第一話

 黒い窯の中でごうごうと燃え盛る赤色。静かな炎のゆらめきを両の眼でぼんやりと見つめながら、名前はとある言葉を思い出していた。

 炎の色は、温度によって変わる。赤色の炎は熱そうに見えるけど、実際は青色をした炎のほうが強い。空に浮かぶ星もそう。あの青白く光る星たちは、冷たそうに見えるけど、本当は太陽の何倍も熱いんだよ。そんなことを何だか得意そうに話していたのは、名前の三つ上の兄。名を、千手瓦間という。


 名前には四人の兄がいる。
三男の瓦間は、名前が赤ん坊のときから兄弟の中で一番良く面倒をみてくれていたという。母は名前が生まれてすぐに病で亡くなった。母の顔すら知らない名前に、瓦間はよく母の話をしてくれた。名前が四歳になったときに、率先して窯の使い方を教えてくれたのも瓦間だ。それ以来、家族の飯を炊くのは名前の仕事だった。
 でも、名前はまだ小さい子どもだから、一人で窯番なんて危ないと、瓦間はいつも名前のそばで一緒に窯の様子を見てくれた。


 ぱち、ぱちん。火割れの音がどこか物悲しく響く。赤い炎が、今日も静かにゆらゆらと揺らめいている。


 青い炎が熱いなどと言われても、名前はこの色しかみたことがないのだから、本当の所はよくわからない。瓦間は青の炎を見て、触れて、確かめでもしたのだろうか。
 真っ赤な炎でも、名前にはじゅうぶんに熱く感じられている。窯の中をほんの少し覗き込むと、熱風がたちまち肌を焼きつけるのだ。こんなのに触ったら、ひとたまりもないと思うくらいには熱い。
 ただ、それを話す瓦間が随分と楽しそうにしていた。瓦間と名前はよく一緒に笑った。名前は瓦間との窯番の時間が、大好きだった。


「なまえ、まだちいさいこどもなのに」


 瓦間が突然いなくなってから、名前はひとりで窯番をしていた。六人分の米の量をやっと覚えたところなのに、これからは五人分で良いと父に言われた。五人分というのがいったいどれくらいの量なのか、名前にはよくわからない。だからいつもと同じだけ炊いてしまい、父が毎回溜息を吐く。四男の板間は泣きそうな顔をして、次男の扉間は何も言わずに目を伏せる。
 その分名前がたくさん食べて、早く大きくなればいいのだと。いちばん上の兄、柱間だけはいつも笑ってくれた。


 幼い兄弟の死。それを理解し、嘆き、涙するほど名前の心は成熟していなかった。瓦間はいなくなっても、いつか家に帰ってくる。ずっとそう思って過ごしていた。







「かわらま兄さまは、どうしてかえってこないんだろう」

 瓦間が死んで十日経った、とある朝のこと。兄弟四人で食卓を囲んでいる最中。
扉間は、恐ろしいほど無垢な瞳が己を見上げていることに気がついた。動揺して危うく箸を落としかけたが、なんとか耐える。

 名前の言葉に、柱間と板間の手がピタリと止まる。ああ、今日は父が朝から出かけていて心底良かったと、兄たちは皆同じことを思った。

「とびらま兄さまなら、どこにいるかわかる?」

 兄たちの中で最も賢いのは、この扉間だと名前は思っている。箸の使い方や、着物の着付け方、山菜や花や動物の名前。扉間は多くの知識を名前に与えてくれた。もしかすると瓦間が話してくれた炎の色のことは、扉間が教えたのかもしれない。扉間は名前がわからないことを、いつも正しく、そしてわかりやすく教えてくれる。だから、名前は扉間に何でもよくたずねた。

 扉間は、口の中にあったものを早急に呑み込んだ。箸をきちんと揃え、茶碗の上に置く。背を正してから名前の方に膝を向けて座り直し、その視線と目を合わせた。
 名前も兄に倣って箸を茶碗の上に置く。大事なことを話すときは面と向かい、目と目を合わせなければ伝わらない。それが礼儀でもある。そう名前に教えたのは、扉間自身だ。無垢で純粋な末妹は、期待に満ちた眼差しで扉間を見上げてくる。その答えを、静かに待っている。

 扉間の瞳と名前の瞳は、同じ色をしていた。他の兄弟たちとは違う、母譲りの赤い瞳。

「名前。死んだひとには、もう二度と会えない」

 ぱち。ぱち。二度、そのまぶたが瞬く間に、一体どんな考えが頭を巡ったのだろう。扉間によって至極冷静に紡がれた言葉を、名前もまた冷静に受け止めていているように見えた。四歳になったばかりとは思えぬほど、名前の態度は落ち着き払っている。

 にどと、あえない。
女児特有の高くまろみを帯びた声で、名前がぽつりと呟いた。その意味を真に理解したとき、果たして名前はどうなってしまうだろうか。どうしてと嘆き悲しみ、弟を殺めた一族を、恨むだろうか。純真無垢な瞳が暗い感情に塗れてゆくのを恐れているものの、扉間は名前に正しい知識を与えてゆかねばならない。名前がそれを自分に求めてくるから。そうすることが自分の役割だと思っていた。

「じゃあなまえがしんだら、かわらま兄さまにあえるかな」
 
 名前がそう言ったとき。兄たちは、皆、同じ顔をしていた。

 死の最終性を、名前は理解できていない。瓦間が死んだ日も、名前は涙ひとつ溢さなかった。戦場から一番遠くにいる名前には、わかるはずがない。一族間の争いも、人の焼けるにおいも、刀の重みも、血で血を洗うべきとする、馬鹿な大人たちの思想も。
 扉間が何か答えようとしたとき、がたん、と大きな音を立ててちゃぶ台が揺れた。茶碗の上に揃えた箸が転がって、名前の膝上にぱた、と落ちる。


「名前。俺たち兄弟は、お前を絶対に死なせたりしない」


 強く、重たい声が、名前の鼓膜に突き刺さる。一番上の兄、柱間の声だ。いずれ家督を継ぐ男として、父からいっそう厳しい教育を受けている。
 ちゃぶ台の向こう側から柱間に両肩を掴まれて、無理やり身体の向きを変えられた。名前はかなり驚いた。名前にとって、一番おおらかで優しいのが柱間だ。柱間は名前を決して怒ったりはしないし、名前が何を話しても、いつもにこにこと笑みを絶やさずにいる。そんな兄が、まるで父のように厳しい顔をして、名前の肩を掴む手のひらに力を込めている。

 名前の疑問に対して正確な返答をする扉間とは異なり、柱間の言ったことは、名前が知りたいことの答えになっていない。でも、このとき名前はひとつのことを理解した。


 兄たちには、もう決して瓦間のことを話してはならないと。










 ひくり、と鼻先が動く。薪が焦げたにおいにまじって、玄関戸の隙間から入り込む風が、柔らかな香りを運んでくる。
このにおいは、はしらま兄さまだ。名前は窯の前から腰を上げて、髪をふわふわと揺らし、玄関へとかけてゆく。

「名前!今帰ったぞ」

 柱間の笑った顔を見ると、胸にあった黒いもやもやが、溶けて溢れ出していく感じがした。今日はひとりでずいぶんと寂しい思いをしていたので、兄の姿を見た途端、たまらなくなってしまう。かけた勢いのまま腰元にぎゅうと抱きつくと、柱間はうお、と驚いたような声を出していたが、そのあとすぐに抱きしめ頬擦りをしてくれた。

「ただいま、名前」

 柱間の胸の中で、すぅと息を吸い込む。兄はいつも、外の香りを纏っている。青々とした葉と、乾いた土と、清々とした川。少しの汗と、お日様の光。それともうひとつ――今日の兄はなんだか、とても、良い匂いがした。

top

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -