御伽噺から出てきた主人公。否、この場合は主人公たちに立ちはだかる敵、だろうか。この戦場において、あの男を知らぬものはいなかった。全身に漆黒を纏い、冷たく暗いチャクラを発するその身は確かにヒトのかたちをしているのに、どうしても、それがここに集う忍たちと全く同一のものとは思えない。桁が違う、とでも言うのだろうか。

 黒目の中に浮かぶ基本巴の写輪眼が品定めでもするように、放漫な動きで地上を見回している。辺りの誰もが息を呑み、声すら発せず、取り憑かれたかの如く、突如この場に姿を現した男の存在に魅入っている。私もその内の一人だった。
 憎悪、恐怖、絶望。どくり、どくり、と心臓が跳ねる。じわじわと胸に染み入るこの感情は、そのどれとも異なっていた。血が沸き立ち熱を上げ、頭の天辺から足の爪先までをあっという間に支配してゆく。


うちは、マダラ。
蚊の鳴くような声で誰かがそう呟いた。その名が呪いのように鼓膜に焼き付いて、目の奥が熱を持ち、痛みをともない、視界が揺れる。
 これ以上、その男を見てはいけない。赤い瞳に食い尽くされて、動けなくなってしまう。頭の中では警告音が鳴り響いている。凍えたように身体が震えて、地面に立っているのがやっとだった。

 風影様を回復するために放出し続けていたチャクラがぷつりと途切れて、地に膝を付きそうになっていたところを、ナルトの手によって支えられた。まるでチャクラコントロールが上手くいかない。ナルトの手から流れてくるチャクラは本来優しくて暖かいはずなのに、もうそれすら感知することが出来ない。うちはマダラのチャクラにあてられて、感覚が麻痺している。マダラが現れてから明らかに様子のおかしくなった私に、それを単なる恐怖からくるものと見たのか、風影様に下がっていろと目配せされた。



 青白い空から照り付ける太陽が、無限に広がる砂の大地を温めている。音もなく地上に降り立った男の周りに、ふわりと砂塵が舞った。
瞬間。この地が、熱が、空が、風が、太陽が、人が。すべて、うちはマダラという男の手の中にあるような、そんな心地がした。
 甲冑の擦れる音と、砂を蹴る静かな足音。雄叫びを上げながら、果敢に立ち向かおうとする忍たち。この中の一体何人が、勝利という希望を抱けたまま向かえたのだろう。私は、一歩たりともここから動けずにいる。


 視界の中で人が散ってゆく。視線の先でただ一人、男が優雅に舞っている。返り血ひとつ浴びることなく、仲間を塵のように蹴散らしてゆく。龍の如くうねる黒髪と、赤く揺らめく瞳。孤高の名にふさわしく、己の前に立ち塞がるもの全てに容赦なく制裁を下す。


 ああ、なんて美しい。そう漏らしたのは私の心だ。無念に死にゆく仲間たちの背を眺め悲しみに暮れるより早く、心をマダラに支配されてゆく。己のチャクラコントロールをこうまでして乱すなど、医療忍者としてあるまじきこと。ふらり、と何かに憑かれたかのように徐に立ち上がる私を風影様が見遣る。印を結ぶ彼の手が、私を引き止める術はない。

 乱れに乱れてうねるチャクラは、まるで自分のものではないような気がした。腹の奥底から沸き起こる激しい衝動とともに、砂の台地を踏み締める。ひとつも動かなかった足が、何かに導かれるように、一歩ずつ、歩みを進めていく。
 刹那。巻き起こる突風に長い黒髪がはらわれて、二つの瞳がこちらを向く。巨大な扇子で薙ぎ払うように風を起こした彼女の背の向こう側。開けた視界に、その姿が遠く離れていく最中、薄い唇が奏でた音が、鼓膜に焼き付いて離れない。一瞬。確かにわたしをその両の眼に宿し、紡がれた彼の言葉。


そこにいたか、なまえ。


 なまえ。なまえ。その名は私のものではない。しかしなぜか、その名を彼の声が呼んだ瞬間、痺れるような熱情に胸を引きちぎられそうになった。怖いくらいに手が震えて、目の奥がじんと重くなる。ぽた、ぽたりと溢れるものが、じりじりと焼けつく砂の上で黒点を作っていた。
 この感情は、なんだ。身悶えするほど熱い血が心臓へと大量に送り込まれて、呼吸を早くさせる。マダラ、マダラと。頭の中で、私の声をした別の誰かが、男の名をひたすらに叫ぶ。脳に野太い針を突き刺されているような痛みが走り、瞳から涙が勝手に溢れていく。
 意識が黒く染まりつつある中で、肌の上を熱風が通っていくのを感じた。眼前に広がってゆく灼熱の炎。うちは一族の火遁の術。たったひとりでこれほどの炎を巻き起こせる忍など、この世に彼を除いているはずがない。人も砂も岩も雲も、すべてを灰にする炎の渦に包まれて、空気とともに肺の中にまで入り込こもうとする灼熱に、身体ごと焼かれることを覚悟した。――はずだった。



「そう易々と死なれては困る」



 一瞬のうちに地が足から離れて、空が近くなっていた。顔に垂れた黒髪がカーテンのように降りかかり、太陽光を遮る。視界一面に、男の姿が映る。他の誰の姿も声も感じない。この空間だけが切り取られてしまったみたいに、私はその赤い瞳に囚われた。
 地上では今も仲間たちが戦っている。ここにいるのがマダラの影分身なのか本体なのか、もはや判別もつかない。でもそんなことは、もうどうだって良かった。

「感じるチャクラも、姿形も、何ひとつ変わっていないとはな」

なまえ。
どくん。どくん。どくん。
マダラは確かに私を見て、私ではない人の名を呼んだ。その名は、なにか特別な響きを持って心に入り込んでゆく。知らないのにはずなのに、どうしてか、すとんと胸に落ちてくる。永い眠りから突然目覚めたかのようだ。先ほどまでまるで感じられなかったチャクラが、身体中に満ちていく感覚があった。立ち昇る感情が脳をぐちゃぐちゃにかき乱して、それしか言葉を知らぬ赤子のように、気づけば必死でその名を呼び連ねていた。

「まだら、まだ、ら」

 マダラ、マダラ。会いたかった、愛おしいマダラ。私のものではない想いが止めどなく溢れて、たまらなくなる。手を伸ばし触れた頬は、当然だが生きた人間の感触はしない。それなのに、この心はこんなにも、目の前の男を欲している。
 抱かれた身体をグイと引き寄せられて、乾ききった舌が口内を這い回った。温もりのない硬い手のひらが頬を滑り、今も溢れて止まらない涙の痕をなぞってゆく。彼には、血も、汗も、涙もない。うちはマダラは穢土転生体だ。舌を絡ませても、身体を預けても、ただそこにあるのは冷たい亡骸を器としてこの地に降り立った魂のみ。
 この人の熱を、欲を、力を。そのありのままを感じたい。仲間たちが今も命を散らし戦っているというのに、私は今、この男の生を心から望んでいる。

「……やはり。この身体のままお前を抱いても、まるで味気ないな」

 唾液の糸を引きながら、マダラの唇が離れてゆく。向けられる言葉のほとんどが、悶えたくなるような熱情を孕んでいる。火遁の熱で焼けてしまった喉を労るように撫でる指先に、慈しみが篭っている。
 うちはマダラは過去に生きた男だ。私が知っていることは何一つない。それなのに。わからないのに。心底焦がれているのは。その手に抗えないのは。縋り付いてしまいたくなるのは。一体、

「……マダラは、わたしの」

 マダラは忍連合の敵だ。手を伸ばせば触れられるほど近くにいて、私がまだ生きている理由。彼は私を殺さない。私もマダラを殺さない。胸に満ちた感情を理解するよりも早く身体は動いて、マダラの熱を受け入れていた。

「全て、覚えているわけではないようだな」
「おぼえて、?」
「……まあいい。俺がお前と同じ完全となった時、全てもとに戻る」

 戦場を駆ける姿とは程遠く、彼の瞳は柔らかにたわんでいる。この男にこんな表情をさせる者が――私の中に、心に、確かに居るのだ。わからないけど、感じている。二人の魂が共鳴し、再び番うことを求めて、今も叫んでいる。


くるり、くるり


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