第五話

 暗雲が渦巻く空の下。扉間は、先に逝った弟たちの墓標を前に立ち尽くしていた。戦の後はいつも欠かさずここへ来る。この地で眠っているのは扉間の弟たちだけではない。戦で死んだ者を弔う共同の墓地のようなものだ。戦時中は供養さえ十分に出来ず、亡骸のない、空の棺桶もいくつか埋められている。
 粗末な墓石に降り注ぐ雨が、ひたひたと激しく跳ねて、扉間の足元を濡らしていた。黒い染みが、じわり、じわりと広がってゆく。

 弟の亡骸のかたちは、今も脳裏にこびりついている。型の合わぬ甲冑を纏い、身の丈ほどもある刀を、震えた手で握りしめて。怖かっただろう、無念だっただろう。彼らが死の直前に何を思ったのか、想像すら出来なかった。チャクラも上手く扱えぬほど幼くして亡くなった弟たちのことを、"立派な忍"と呼ぶ愚鈍な大人たちを、何度心の中で罵倒したことか。

 そんな大人たちも、幾度となく繰り返される戦の中で、何人も死んでいった。子より先に逝けて幸せだとか、この恨みはお前が晴らせだとか、戦いの中で死ねるのなら本望だとか、馬鹿なことを宣いながらその命を落としていく。
 こんな時代は、一刻も早く終わらせるべきだ。人が憎しみ合い殺し合うことで生まれるものなど、なにもありはしないのだから。


 兄、千手柱間の抱く夢。それは扉間の目指す世の在り方に近い。天下を分け隔てる千手とうちはが手を取り合い、幼い子どもが武器を持たなくて良い、平和な世を作る。簡単な道程ではないと、父は言った。厳しい言葉だが、全くその通りだ。大人達がずっと、その仇討ちを子に託して来たのだから。負の連鎖を誰かが断ち切らねば、新しい世が始まることはない。それを理解できない者たちが、今のこの世を残した。

 どうか自分たちの世代では、それを成し遂げたいと願い続けている。あの兄ならば、終わりにすることが出来るかもしれない。己の夢に、一番近いところに居るのは兄だ。自分が望む世界に、弟達のような犠牲は必要なくなる。愛する妹が、兄の無事を思ってひとり泣き焦がれることもなくなる。

「板間、瓦間」

 扉間はその地に膝を折った。雨の湿りを帯びた土の上に手を置いて、ゆっくりと目蓋を閉じてゆく。どくん、どくん。己の心臓の鼓動が、体内で鮮明に響いている。感じるのは、それだけだ。――当然だ。二人はもういないのだから。

 弟たちの死の痛みを、忘れることはない。憎しみが、決して消えるわけではない。それでも。この心臓を捧げて彼らの無念を、恨みを晴らすのではなく、新しい生命が繋ぐ未来を見守るために尽くすことを、どうか許して欲しかった。先に逝った二人のために戦うのではない。柱間と名前、残された者のために戦うことを、許して欲しい。兄が描いた夢の先に、連れて行ってやれないことを、どうか。











 降りしきる雨に紛れて、兄は一人泣いていた。その血は、雨の中でもひどく匂い立つ。



 名前の気配に気がついた扉間は、ふらりと音もなく立ち上がった。肩口に巻かれた包帯から、血の赤が滲んでいる。名前が思っているよりもずっと、その傷は痛むはずなのに。扉間はいつもと変わらぬ無表情で、名前の姿を真っ直ぐに見据えている。

「……扉間兄さま」

 ざあ、ざあと強く打ち付ける雨の音に、名前の小さな声は掻き消された。それでも、扉間はその唇が自分の名を象ったのを、目で追って確かめていた。
 傘を持つ手とは反対の手に、畳まれた傘がもう一本握られている。妹は、自分のことを探してここまできたのだろう。優れた嗅覚で血のにおい辿り、たった一人で。柱間がそばにいたはずなのに、どうしてそんなことをさせたのか。

「名前、何しにきた」

 思ったよりも、随分と低い声が出た。威圧的な声色だったにもかかわらず、名前は全く怯えむことなく、扉間から目を離さずにいる。冷たく突き放されるのにも、きっともう慣れてしまったのだ。生憎、今は二人を隔てる襖の壁もない。瞳に宿した感情も、表情も、なんだって良く見えてしまう。

 ひとつ、またひとつと、名前は扉間に歩み寄ってきた。ぱた、ぱた。と、傘を打ち付ける雨の音が近くなる。影の下でも、赤く腫らした目蓋の色がわかるくらい、名前が扉間のそばに寄った。
 名前がぐっと踵を上げて、己の傘の中に扉間の濡れた身体を招き入れようとする。が、泥濘に足を取られて、上手くいかなかった。すかさず扉間が名前の手ごと傘を奪い、それとは逆の手でふらついた名前の身体を抱き寄せて支えた。

「……っ、」

 扉間を見上げるその瞳は、やはり大粒の涙を溜めていた。もう何度も感じたことのある、抉るような痛みが扉間を襲う。妹にこんな表情をさせているのは、自分だというのに。勝手に遠ざけて傷つけて泣かせておいて、どうしてその張本人が心を痛めているのだろう。

「……ごめん、なさい」

 最善だと、信じたはずなのに。その決断すらも揺らぎそうになる。名前の無垢な瞳が、己の弱さを暴く。弟の墓前で、妹の目の前で、情けない姿を晒すことなどあってはならぬというのに。守ると誓ったはずの妹に、こんな顔しかさせられない。そんな悔しさが、なおも扉間の胸を締め付けていた。

「……お前が、謝る必要などない」

 落胆する必要も、哀しむ必要もない。何もしなくていいから、ただそこに居てくれさえすれば良い。そんなのはお前のエゴだと誰に言われようが、曲げようのない、それこそが扉間の本心であった。
 名前という存在はある種、この世の平和の象徴ともいえる。妹が健やかに成長し、幸せに溢れて生きてゆける世界。柱間と扉間が描く未来。その未来に、名前がいなければ、なんの意味もない。

「泣くな、名前。お前が心を痛める必要も、何かをしようとする必要も、ない」

 名前に告げる言葉は、扉間の祈りだ。この地に眠る弟のようにはならないでくれと、そればかりが扉間の心を巣食っている。

「俺の傷なんて治さなくていい」

 他の誰が望んだとしても、扉間はそれをこの先一生望まない。誰よりも自分の言葉を聞いて欲しくて、握っていた傘さえも投げ捨てて、名前の身体ごと、細い肩を両手で抱き寄せた。

「何もしなくていいから、約束してくれ、名前」

 名前はきっと、自分に何かを伝えたかったのだろう。ずっと何か言いたそうに、名前の目は己を見上げていた。扉間はそれに気がついていながら、応えなかった。
 言葉は時に枷となり、呪いともなる。扉間は先手を打った。名前の言葉を聞いてしまう前に、己の言葉で名前の心を縛り、何も言えなくした。

 柱間が何を許し、何を話したとて、扉間の心は変わらない。目を塞ぎ、耳を塞ぎ、その口さえも塞ぐ。エゴで塗り固めた、名前の幸せ。それが決して真っ当な道とは言えずとも、名前の生ある道は、何ものにも変えられない。この世で多くは望めない。だからそれさえあれば良い。

「すべて、お前を想うが故のことだ」

 この暗い雨に打たれるのは、己だけで良い。塞がらない肩の傷から血が流れようとも構わず、扉間は名前の身体を、降り注ぐ雨から守るかの如く、その胸の中で強く抱きしめた。
 

top

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -