十二話

 
 真白いチャクラの渦。皮膚の裏側を食い荒らす熱。血の海に浸かる小さな身体。正気の失せた赤い瞳。己が名を呼ぶ愛しい声。この目に見えるもの、触れるもの、感じるもの、全てを疑った。

 黄泉の國より舞い戻った先は、地獄となんら変わりなかった。生臭い血に塗れた最愛の妹が、乱れた寝衣から青白い肩を剥き出しにして、焦点の合わぬ瞳で己を見下ろしている。目を覆いたくなるような、悍しい光景だ。自分はまだ、醒めない悪夢の中にいるのだと思いたかった。
 五感が異様に冴え渡る。はっきりと浮上した意識は、嫌と言うほどこれが現実だと実感させた。深く切り裂かれたはずの肩が、まるで何事も無かったかのように真新しい皮膚を纏い馴染んでいる。毒の痺れも痛みもない。三日三晩続いた戦の疲労感さえ消えており、不気味なほど、身体の調子が良くなっている。現実と向き合えば向き合うほど、奈落の底へと追い込まれていくようだ。
 これが"ただの"医療忍術の為せる技というのなら、誰しもその術の習得に励み、朽ちぬ肉体を得ようと躍起になるだろう。たとえ腕をもがれようが、足の骨を砕かれようが、喉元を引き裂かれようが、何もかも全て元通りになる。傷では死なぬ身体だ。この術を意のままに操ることが出来たなら、ひとの命は永遠になる。

 肉体の創造再生術は、この世の禁忌とされるべきだ。誰もが手にして良いものではない。己の寿命を縮め、犠牲のうえに成り立つ、悍しい神の力。

 神はどうして、兄だけではなく、この妹にその力を与えたのか。どうして妹が、選ばれてしまったのか。扉間は死ぬほど神を呪った。こんな場所で妹の顔など見たくなかった。愛しい声など聞きたくなかった。
 身を包むチャクラを通して、名前の感情が流れ込んでくる。妹の心もまた、地獄の中を彷徨っていた。どうか、どうか、兄をお救い下さい。痛いほど強く、神に祈る声がする。扉間は神を心底呪うのに、妹は必死に願いを乞うている。どうにも、二人の想いは噛み合わない。幼い頃よりその手を引いて導いてきたはずの妹の足は、全く逆へ向かおうとする。

「………やくそくを、たがえたか、なまえ」

 妹は自分を裏切らぬと、信じていたかった。何もするな、傷を治すなと。扉間が名前に乞うた願いは、ついに破られてしまった。目を塞ぎ、耳を塞ぎ、その口さえも塞いだはずのこの手も、無下に解かれてゆく。それでも――妹のことを、愛していた。
 恨むべきは、傷を負った自分自身だ。妹にかけるべきは、そんな言葉ではない。自分がこんなことにならなれば、名前は無垢な姿のままでいられた。戦の凄惨さも、荒廃した大地の色も、晒された屍の山も、知ることは無かったはずだ。名前の心が穢れを浴びてしまった事実を、扉間はとても受け止められずにいる。
 どうして名前を責めるようなことを言ったのか、自分でもわからない。ただ無意識に、この胸の痛みを思い知らせようとしたのか。思い通りにならない妹に、己の想いをぶつけたかったのか。自分の命を救ってみせた名前のことを、褒める気になどなれなかった。身体は完全に回復したが、心はずたずたに引き裂かれている。
 今すぐ名前の手を引いて、二人でどこかに消えてしまいたい。ここに、いつもの冷静な自分は存在しなかった。

「扉間様……っ!」
「誰か、当主様と柱間様に伝達を!」

 扉間と名前を除き、この場にいるのは五名の忍だ。兄の姿はなく、父のチャクラは感知できる場所にある。我に返った医忍たちが、意識の戻った扉間の身体に近付こうとする。誰もが不安な表情を浮かべ、目の中に怯えを孕んでいる。
 この者たちは、恐ろしいのだ。年端のゆかぬ少女ひとりが、自分たちの身体をチャクラでなぎ払い、圧倒的な神の力を目の前で行使して見せたことが。

 この場にいる誰にも、名前の姿を見て欲しく無かった。 知られたく無かった。妹の特異さを、己がさえ実感したくなかった。激情にかられ、扉間は茫然とする名前の身体を素早く腕の中に引き摺り込む。誰の反応も窺わぬまま、右手で印を組み、瞬身で姿を眩ませた。戦地にいくつもつけたマーキングの、一番遠いところへ飛ぶ。それだけには充分なチャクラが、悲しいほど、身体の中に満ちていた。











 全てが一瞬の出来事だった。この目で最後に見えたのは、名前の身体を抱く扉間の、憂いと憎悪に塗れた赤い瞳。二人のチャクラは、もはや感知できぬほどに遠く離れていってしまった。この場にいる誰も、口を開くことができなかった。今し方起きた出来事全てを、誰が明確に理解し、説明できようものか。
 名前は印すら結ぶことなく、瀕死の扉間をたった数秒で治癒してみせた。――否、あれを治癒と呼ぶのかどうか。医療忍術を扱えない桃華がその能力を正しく判断することは難しい。だが、自分の他にここにいるのは、一族の中でも手練れの医忍たちだ。チャクラが充分でなかったとはいえ、その医忍たちですら止血もままならなかった傷を、あの子はたった数秒で。
 それに加えて、扉間は意識を取り戻した直後に、瞬身まで使ってみせた。無論、あれはただの術ではない。自身で新しく考案された、時空間忍術の一種だ。術の発動には膨大なチャクラとマーキング場所の感知に伴う緻密なコントロールが必要だと聞いている。一介の忍には到底扱えぬ術だ。それを、気を失うほどのダメージを負った後の身体で、瞬時に使いこなして見せるなど、いくら忍術の扱いに長けた扉間とはいえ、にわかには信じ難いことだ。

 仙人の身体を持ったそのひとは、その身に加護を受ける。肉を裂かれ、心の臓を貫かれようとも、瞬く間に身体が治癒を始めていく。彼の他にも、まだいたのだ。異端の力を授かったものが。よく似たチャクラ性質を持ち、同じ血が流れている。
 細い肩の震えが止まった瞬間、あの子の身体を神が乗っ取った。兄を失うという恐ろしい悲しみが、兄を救いたいという無垢な願いが、その小さな身体では扱えぬほどの、強大な力を呼び起こしてしまった。

 化け物だ、あの子は。

 誰かがそう言った。誰も否定しなかった。桃華はぐっと唇を噛み締めて、爪先で皮膚を食い破るまで、手のひらを強く握りしめた。一族の皆が見ている前で、当主に激情を向けた柱間と、少女の身体を強く抱き、この場から逃げるように消え去った扉間。二人のそばで戦っていた自分は、今日初めて、二人が護りたかったものを知った。
 親の愛をもらえず、兄の温もりだけを受けて育った幼き少女。傷一つない真っ白な手のひらで、振り落とされまいと首元にしがみついてきた健気さが、今はただ哀しい。顔も知らぬ女に抱えられ、疾風の如く戦場を駆け抜けて、地に寝かせられた兄の姿を見て、少女の心が健やかなままでいられるものか。

 戦場に呼び寄せてはならぬもの。ひとめに触れてはならぬもの。二人が己を失うほど、大切に大切に、あの子は護られて生きてきた。兄弟に忠義を誓ったはずの自分が、二人の命にも代わる存在を、傷つけてしまった。それはこの先も、恐ろしい後悔となってこの身に付き纏うだろう。命令されたからそうした、だけでは済まされない。結果論だけで割り切れるほど、桃華の心は図太く出来ていなかった。

 扉間の命は救われた。夜明けと共に争いは終わり、此度の戦は千手の勝利で幕を下ろす。私のしたことは、本当に正しかったのだろうか。

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