第三話

「チャクラの練り方も知らぬ名前が、掌仙術など出来ると思うか?」

 扉間は、兄に向かって淡々と告げた。居間のちゃぶ台の前で胡座をかき、燭台の薄明かりの下で二人は顔を向き合わせている。

 扉間がその話を兄から聞いたときから、ずっと気になっていたことだ。名前は四歳の時、父の前で柱間に掌仙術のようなものを施してみせたという。
 己自身の身体を治す再生能力だけであれば、柱間と全く同じものだ。柱間も幼い頃から傷の治りは人一倍早かった。それが己の細胞やチャクラからなる再生能力であるとわかったのは、実際にチャクラの練り方を教わった時のことだ。身体が成長すればするほどチャクラの量は多くなり、忍術を駆使することによってその能力も肥大してゆく。印を結ばずして身体を治癒できるというのは、柱間が忍術の才に溢れているという事実のみならず、元々、柱間の身体がそういう作りをもって生まれてきたということも大きく関係していた。
 名前の身体が柱間と同じ再生能力を有していると知ったのは、名前が柱間の傷を治してみせた後のことであった。名前が大きな怪我をしたことは今までに一度もない。小さな怪我をしていたとしても、身体が勝手に治してしまっていたから、名前自身に聞くまでは、誰も気がつかなかった。
 
「兄者がその力を人に対して使うことが出来ぬように、医療忍術と再生能力は全くの別のものだ」
「…………待て、それだと」
「名前の持つ再生能力は兄者とは違い、人に譲渡できるものなのかもしれん、という話だ」

 重々しい口調で告げられた扉間の言葉に、柱間はぐっと押し黙った。名前が人を治すそれは、医療忍術ではなく、自己治癒力と同じ、再生忍術。それは本来、自分以外の人間に対して行うものではない。細胞分裂を繰り返し行い、己の寿命を縮めて行うのが再生術だからだ。
 再生は決して無限ではない。それ相応のリスクを伴う。柱間の場合、体内に満ち溢れたチャクラを上手く用いて細胞を活性化させることが出来るため、限度はあれど、身体に大きな負担を強いることはない。
 しかし、名前は違う。チャクラコントロールどころか、チャクラを練ることすら知らぬ子どもだ。使い方を誤れば、自殺行為にもなる。しかもそれを、他人に、譲渡出来るとなれば。

「……下手をすると、名前の命と引き換えに、ということもあり得るのだ」

 名前がその意思だけで、力を譲渡してしまえるのなら。扉間はそれを懸念していた。柱間がその力を人に対して使えないのは、その身体がもつ細胞とチャクラが特異なもので、自分以外に向けると拒絶反応を起こす可能性が高いからだ。それ故に、相手のチャクラと自分のチャクラを同調させて治癒能力を高める、本来の医療忍術でさえも、他人の体では扱えない。

 ただ、名前が他人に対してその力を使ったのは、扉間が知る限り、兄である柱間だけだ。チャクラ性質の似ているこの二人だからこそ、成し得たことなのかもしれない。そうであれば良いと、何度も思った。扉間はそれを確かめたいという好奇心より何より、そうであって欲しいという願望の方が強かった。だから、ずっと触れずにいた。名前がもし、この自分の傷さえ治してしまえたら。その再生術で、他人のどんな傷も治してしまうことが出来たら。――恐ろしくて、吐き気がするほどだ。

「名前にそんな力、あって良いわけがない」

 名前の命を削って在る力など、消えてしまえば良い。そう願って止まぬのだ。しかし、それを一番知られたくない人物に知られてしまっている。――父、仏間が、その特異な能力を見逃すはずがない。今は動かずとも、きっとその機を伺っている。

「しかし、まだ本当かどうか……」
「少しでも懸念があるなら、それは潰すべきだ」

 扉間は柱間の言葉に被せて言い放った。薄く開いた赤い瞳は冷え切っていて、柱間はゾクリと背を震わせる。


 扉間はきっと、名前の身を守るために、名前の自由をも奪う気でいる。自分や柱間以外の人間と触れ合うことを恐れて、その身体ごと隠そうとしている。
 間違っている、とは、思わなかった。名前を守るのであれば、それがいちばん合理的な方法なのかもしれない。しかしそれは、名前の心を殺してしまうことにはならないだろうか。
 柱間は、名前が何を一番に望むかを考えた。きっとあの妹は、もしその時が来たら、己の命を犠牲にしてでも誰かを救いたいと願うだろう。褒められたことではないが、わからないわけではない。もし自分が、妹や弟の命のためにその身を差し出せるかと言われたら、迷わず頷く自信があるからだ。

「……それでも。父上を黙らせることなんて、出来ないだろう」

 苦し紛れの言葉だ。それ以外に、扉間に言えることが見つからなかった。扉間は静かに目蓋を伏せたきり、何も話すことはなかった。










 その頃。名前は夢の中にいた。ふわりとかおる、あの日のにおい。これは名前の過去の記憶だ。大好きな兄と初めて喧嘩をしたあの日、名前は誘われるように家の外へ出た。履物を引っ掛けていくのすら忘れるほど、夢中になって、そのにおいのする方へかけて行った。
 においの先にはひとがいた。真っ黒な衣服をその身に纏い、がさつな言葉遣いをする、目つきの悪い少年。そして何より、芳しい。目にするもの、耳にするもの、感じるもの、触れるもの、何もかもが新鮮で、名前は一瞬にしてその少年の虜になった。

「足。もう怪我するんじゃねぇぞ」

 痛みなどない。傷さえ癒えた足先に、少年は自分の衣服を裂いた布を巻きつけてくれた。先ほどまで己の首を締めていた手が、名前の足に柔らかく触れている。
 少年の瞳から、もう憎しみの色は失せていた。代わりに、自分の兄が向けてくるような、慈愛に満ちた眼差しを向けられている。名前は、己の心が生暖かい熱で満ちていくのを感じていた。兄といるときにはない、新しい感情の芽生え。語りかけられる声が、触れる手の温もりが、細くたわむ目の色が、名前の心を色鮮やかにした。

 そして名前はこの時すでに、記憶の幾つかを抹消していた。少年に呼吸を奪われそうになったことも、自分の兄を殺したのが少年の一族だということも、少年の傷を自分が治したことも。全て忘れていた。
 ただ、この少年が自分に尽くしてくれたこと、赤い瞳が描く紋様が美しかったこと、そのにおいを愛おしいと思ったこと。たったそれだけが、幼かった名前の心に、強く激しく残っていた。






 ふと目を開けると、そこには兄の顔があった。自分と同じ色の髪をぐちゃぐちゃに散らして、名前の身体を強く抱きしめて眠っている。柱間に抱かれて眠るのは久方ぶりのことだった。随分と硬く立派になった兄の胸元に、名前は頬をすり寄せる。
 あの夢を見たのは、きっと兄のにおいがしたからだ。兄とともに、初めてあの人のにおいはやってきた。それからは随分と長く、いつも一緒だった。名も知らぬ、うちはの少年。

 名前はあの日、兄たちに嘘をついた。少年には何もされなかったと。その記憶をすっかり消していたから、勘の鋭い扉間でさえ、気づくことが出来なかった。それをどうして今、このタイミングで思い出したのだろう。

 名前の心は哀しみと罪悪感に塗れていた。己の記憶を消してまで、名前はあの少年との思い出を隠したかったのだ。大事なものを、宝箱に隠すように。この優しい兄たちに、嘘までついて。名前は兄の胸の中で、ひとり声を押し殺し、泣いた。

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