「下らぬ」

 一刀両断とはまさにこのことだ。
今しがた目を走らせていた書類を執務机にばさりと投げる扉間に、柱間は頬を掻いた。
全く兄者は呑気すぎる。五影会談を終えたばかりでよくもそんなことが、などと呪詛の言葉のようなものをぶつぶつと呟いている。
 五影会談、という一大事を、弟の助言もあり……というよりも、ほぼ弟に言われるがまま事を運ぶことで、なんとか良い形で終えたと思っている柱間にしてみれば、今でこそその時だった。むしろ今日明日くらいは公務などほっぽり出して宴をやろうかなどと密かに思っていたのだが。生真面目な弟は、どうやらまだそんな気分ではないらしい。

 いやはや、そんなことより。
本来ならば兄が座るべき執務机にどっかりと腰を下ろし、目まぐるしい速度で筆を走らせてゆく弟に、なんと伝えるべきか柱間は考えた。下らぬ、の一言でかわされてしまった本題。扉の外でそわそわと落ち着かない様子を見せている気配に、さては聞こえているまいな。柱間がちらりと視線を送れば、机上にかじり付いていた扉間の視線が、ふと上を向いた。

「……客人か?」

 何やら落ち着きのない兄の様子を見て、即座に感知したのだろう。この男の得意分野だ。しかしそれが自分の知るものではないと分かった途端に、扉間は眉を寄せて柱間を見る。柱間は視線を泳がせて、あー、と煮え切らない返事をする。
 客人、といえばそうなのだが。ただの客人ではない。本当はここでこうしている間も惜しいくらいの、すぐにでも招き入れてもてなさなければならないほどの、たいそうVIPな御客人だ。扉間も事の本末を知っていれば、先のような対応にはならなかったはずだ。
 柱間が一人うんうんと頭を悩ませたところで、出すべき答えは一つしかない。だってもう、連れてきてしまったものは仕方がない。頑固で合理主義者である弟には口でものを言うよりも、実際に行動してしまった方が早いと踏んでのことだった。


 実はな、と柱間が口を開きかけた矢先。扉間がハッと目を見開き、椅子を蹴り上げる勢いで席を立つ。


「兄者、まさかとは思うが」
「……お前は本当に、勘の良い男ぞ」


 山のように書類の積まれた執務机を飛び越えて、兄につかみかかる勢いで詰め寄る弟。赤い目をこれほどまでに細く鋭く歪ませて、ギリギリと口を噛んでいる。しかしながら、こんなところで兄弟喧嘩をおっ始めるわけにもいかず、扉間は渋々といったように腕を組んだ。

「……ならば、席を設ける他なかろう。それまで兄者は得意のお喋りで、しっかり暇を作ってもらうぞ」

 柱間がなにか言葉を返すより先に、扉間は瞬身でその場を離れた。弟に置いてけぼりをくらい、数秒固まったのち、柱間は急いで扉に足を向ける。結果として、柱間の思惑通りに事は動いたのである。



**



「扉間様。お会いできて嬉しゅうございます。柱間様も、このような場を設けて頂き、誠に感謝いたします」
「なまえ殿、そう固くならずとも良いのだぞ」

 静々と首を垂れて礼をくれる少女に対して、柱間は活気に笑った。それに対して、扉間は眉間に深くシワを刻み、膝の上で強く拳を握っている。怒りの矛先はもちろん兄に対してなのだが、御客人の手前で口調を荒立てるわけにはいかない。
 柱間の言葉に、少女は緊張を解くためか小さく息を吐いた。視線をどこにやっていいのかわからず、揃えた己の指先を見つめている。身のこなしや仕立ては上品で煌びやかなものだが、声や表情にはまだ幼さが残る。聞けば、まだ成人もしていないらしい。年端もいかぬ若い娘が、ひと回りほども違う男二人相手に、緊張するなというほうが無理な話である。


 全く。兄はどうしてこんな娘を連れてきたのか。しかもこの、自分の縁談相手として、だ。


 みょうじ家といえば火の国ではさぞ名の知れた大名一族である。なまえはその末娘。歳の離れた兄が三人いて、皆すでに他の大名家の娘をもらい所帯を持っているらしい。なまえの兄たちの例にあるように、大名一族は同族と婚姻を結ぶことが殆どだ。千手一族やうちは一族のように、富と武力を併せ持つ忍一族をよく思わないものもいるし、忍一族は総じて野蛮だと毛嫌いされることも少なくはない。
 まして婚姻を結ぶなどということは、今世では類をみないことである。忍同士が一族の垣根を越えて婚姻を結ぶことすら、最近になって出てきた話であるというのに。


 それより何より。扉間自身、よもや自分にそのような話がくるとは、考えてもいなかった。――政略結婚。兄がそれを自分に強いてくるとは、思いもよらぬことだったのである。


「あの、扉間様」
「……何でしょう」
「あの……お仕事の途中、だったようで……本当に申し訳なく、」
「姫がそのようなことを気になさらずとも結構」

 悪いのは百二十パーセント、自分の横でアホ顔をかます兄である。一方的にアポを取り付けて、しかも火影室の外で一人、護衛も付けず延々と待たせた挙句、さぞ身分の高い火の国の姫に対してもこの砕けっぷりである。まだ、正式な縁談の場というわけではないにしろ、唐突にも程がある。もてなしの準備すらせず、何を勝手に連れてきてくれているのだろうか。
 聞けば、行き帰りは自分が付いているからと、今回みょうじ家の人間は一人もつけて来なかったらしい。里を背負う長自ら護衛役を名乗り出たのだから、あちら側はさぞかし鼻が高かっただろう。火の国と忍の隠れ里が対等な関係であるためには、正直もっと威厳のある態度をとって欲しかったものだが、今更この兄になにを求めても無駄だということは、扉間が一番よくわかっている。後の対応も、今この場に置かれている自分の状況も、扉間にとってはさぞかし頭が痛いことであった。

「扉間様。気を悪くされたのなら、本当に、申し訳、ありません……」

 弱々しく紡がれた言葉。声を聞き取るのがやっとで、反応が遅れた。苛立ちからミシミシと痛いくらいに握りしめていた手からふと視線を上げると、扉間はぎょっとして目を見開いた。


 柳眉をへにょりと下げて、ふるふると肩を震わせている。ぽろぽろと音が聞こえてくるのではないかという程に、瞳から大粒の涙がこぼれ落ちてゆく。唖然とする扉間と同様、横で胡座をかく柱間も固まっていた。


 なまえは扉間から発せられる、苛立ちを帯びた刺々しいチャクラをしっかりと肌に感じてしまっていた。柱間はいつものことだからと慣れていて、気がつかなかったのだ。その力自体は直接身体に影響を与えるようなものではない。だがしかし、何分気性が荒く、忍でもない女に感じ取られて良いものではなかった。扉間はすぐに気が付いて、目の前で震え上がる少女にかけるべき言葉を見繕った。

「姫、」
「……っ、私、もう」

 ――帰ります。蚊の鳴くような声でなまえが告げると、その場がピシリと凍りついた。

 帰る、と言われても。このまま帰られては困る。こちらは何一つ、この娘に対して良い印象を与えられていない。むしろ最悪といっても良かろう。蝶よ花よと育てた大事な末娘が泣かされて戻ってきたとあらば、さすがにみょうじ家も黙ってはいない。柱間や扉間率いる千手一族がいかに力を持っているとはいえ、里自体は国からの援助で成り立っているとも言える。火の国との政治的側面を考慮すれば、全く本意ではない諍いは避けるべきだ。

 これでは、縁談がどうこうという話ではない。そもそも今日は顔合わせだけという話だったが、本当に顔を合わせただけになってしまう。向こうから破談を言い渡されるならまだしも、これではこちら側がみょうじ家の姫を一方的に拒絶したようなもの。

「……っ、姫!」

 ばんっ、と両手で机を叩き大きな音を立て、扉間が立ち上がる。丸々と見開かれた目を赤くしたなまえは、尚も痛々しく肩を震わせている。柱間は、珍しく緊張した面持ちで扉間を見つめた。
頭の回転が早く、よく切れる。里長の付き添い人としても、参謀としても、弟としても、素晴らしい男だ。そんな扉間が、泣きじゃくる幼き姫を如何にして宥めようというのか。柱間は、ごくりと息を呑んだ。

「帰るのなら、この俺が城まで送り届けよう」



**


「木の葉の里には、よくお忍びで来るんです。美味しいお団子屋さんがあって……、そこで柱間さまと初めてお会いしたのです」

 その時のことを思い出したのか、ふわりと笑みを浮かべるなまえに対して、扉間はもう何度目かわからない溜息を吐いた。そんな話、今の今まで聞いたことがない。互いの身分を知らぬままであれば、まあ、いちいち報告することでも無いだろうが。よくよく話を聞いていれば、互いに里長と火の国の名のある一族の姫であるという認識はあったという。扉間は改めて思った。兄者は馬鹿であると。

 なまえと扉間は肩を並べ、城下へと続く里外の道を歩いていた。駕籠を使うのは好まないというなまえに、扉間も渋々と頷いたのだった。
 先ほどまで怯え震えていたのが嘘のように、なまえは良く笑い良く話した。会話をする内、この娘は存外砕けた所があることがわかった。大名一族の姫にはよくみられる高飛車な態度や潔癖なところは一切見られず、むしろ大雑把で豪快な兄のよう性格をしている。それでも、年嵩の人間に対する態度はきちんとしている所が好ましくさえ思えた。そんななまえの姿に、扉間も徐々に態度が崩れていく。
 

 今にして思えば、あの時は扉間の荒ぶったチャクラが余程恐ろしかったのだろう。この娘には悪いことをしたと思う。
 火影室で兄の話を聞いてから、扉間が瞬身の如く里内を走り回り、頭を下げてまで、格式の高い料亭を急遽誂えたというのに、結局何のもてなしも出来ずに帰路に着く羽目になった。兄が百二十パーセント悪いといったが、これについては扉間の自業自得である。あの状況で、姫の申し出を拒否してまで、あの場に止まらせることの出来る上手い言葉が見つからなかった。

「扉間さまは、柱間さまとはあまり似ていませんね」
「あの馬鹿兄と一緒にしてもらっては困る」
「……っふふ。でも二人とも、本当にお優しい方です」

 柱間が呆れるほどに甘く優しいのは皆知った通りだが、同じ線上に自分がいると言うのは、おかしな話だと思った。この娘が、何を思ってこの自分を優しいと言うのか。扉間が怪訝な面持ちで眉間にシワを寄せると、なまえが続けて言葉を発する。

「……実は私、扉間さまに助けて頂いたことがあって」 
「……いつの話だ、それは」
「扉間さまに覚えがないのも無理はありません。私がまだ、ほんの幼子の時ですから」

 扉間にしてみれば、今のなまえも十分に幼いのだが。それよりもっと前ということは、この里が設立される前の話だろうか。
 扉間は物事を記憶することには自信があったが、それは必要な情報とあらばの話である。むしろ不必要だと判断すれば、すぐさま脳内から排除するようにしていた。脳のキャパシティは有限だ。脳内で過去を遡り、この娘の面影を探してみても、思い当たるような出来事はない。

「悪いが、全く覚えがない」
「……わたし、みょうじ家には、養子として迎えられたんです」

 ふと、歩みを止めたなまえ。扉間も立ち止まり、目を見開いた。大名一族が養子をとることは滅多にない。しかもなまえは女子だ。男子の生まれなかった家が養子を取ることはあっても、その逆は、少なくとも扉間が知っている限りでは一つの例もない。
 そもそも、なぜ今このタイミングでそんなことを宣ったのか。なまえが扉間に助けられたという話と、なまえがみょうじ家の養子であるという事が、一体なんの繋がりがあるというのか。扉間は、僅かに声を低くして問うた。

「……兄者は、その事を」
「父上が話していないのなら、存じてはいらっしゃらないかと」
「では、なぜ俺に」
「扉間様には、お話しするべきと。私が決めた事です」

 なまえは扉間より一歩前に立ち、くるりと振り返った。面と向かう形で立ち尽くす二人。扉間は改めてよくなまえの顔立ちをなぞってみた。艶やかな漆黒の柳髪とは対照的な雪の肌。髪と同じ色をしたまろい双眸。やはり扉間の記憶の中に、この少女の姿はない。

「私は……とある忍一族の捕虜として捕らえられていました」


 なまえの言ったそのたった一言が、扉間頭の隅に追いやられていた、とある記憶の一欠片を呼び起こした。


 戦乱の時代、一族間の争いにおける捕虜という存在は、むごい仕打ちを受けて死にゆく者が殆どだった。柱間が千手の当主となってからは、降伏した一族の捕虜は皆生きて家族の元へ戻すように取り計らったが、中には自由になった途端その場で自害をする者もいた。一度敵の手に渡り汚された身で、一族の元へは帰れないと。忍一族とは、そういうものが多かった。
 しかし、捕虜の中でも特別扱いに困ったのが――うちは一族の者だ。千手にとって彼らは、その他の一族とはわけ違う。

「……お前、いや、しかし」

 扉間にしては、歯切れの悪い言葉だった。考えが纏まらぬまま口に出すなんて、普段の彼であればあり得ない。扉間の中で浮かんだある一つの疑念が、心の中にわずかな焦燥を生んでいたのだ。
 数分にも満たない時間。なまえは、瞳の中に扉間を映した。すっかり陽が落ちた西の空から、真っ赤な光が差し込んでいる。なまえのもつ、黒曜石の双眸に、その赤が、不自然に溶け込んでゆく。

「あの時、扉間さまは私を逃してくれた」

 なまえは扉間の手を掬い取る。警戒心の強い扉間も、このときばかりは動けずにいた。己を見つめる両の眼は、あの一族のものではない。ただ夕日に照らされた、赤い瞳だ。チャクラさえ殆ど感じられないのだから、まったくの杞憂と言ってもいい。

 だが、扉間の記憶には確かに残っていた。うちは一族の子ども。幼い少女。怯えと恐怖を映し濡れ淀むその目には、基本巴の写輪眼が宿っていた。片手にも満たぬほどの年齢でその目を開眼してみせた少女に、どれほどの不幸があったのかは想像に難くない。

 その時の自分が、一体何故そんなことをしたのかはわからない。はら、はらと瞳から零れ落ちる大粒の涙に感化されたのか、はたまた、家族からも一族からも遠く離れた地に連れ去られた幼い女児に、捨てたはずの情が移ったのか。
 扉間自ら枷を外したうちはの少女は、一族の誇りとも言えるその眼を棄て去り、今自分の目の前に立っている。

 あの後、少女の身がどうなったかを扉間は知らない。愛情深いうちは一族ならば、再びその少女を迎え入れることも十分に考えられた。しかし、事実はそうではないらしい。

「扉間さま。少しは、私に興味が湧きましたか?」

 取られた手のひらから感じる温もりと、哀を携えた少女の黒い瞳に、扉間はまたしても、この場にふさわしい言葉を見つけることができなかった。


おいしい未練


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