第九話

 女が戦場に立つことを許されている一族は、千手をおいて他にはない。とはいえ、女は一族の繁栄のために男に尽くし子を産み育てることが一般的とされるのは、他氏族同様、千手においても変わらない。戦に呼ばれる女は、類い稀なる才を持った者だけだ。それ以外では全てにおいて男に劣る女を、わざわざ戦地へ送り出すようなことはない。女であるというだけで、踏みにじられるものは男よりずっと多いのだ。

 あの老巫女の話は、根底にある思いは全く違えど、扉間が名前に望む未来に近いのかもしれなかった。戦地に身を置くことなく、憎しみさえ知らずに、誰かの庇護の中で生きてゆく。それが幸せであるか否かは別として、名前をより安全な場所へ導くことに重きを置いている。
 対して柱間は、名前が自身の心を打ち明けたことを嬉しく思うと言ってくれた。名前にとって、自分の信念を貫くことはさほど重要なことではないし、二人の兄が幸せであれば、きっと名前も幸せなのだと思っている。それでも、柱間は名前が兄の描いた道筋通りに進むことを、決して良しとはしなかった。自分で決めた道を歩むべきなのだと、名前の背を支えてくれた。
 
 どちらの想いも、溢れんばかりの愛情に満ちている。それ故に、名前の心は揺れ惑っていた。二人の想いをどのようにして受け止めたら、最善を取れるのか。決して欲張っているつもりはない。選択肢というものはそもそも存在しておらず、名前にとってはどちらも蔑ろに出来ない大切なものだ。愛に犠牲など必要ないはずだし、互いを想い合う心はきっと繋がり合える。

 兄たちが戦から戻ってきたら、三人で話をしたいと言おう。名前は腹を決めた。柱間がそうしてくれたように、扉間だってきっと、そう願えば名前の心を聞いてくれる。あの雨の日は、名前が臆病で何も言い出せなくなってしまったことが、そもそもの要因だ。扉間の想いを知った名前の心が変化したように、扉間も名前の心を知れば、なにが思うことがあるかもしれない。
 柱間には言ったのだ。扉間にだって、言わなくちゃならない。そうすればきっと、また昔みたいに向き合えるはずだから。








 名前の家にそのひとが姿を現したのは、草木も眠る丑三つ時だ。外から強く戸を叩く音に起こされて、重たくなりつつあった目蓋をこじ開ける。こんな夜更けに人が訪れたことはなく、不審に思った名前は戸を開けずに暫く待ったが、父からの遣いのものだと言った女性の声に、ハッと目を見開いた。

 寝起きで冴えきらなかった感覚が、みるみるうちに鼻先へと集中する。白絹めいた皮膚の甘い香りと、濃く立ち込めた煤煙、錆びた刃のえぐみと、樹々の焦げた臭い、そして、僅かに残る、生臭い鉄の――。
 そこまで知って、名前は勢いよく戸を開けた。寝乱れた夜着を引きずりながら、名前は玄関の前で片膝をつき首を垂れる女性の肩に手を置いて、面を上げさせた。
 高い位置で結い上げられた髪に、女性特有の丸みを帯びた輪郭。細い手足には到底見合わぬ甲冑をつけたそのひとは、自身を“桃華"と名乗った。名前に言われて顔を上げたその表情は、燭台の炎も震えるほど差し迫ったものであった。この女性から発せられる全てのものが、名前の心をひどく騒つかせている。

「……なにが、あったの」

 女性の肩を掴む手に力が籠る。名前の嗅覚は、普段と変わらず冴え渡っていた。彼女が纏う香りの中に――扉間の、においを見つけたのだ。においの密度の濃さから、相当な出血量であることがわかる。戦が終わったとの知らせも受けていないのに、わざわざ名前の元に遣いを走らせる事態とは、ただ事ではないだろう。

「あには、深手をおったのですか」

 震えた喉で絞り出した声は、弱く掠れていた。どく、どく、どく。心臓の鼓動が走る。扉間の血の濃い香りが、鼻先にこびりついて離れない。あの時嗅いだものとは、質がまるで異なっている。

「……名前様は高度な医療忍術を使えると、当主様が仰られました。名前様なら、扉間様の傷を治癒できるやも知れぬと」

 当主様。父が、そう言った。ならば兄たちは、ここに桃華が遣わされたことを知っているのだろうか。柱間はいま、扉間のそばにいるのだろうか。それとも、扉間に傷を負わせた人間と、戦い続けているのだろうか。名前の心は、最早己では制御できぬほどに乱れきっている。

「戦も終盤に差し掛かっています。……現場にいる疲弊した医療忍者だけでは、とても」

 ――助けられません。桃華のその言葉を聞いて、名前は手で口元を覆った。これは夢か、現実か。鈍器で殴られたみたいに頭が痛い。心臓を鷲掴みにされているかのように胸が苦しい。呼吸が、いつもみたいにうまく出来ない。誰かに助けを求めたいのに、頼るべき兄の姿が見えない。

「……名前さま」

 立ち上がった桃華がふらつく名前の背を支えて、気をしっかり持つようにと声を掛け続けた。燭台が手から滑り落ちて、淡い灯火だけが地面を照らす。無意識のうちに溢れ出す涙が肌を伝う感触さえ、なにも感じられなかった。全神経が、扉間のにおいを辿るためだけに働いている。



 名前の乱れるチャクラを安定させるために、桃華は己が得意とする幻術をかけようとした――が、印を結んだ後もまるで様子の変わらない名前に、驚きで目を見開いた。幻術返しをされた痕跡もなく、ただ、荒波のように揺らめくチャクラがそこにあるだけ。幻術がまるで効かない人間など、桃華は今までに見たことがない。
 それよりも、感情の制御が出来ずチャクラコントロールさえままならない様子の少女が、本当に、高度な医療忍術など扱えるのか、不思議でならなかった。仏間自ら発した命を受けてここに来た桃華だが、名前の様子をみてからは、当主の言葉に疑念を抱き始めている。

「名前様……あなたが本当に医療忍術を扱えるのだとしても、一刻も早く扉間さまのところへ行かなくては、元も子もありません」

 しかし、あの仏間が名指しするほどなのだ。今はそれを信じて向かうしか術はない。泣きじゃくる名前の手を引いて、その身体を抱き上げた。荒れるチャクラが桃華の肌を打つ。多少の痛みはあるが、とやかく言っている暇はない。

「……来てくれますね、名前様」

 名前が抵抗する様子は一切なく、力の抜けきった細い首がこくりと垂れた。桃華は名前の身体をしっかりと抱え込み、瞬身を使って村を後にする。


 細い山道を下り、川沿いを全速力で駆け抜けていた。一足ごとに麓に流れる川の匂いと、湿った土埃の香りが、夜の涼やかな空気に入り混じる。真緑の葉が生えそろう豊かな雑木の群れを抜けると、真っ白な月明かりに照らされた川水の音が耳に届いた。寝静まる獣たちの深い吐息と、川底に張り付く藻屑の生臭さまでもが、名前の鋭敏な嗅覚を擽っている。

「忍の足でも半刻ほどかかる道ですが、その半分でたどり着いて見せます。名前様、どうか振り落とされませんよう」

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