十四話

 礫石の散り乱れる大地が、霧雨に濡れて匂い立つ頃。ついにマダラは柱間の前から姿を消し、戦は千手の勝利で幕を下ろした。反乱軍の主たる勢力であったうちはが手を退いたとあらば、合従連衡五国の歪を浮き彫りにした騒乱も、収束への道筋を歩むことになるだろう。此度の戦をきっかけに、千手は再び世に広く名を馳せてゆく。勝てば官軍、負ければ賊軍。長年拮抗していたうちはと千手の戦力も、年を追うごとに傾きが生じるようになっていた。それは偏に、千手柱間、扉間兄弟の戦績によるものが大きい。うちはの者も、それを十二分に理解していた。だからこそ、今回のような事態が起きたのだ。

「周到なものよ――うちはの若造め、」

 苛立ちを隠さぬ仏間の声は、物々しい空気に包まれたこの場をさらに煽った。仏間の傍で痛ましいほどの緊張を滲ませている医忍たちは、柱間の方を見ようともしない。仮借なく責め立てられ、月よりも蒼白な顔をしている。その中でひとつ、蚊のなくような声が、ぽつりと溢れた。

「……扉間様が、我々のもとに」

 集中砲火を浴びせられた後方支援部隊の医忍たちのもとに、いち早く駆けつけたのが扉間だった。その時扉間は、いつも主戦場に居るはずの、とある男の姿が見えないことに疑念を抱いていたという。その後すぐさま敵の狙いを探し当て、それが罠だとわかっていながら、扉間は飛んだのだ。
 医忍たちのそばにいたはずの護衛班は、うちはお得意の幻術によって、その時すでに壊滅的な被害を受けていた。チャクラを流し解術を試みたものの、一向に回復の施しを見せない。それがただの幻術ではないことは明らかで、"あの眼"がもつ特異な瞳術の類であることを、扉間はすぐに見抜いてみせた。
 
「……うちはイズナ。彼も、うちはマダラと同じ奇形の眼を持つ者です」

 扉間の後を追うかたちで後方支援部隊の陣地へと向かった桃華は、その"眼"の悍ましさを語った。うちは一族に共通する基本巴の写輪眼とは異なる紋様を描くそれは、禍々しい色とチャクラを帯び、目が合ったもの全てを闇へと誘う。術者自身が発動を止めなければ、永遠に解くことが出来ない、恐ろしい瞳術だ。

 奇形の写輪眼をなんと称すのか。とにかく奇妙で、常識では計り知れない異能を持っている。千手と同じく、うちはの主力もまた、年若き兄弟たちであった。人の術を超えた力を美しき双眸に宿し、一族の期待を背負いながら、最前線に身を置いている。兄と兄、弟と弟。それぞれがぶつかり合うことは、もはや必然であった。避けられぬ運命ともいえようか。柱間とマダラが互いの術をぶつけ合っている時、扉間とイズナもまた、刀を交わらせている。

 扉間がイズナの前に姿を現した瞬間、待っていたぞとばかりに、奇形の巴がぐるぐると回った。扉間に致命傷を負わせたのはイズナの毒刃だ。瞬き一つで扉間の自由を奪ったその異形の写輪眼に、その場にいた者は援護するどころかすっかり狼狽え、なす術なく身を震わせるしかなかった。
 凄惨な状況が変わったのは、扉間がとうとう地に伏せてしまった時だ。イズナが突如頭をおさえて苦しみ出したかと思えば、その眼から、血の涙が流れ出した。どうやら、力の代償がその身に降りかかったらしい。
 それ以上、イズナが術を発動することはなかった。痛々しく眼を伏せた一瞬の隙を見て、桃華はなんとか扉間の身体を逃すことに成功したのだった。しかし――肝心なのは、その後のこと。けれど、桃華が皆の前で話すことが出来たのはそこまでだった。言い出すことなど、出来はしなかった。

「……それで。あやつは、今どこにおるのだ」

 押し黙った桃華に一瞥をくれてから、仏間は柱間へと視線を投げた。父の言葉に、柱間は黙ったまま首を横に振って見せたが、この場に"二人"の姿が見えない時点で、大方の予想は付いていた。
 それは、あまり良くない結末だ。戦場において手傷を負おうとも、常に冷静さを崩さず、一手先の状況を見通した上で合理的かつ的確な判断を下すことの出来る、あの弟が。よもや、瞬身で姿をくらませるようなことがあろうとは。あの父でさえ、ひどく困惑しているのがわかる。そうまでして取り乱すような、忌避していた出来事が、起きてしまったのだ。










 ねっとりとした藻の匂いを含んだ川風が、天に向かって生い茂る緑葉のぞよめきに入り交じる。鳥も獣も寄せ付けない、深く暗い森の奥地。虫のさざめきをも遮断する、四方に張られた結界は、外からチャクラを感知されないためのものだ。ここは天国でも地獄でもない。耐え難い現実から逃げ果せるために作られた、狭く虚しい箱庭の中。

「にいさま、」

 名前の手が、虚空へと伸びてゆく。何度名を呼んでも、ぴくりとも反応しない。赤い瞳は虚に淀み、焦点が合わないまま。耳も聞こえていないのだろう。自分の命を救った悍しい力の代償が、妹の身体に顕著にあらわれ始めていた。果たしてこれは一時的なものなのか、急激に失われたチャクラが戻りさえすれば、妹の身体の機能は回復するのか。今はそれを確かめる手段もない。
 名前の手を引いて、骨が軋むほど強く抱き寄せると、名前はやっと兄の顔を見上げた。自分の身に何が起きているかまるでわかっていない様子で、その顔に生気は宿っていない。魂のない抜け殻のような状態の妹に、扉間が正気でいられるはずはなかった。壊されたのだ、心も、身体も。神の力の依代として、妹が奪われてしまった。

 やはりこうなる前に、隠しておくべきだったのだ。名前は美しいものだけを見て育ち、穢れを知らず、無垢な心のままで在り続ける。幸せの象徴。誰の目にも触れさせず、兄の庇護のもとで生きてゆく。そうしていれば、こんな姿を、見ることはなかったはずだ。後悔したって、もう何もかもが遅い。扉間の目に映るもの。それは地獄よりよっぽどむごい光景だ。




 名前の背を大樹の根元に預けさせ、扉間はその血塗れた寝衣を、ゆっくりと解いていった。名前がはっと息を呑んだのがわかったが、扉間は手を止めなかった。名前の身体が穢れた色を纏う姿を、これ以上は見ていられない。それが己のものであるから、尚更ひどい気分になる。この血のせいで、妹はあの場へ呼び寄せられた。己のもとに辿り着いてしまった。嗚呼、かわいそうに。己を見上げる虚な目は、戦地に蔓延る恐ろしい光景を見てしまったのだろう。並外れた嗅覚は、悍しいにおいを知ってしまったのだろう。その全ての記憶を、この手で消してしまえたら良かったのに。何も知らなかった幼き日の名前の姿が恋しくて、堪らなかった。

「なまえ」

 名前の肌は、湿りを帯びた外気に晒された。痩せた肩から足先に至るまでとくに目立った外傷は見当たらず、真っ白な肌は温もりを帯びている。胸元に浮いた肋骨をそろそろとなぞり上げると、名前の吐息に細い声が混じり、頬に僅かな赤みが差した。
――ああ、大丈夫だ。感覚までは、侵されていない。暗がりの中でもまばゆく透きとおる妹の裸体を目に入れて、扉間は、ほんの少しだけ安堵した。それからは、名前のかたちをひとつひとつ確かめるように、手のひらを這わせていった。

 それはまるで、男が愛おしい女に施す愛撫のようだった。なだらかな胸の奥で脈打つ心臓の鼓動を感じながら、乾いてひび割れた名前の唇を、扉間の舌がぬろりと舐める。ふっくらとした唇が唾液に濡れて艶を帯びていくと、名前の顔に生気が宿ったような気がした。目が見えずとも、耳が聞こえずとも、名前はちゃんと生きている。呼気を乱し、扉間の手が触れた先で名前の身体が弱くしなるたび、その生を実感することが出来た。いきすぎた行為だとわかっていても、止まらなかった。

「もう二度と、離してやるものか」

 兄から妹へ流れる愛情。そのかたちが異常であるとして。一体それを誰が知り、咎めようものか。妹の悩ましい声が、兄の名をしきりに呼ぶ。見えはせずとも、感じてくれている。血の味も唾液の味も、それが妹の命の証であれば、何だって欲しかった。名前の生を焦がれるあまり、我を失うほどに。扉間の心は追い詰められていた。

 ぬるま湯の中で溺れているみたいだ。懺悔の言葉は、生温い吐息に呑み込まれていく。緩やかに呼吸を奪い、心地よい熱の中で息絶えていく。触れ合う肌から感じる熱が、重なり合う体温が、実感させてくれる。生きている、二人とも。妹のチャクラで満ちたこの身体ならば、きっと命を分け合うことができる。このやり方が、愛し方が、間違っていたって構わない。天国でも地獄でもないこの場所は、決して永遠ではないから。せめてこの夜が明けるまでは、この過ちを許してほしい。

「すべて、お前を想うが故のことだ」

 囁く言葉は届かないはずなのに、名前の瞳から涙が溢れ出した。彷徨う手が兄の頬を探り当て、ゆるりと柔く撫でると、一筋の熱が落ちていった。それは名前の肌の熱で溶けて、ゆっくりと地面に染みてゆく。名前はそれきり、眠るように意識を手放した。


 兄も妹も、互いのことを想って泣いた。愛しているからこそ、想いを受け止めきれない。兄を救いたい妹と、妹を護りたい兄。二人の願いは、同時には叶わない。その歯痒さが、遣る瀬無さが、心に痛みを与え続ける。ちっとも上手くいかない。どうしたって辛いだけだ。
 真っ当ではない世界の中で、真っ当に生きてゆける人間などいない。誰しもきっと何かが欠落していて、それを埋めてくれる存在を探し続けている。――名前と扉間は、元より番うべき存在ではなかった。求めれば求めるほど、互いの傷を広げるだけで、埋め合うことなど出来はしない。兄妹として生まれてきたからこそ、報われない想いがある。


 二人の兄と共に、この世に在ること。それこそが名前の唯一であり、生きる理由でもある。名前の世界に在るものは決して多くない。その内ひとつでも欠けることは、世界の終わりと同義。

 世界の平和のその先で、妹が健やかに生きてゆけること。それこそが扉間の唯一であり、戦う理由でもある。たとえこの身が朽ち果てようとも、兄が描いた、先の夢のために尽くす。そこに妹がいなければ、何の意味もない。

 この世に不変なものはない。均衡は破られ、ほんの少し、名前が望む世界へと傾きつつある。

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