第十一話

 湿りを帯びた土さえ焼き尽くされた大地に、猛々しい大樹の檻が不自然に連なっている。どう見たって、自然発生的なものではない。木の根や皮から滲み出る深く柔らかな香りに、優しい兄の面影を感じた。

「……来たか、名前」

 弱く焚かれた火明かりの中に、父の姿があった。周りには、数人の忍が控えている。この男たちは、護衛役だろうか。名前の太腿よりも大きく筋肉質な腕を組み、威圧的な瞳が名前の頭上を見下ろしている。これが本当に兄と同じ人間なのだろうか。そう疑ってしまうほど、男たちは皆恐ろしい形相をしていた。父の手前、口に出して言う者こそいなかったが、こんな女が、こんな子どもが、という蔑んだ感情が透けて見える。誰も、期待などしていない。

「……お前たち、無礼が過ぎるぞ」

 肩を震わせ、足を竦ませる名前。見兼ねた桃華は、男たちを下がらせた。仏間は酷く怯えた表情をする名前に濃い溜息を吐いたあと、眉間に深い皺を刻み背を向ける。
 身を労る言葉もなく、扉間の容態だけを端的に告げると、仏間はその場を立ち去った。桃華は実の娘に対する当主の態度を見て一瞬呆気にとられたが、名前が何の感情も示さないのを見て、この親子の在り方を瞬時に察した。
 柱間があれほど激昂した理由が、桃華は少しだけわかった気がした。 

 あの当主は、この少女の持つ力を信用しているわけでもなんでもない。ただ、物は試しだと。この地に呼び寄せたに過ぎなかった。そうと理解した瞬間から、桃華は名前のことが憐れでならなかった。
 広い屋敷でたったひとり家族の帰りを待っていた少女が、細い肩を震わせながら兄を想って泣きじゃくり、薄い夜着に身を包んだまま、こんな場所へと連れてこられて。血に濡れた兄の姿を見て、正気でいられるかもわからないのに。
 ふらつく足で扉間の元へ向かおうとするその姿の、なんと、いじらしいことか。ここへ向かってくる間も、腕の中でずっと泣いていたのだろう。目蓋を真っ赤に腫らして、横に流れた涙の跡が目尻にこびりついている。

 この子には、二人の兄しかいないのだ。唯一身を預けられるであろう兄の一人は、今もこの地を護るために、何里も離れた場所で戦っている。名前のそばにいてやるべきは、自分ではなく柱間だった。自分には、怯え震える少女の肩を、優しく撫でてやることしかできない。

「名前様、きっと、大丈夫ですから」

 気の利いた言葉ひとつかけてやれなかった。扉間と同じ色をした丸い瞳は、焦点が合っておらず、ゆらゆらと頼りなく揺れている。片手でずっと口元を塞いでおり、嗚咽を耐えているようだ。顔は真っ青で、とても、治療など出来る状態には見えない。

 一丈先の幕営の下、そこに扉間が居る。意識は、未だ回復していないらしい。今となってはその事実にひどく落胆した。誰でもいいから、早くこの少女を深い哀しみから救ってやってほしい。扉間を救いに来たのはこの子の方だというのに、桃華はそんなことさえ考えていた。
 幕に手をかけたまま、そこから中々動けずにいる名前の代わりに、桃華はゆっくりとその道筋を開いてやった。

 ぽつぽつと並べられた燭台の明かりの一番奥に、こちらに足裏を向けて横たわる扉間の姿が、はっきりと見えた。数人の医忍がその身体を取り囲み、汗を垂らしながら必死で掌仙術を施している。桃華がここを離れる前と、状況は何一つ変わっていない。

「……名前様?」

 桃華はふと、名前の肩の震えが止まっていることに気がついた。その、ほんの数秒後。肩を支えていた桃華の手を振り切って、足を縺れさせながら必死で兄のもとへ向かう名前に、驚きで目を丸くした医忍達が数人振り返った。
 人の隙間を懸命にくぐり抜けて、兄に触れようとした名前の手を、一番先に我に返った男が焦って押し留める。名前の両脇に腕を差し込んで、寝衣が乱れるのも構わず、引きずりながらその身を剥がそうとする。乱暴はよせ、と桃華が叫ぼうとした瞬間、突風のようなチャクラの渦が、名前の身体から放たれた。

 名前の身体に触れていた者のみならず、近くにいた医忍達はみな扉間から引き離されてしまった。掌仙術を絶えず施していた傷口からは、瞬く間にどろどろとした血が溢れ出して、医忍のひとりがたまらず悲鳴を上げる。傷口を塞ぐどころか、出血さえ止められていないようだ。そんな状態で放置し続ければ、あとどの程度耐えられようものか。
 名前の身体を退かそうにも、可視化された膨大なチャクラが、名前の全身を取り囲んでいて離れない。桃華はその凄惨な光景に、その場から一歩たりとも動けなくなった。――これは、このチャクラは、あの人のものと酷似している。それはまだ記憶に新しい。初めて向けられた殺気に含まれた、激情とともに燃ゆる炎。

「とびらま、兄さま……っ」

 悲痛な叫び声と共に、名前は扉間の胸元に縋り付いていた。にいさま、にいさま。熱情を孕んだその声は、母を呼ぶ赤子の産声のように無垢でいて、あまりにも嘆かわしい。ここに居る誰ひとりとして、二人に近づくことは出来なかった。名前の身体を取り囲むチャクラが、兄以外の人間を拒絶している。

「……っ、なんだ、なんなんだ一体!」
「当主様が仰っていた、扉間様の、妹君がっ」

 突然現れた幼き少女のおぞましいチャクラの熱量に、大人達はみな恐れ慄いていた。正常な判断が出来るものはおらず、皆が言葉を詰まらせ慌てふためいている。
 どくどく、どくどく。扉間の身体から溢れ出す血が、名前の白い寝衣を赤く染め上げていくのがはっきりと見えていた。
 ――嗚呼、駄目だ。このままでは、扉間様は死んでしまう。桃華を含め、その場にいた全員がそう感じた。誰が何を叫ぼうと、名前の耳には何も届かない。全身を兄の血で濡らして、それしか言葉を知らぬように兄の名前を呼び続ける名前の姿は、狂気そのものだった。
 

 名前は、恐ろしかったのだ。血の気の失せた顔で横たわる扉間を取り囲む、全てのものが。兄を救おうとしている者たちが、名前の目には、黄泉へと誘う死神に見えていた。その手で兄に触れるな、近づくな。抑えきれない感情が、チャクラの渦となり熱と化す。目の前で兄を失う恐怖が、名前の心を深く抉り、頭を混乱させていた。
 暗い血の海が、広がっている。兄から漂う死臭と毒のかおりが名前の嗅覚を痛く刺激する。しなせたくない、しなせたくない。名前の頭はその言葉で埋め尽くされていた。ぐるぐると眼球が動き回り、口の中いっぱいに苦い鉄の味が広がっている。呼吸はままならず、喉が引き付けを起こしている。
 心臓が苦しくてたまらない。身体中の血液が沸騰して、骨が溶けてるみたいに熱かった。兄に触れれば触れるほど、その痛みは濃くなってゆく。兄が感じている苦しみが、痛みが、名前の身体に伝染し、じわじわと染み広がっていくようだった。







「……皆、そのまま、決して二人に近づくな!」

 桃華はこの場でただ一人、やっと冷静さを取り戻そうとしていた。もう、この状況を治められる者がいるとすれば、あの人しか考えられない。桃華は竦んだ足に力を入れ直し、すぐさまこの場を発つ決心をした。第一線陣地へと急ぎ向かい、柱間をこの場に呼び寄せる。
 自分如きに、あのうちはマダラを足止め出来るとは到底思えない。だが、差し違えてでも良い。この場にはどうしても柱間が必要だった。もはや一刻の猶予もない。桃華は目を固く閉じて、自身の心音を三度聞いてから、瞬身の印を組む。

 そしてもう一度、ゆっくりと目を開けて、最後に二人の様子を捉えようとした。
――その刹那、状況は一変する。



「……やくそくを、たがえたか、なまえ」



約束を、違えたか。
確かにそう、扉間の口が象った。それをそばで聞いた名前は、目を見開いて固まっていた。

 ごうごうと唸りを上げて乱れていたチャクラは、あっという間にその色を消し去った。

top

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -