十三話

 薄暗い夜明けだった。太陽を覆い隠す灰色の濃雲が、見上げた空に渦巻いている。空気に含まれ始めた湿気のにおいが、やがて来る雨の気配を告げていた。そこいらに散った黒い灰と血泡は、綺麗に洗い流されてゆくことだろう。
 戦の終わりはいつだって虚しい。豊かな自然は無残に焼き払われ、晒された大地は遺骸で埋め尽くされていく。残された者の心にはぽっかりと穴があき、この先もずっと、癒えぬ痛みがその穴を抉り続ける。より多くの命を奪った方が勝者となり、この世に新たな憎しみの火種を振りまいてゆく。また、それを繰り返すのだ。


 見据える双眸からは、激しい色味が失せていた。長時間に渡る戦闘でチャクラを消耗しすぎたのだろう。うちはお得意の火遁すらもう出てこない。向き合う二人の内、どちらが優勢か。誰の目にも明らかな状況だ。地に足をつけているのがやっとだろうに、それでもなお立ち向かってくる。悔しさと遣る瀬無さに、胸をひどく痛めたような表情で。強く噛み締められた唇には、濃い赤が滲んでいた。

 己がここに立つ理由は、扉間の死を見届けるためだとマダラは言った。柱間の大切なものが消えゆくその瞬間を、この目に焼き付けるまで退けないと。マダラは柱間の心を知る唯一の友だ。幾度も刀を交わらせようと、それは今も変わらない。
 友が――望んで、こんなことをしているわけではないのだと、最後まで信じていたかった。弟を失う兄の気持ちを、分かり合える男だからこそ、追い返せなかった。本気で戦うことなど出来なかった。こいつを殺せるわけがない。この手がマダラを殺めようものならば、己の夢はここで潰えてしまう。希望はどこにあるのか。扉間の命を救い、マダラを殺さずに済む道は、本当にないのだろうか。柱間は最後まで望みを捨てることが出来なかった。

 扉間の容体を青褪めながら告げる医忍たちの顔を見て、焦燥しきった柱間に、父が静かに放った言葉。父の口から妹の名を聞いた瞬間、どくり、と心臓が大きく鼓動した。そうか、そうか。名前ならば、もしかしたら。一瞬でもそんな考えが過ぎったことに、柱間は驚愕した。
 扉間の危惧していたこと。自分はそれを確かに聞いたはずだ。理解していたはずだ。それなのになぜ、一瞬でも歓喜したのだ。己の心を戒めるより先に、妹の名を出した父に対して激情の矛先を向けた。荒れた心をこれ以上なく揺さぶられて、そうすることしか出来なかった。
 こんな所に名前を呼び出すなんてどういうつもりだ。気でも触れたのか。名前はまだ八歳なんだぞ。名前が死んでもいいのか。父に放った言葉は、全て自分に跳ね返ってくる。


「……助かったのか、お前の弟は」


 マダラの言葉が柱間の胸を射抜く。その目から写輪眼が消える寸前、奴には二人のチャクラが見えたのだろう。扉間ほどの感知能力を持たない柱間にも、肌がざわつくほど濃く感じられたチャクラの熱。蕩けそうなほど甘く柔らかくて、泣きたくなるほど辛く苦しい。膨大なチャクラはあっという間に収縮し、一塊に姿形を変えていった。それが、名前から発せられたものだとすぐに理解した。自分もこの身体で感じたことがあるから。その熱を知っているから。二人のチャクラはこの身に深く刻み込まれている。だから、見えなくても、わかったのだ。

 消えかけていた灯火が、勢いを増して燃え上がってゆく。生きている――弟と妹が、二人とも。 

 実感した途端にぞくぞくと背が震えた。喉の奥が急速に熱くなり、口を開けば嗚咽が漏れてしまいそうだった。胸を焼き尽くすような喜びと恐ろしく深い後悔の念が同時に押し寄せてくる。

 出来ればそうしたくはなかった。妹は、何も知らぬまま健やかに育ってほしいと願っていた。でも、名前自身がそれを望まなかった。何も知らぬまま護られて生きていくのは、苦しい。見送りたくない。救う術を持つのなら、どうかそばに置いてほしい。兄さまたちの力になりたい。そう、涙ながらに懇願された。
 握られた手のひらから、名前の強い意志が伝わってきた。柱間の葛藤は、名前の言葉に掻き消された。名前の願いを叶えてやること。それこそが、名前に対する柱間の愛情の在り方になったのだ。



――名前にそんな力、あって良いわけがない。


 かつて聞いた扉間の願い。その願いは、脆くも朽ち果てた。名前の力は、たった今、この戦場で証明された。それは、大切な妹の、命を削る悍しい術。弟を救いたいがために、友を殺したくないがために、それが行使されることを許してしまった。神の力を得るために、妹は犠牲になったのだ。
 何が最善かなんて、試してみなければわからない。あの時の自分は、そう言った父の言葉を最終的には受け入れた。同罪だ。弟も、友も、失うことが怖かった。何も捨てることが出来なかった。だから、ほんの僅かな可能性に縋って、妹を信じることが愛だと思い込むことに徹した。
 その結果、扉間が救われた。マダラを殺さずに済んだ。名前の力が証明された。柱間は、名前に向ける愛の形を貫いた。それが今ここにある全てだ。

「なぁ、マダラ」

 情けなく震える手のひらから、刀が滑り落ちていった。扉間が助かった今、もう争う理由はない。柱間は、マダラの目を真っ直ぐに見つめた。縋るような目つきをしているだろう。マダラは訝しげに眉を潜めて、むっと口を歪ませた。
 マダラはその目で見たこと、肌で感じたことを、心の中だけに留めてはおけないだろう。マダラの意思がどうあれ、周りの大人たちがそれを許さない。扉間が助かった事実も、如何にしてこの結果が導かれたのかも、すべてを話す義務がある。
 それは、こちらとて同じことだ。手練れの医忍たちでも治せなかった扉間を、誰がどのようにして救ったのか。あの膨大なチャクラは誰のものか。柱間が、扉間が、必死で守ってきた名前の秘密は、一族の前で暴かれてしまう。その後は、もう、誰の意思も尊重されることはない。

 名前の運命は、この日を境に大きく変わるだろう。変わることを、望んでもいた。後悔したところで、無駄なことだ。己の判断を信じられないことは、弱さだと知っている。全て自分が招いた結果だ。受け入れるしかない。


「俺は、道を誤ったと思うか」


 それでも、問わずにはいられなかった。弟を失った直後、深く沈んでいた心をその手で引き上げてくれた唯一の友。どうしても、その声を聞きたくなった。


「……知らねぇよ、ンなこと」


 少し間をおいてから、マダラはぶっきらぼうな口調で答えた。その姿は、あの頃のマダラを思わせた。柱間は、無性に泣きたくなった。柱間にとってマダラは、ずっとあの日のまま変わらない。心根の優しい男だ。たとえ敵だと言われても、何も変わらない。大切な友のままだ。

「後悔するくらいなら、もう二度と離すな」

 絞り出すように出されたマダラの言葉は、先の先を見据えていた。その思考は、弟のものと良く似通っている。妹の身を案じるような言葉。マダラが妹の名をふと漏らしたのを聞いた瞬間、柱間は二人の間にあった出来事を悟った。"なにもなかった"なんて、あり得ない。マダラがあんなにも感情を露わにした理由が、きっとそこにあったはずだ。

「……マダラ、お前は、名前と」

 その先の言葉を、マダラが聞いてくれることはなかった。

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