制御出来ずにいる。扉間に術をかけたあと、回り続ける万華鏡にチャクラを喰われ続けたが故に、その身に影響を及ぼした。実戦で扱うには早すぎるとマダラが念を押していたにもかかわらず、イズナはそれを無理に行使した。――正しくは、せざるを得ない状況に立たされていた。
 マダラは、弟がその力を得ることを望んではいなかった。使えば使うほどその眼は光を失っていくという、万華鏡写輪眼はいわば、諸刃の剣であった。それは正しく、術者の忍生命を脅かすものだ。マダラは己が身の危うさを敏感に悟っていたからこそ、イズナにはそうあって欲しくないと願っていた。それでも、周りの大人たちは、イズナの眼に宿った万華鏡を大層喜んだ。兄弟が二人とも、うちはの奥義を継承したのだ。これで千手に一泡吹かせてやれると息巻いて、勝手に戦をけしかけた。

 兄も、弟も、着実にその瞳の色を失っているというのに。神力にも等しい力を得ようとも、一族にとっては使い捨ての駒でしかない。それが宿命でもあり、進まねばならぬ道でもある。力のために親しい友を殺めようとも、大切な者を失っても、なすべき事のために尽くす。一族のために生き、一族のために、死なねばならない。

「……イズナ、お前が無事で良かった」

 ――ただし、そんな馬鹿げた宿命を背負うのは、自分だけで良い。マダラは、イズナに自分と同じ道を歩んで欲しくなかった。神に見初められ、人にはない特別な力を得ることは、やがて抱えきれぬ重荷となって自身へと襲い掛かる。そんな道を、弟が、望んで辿る必要はない。
 イズナは、マダラに残された最後の希望だ。弟を守り抜きたいという想いだけが、友と袂を別つことで脆く崩れかけていたマダラの心の支柱となっている。今イズナを失うことは、先を照らす光を失うことと同義だ。

 マダラはイズナの額に手のひらを乗せながら、弱々しく開かれた目蓋を閉じるように促した。逆らうことなく落ちていく目蓋に、マダラの口元が笑みを象る。

「……兄さんって、いつもそればっかだ」

 穏やかな口調の中に、僅かな憂が込められていた。イズナは、マダラの心根を知っていながら、兄と並ぶ力を得ようと必死になっていた。その背を追いかけつつも、守りたいのだ。兄が背を預けられるのは、弟の自分だけであって欲しい。優しく、強く、美しい兄の心を――憎き千手の男などに、絆されてたまるかと、幼き頃より情念の炎を燃やしていた。大好きな兄を取られまいとする、弟の純粋な嫉妬心が、イズナの心を今も尚、掻き立てている。

 あともう少しのところで、兄に届いたかもしれないのに。イズナはふと、先の戦のことを思い出していた。

 参謀の企てにより主戦場から外されて、少数精鋭の部隊を率いていたイズナは、ほぼ単独で千手の後方部隊を壊滅状態にしてみせた。あの時の状況を振り返ってみて、ただ思う。決して、己の力が奴に及ばなかったわけではない。作戦の流れもほぼ完璧だったといってもいい。それでは何故、あの企ては失敗したのか。
 
「……ねぇ、兄さん。あいつって、そんなにしぶとい奴だったっけ」

 意地を剥き出しにした声色は、あどけなくも刺々しい。ただそれは、自分を責めている風でもない。少々感情的であり、精神的に幼い部分が残るイズナであったが、勘良く知性も持ち得た男であることは確かだ。流石、あの千手扉間と渡り合えるほどに聡い。あのとき何故"そう"なったか――おおよその見当は付いている。

 イズナの手は、確実に肉を切り裂いた。刃に塗られた毒の効力も、他氏族の者を雇ってまで仕上げられた確かなものだ。手練れの医忍はほぼ手にかけて、運良く生き残った者も、まともに術を扱える状態ではなかったはず。
 つまり、奴が死なぬ道理はない。流れた血の量から見ても、間に合うわけがないと思っていた。だから、マダラから扉間の存命を聞いた時、よほど悔しかったのだ。此度の戦で命ぜられた任を果たすことが、己の持つ力が確固たるものである事の証明になるはずだった。

 一族への献身、兄への献身。示せなかった力が、抉られるような眼の痛みが、ただただ虚しく残っている。感情のぶつけどころが見つからない。えらく惨めな思いを喰わされている。迸るような恨みが、怒りが、イズナの心の闇をさらに深くしていった。


「千手扉間を治した奴って、一体誰なの」


 低く誂えた声色に、マダラの背に震えが走った。これは悪寒ではない。喩えようが難しいが、己の罪を暴かれるときのような、焦燥感を焚き付けられた。
 イズナは固く眼を閉じたまま、腹の中で燻る感情を燃やし続けている。扉間を殺せなかった理由のせいで、もがき苦しんでいる。否、決して、奴を殺せなかったわけではない。イズナは務めを果たしたはずだ。千手扉間は確かに一度黄泉へと送られたあと、再びこの世へ舞い戻ったのだ。神の力を持つ者の手によって、命を取り戻した。――まさか、その人物に心当たりがあるなどと、一族はおろか、愛する弟にさえも、マダラは漏らすことが出来ずにいた。マダラが黙していると、イズナはさらに言葉を続けた。

「……ああ、むかつく。そんなやつが、まだいたなんて」

 食い破る勢いで唇を噛み締めながら、肩を震わせている。イズナの気持ちを汲んでやりたかったが、励ます言葉さえ出てこなかった。
 本人の与り知らぬところで、皆、恨みをかっている。だから、出てくるべきではないと言ったのだ。あいつが手を繋いでおかなかったから、あの子は弟に恨まれる羽目になった。兄弟を救いたいという純粋な想いさえ、戦場においては罷り通らない。

 今後もし、あの子がイズナの眼に入ろうものなら。きっとイズナは、あの子を呪い殺してしまうだろう。

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