「今日のごはんはおいしいね」


切って べ て


思い出話をしようと思う。わたしと彼が、まだ幼かった頃だ。食事を共にすることなんてよくあることだった。わたしが彼の家へ、彼がわたしの家へ。両親は中がよかった。父親同士が昔からの顔馴染みらしく、それの成り行きだろう。嫌ではなかった。少し歳が離れていたけど、わたしは弟ができたみたいで嬉しかったんだ。あの日は確か、わたしの家で一緒に食事をしていた。ハンバーグだった気がする。彼の好物のひとつ。彼はとても美味しそうに食べてくれるから、気分がよかった。


「今日のごはんはおいしいね。何か入れた?」
「いつも通りだよ」
「おかしいな。何か違うと思うんだけど……」


まだまだ子供だった彼の思考はかわいらしかった。だけどハンバーグは確かにいつも通りで、特に何かしたわけじゃない。いつもと違う味がするなんて、急にわたしの料理の腕が上がったとも下がったというものでもない。何が違うというのだろうか。
……あぁ、でも。そういえば。今日は思い切って奮発した気がする。いつも使う肉より、少しだけ高級なものを買った。でもお肉を変えたぐらいで、味が違うとか言い出すなんて……彼の巻がよかったのは、よく知った話だ。少し感心して、話題を変えようと口を開いた、だけど、先に発言したのは彼だった。


「どうして動物は食べられるのに、人間は食べられないの?」
「え?」
「人間は、食べられないの?」
「……そんなことないよ。人間だって食べられるよ」
「ほんとう?!」
「でも美味しくないから、食べないの」


なんであんなこと言って来たんだろう。なんであんなこと、聞いてきたんだろう。幼い彼の小さな疑問はかわいらしくておそろしかった。嘘でも何でもない答えを出すたのは、わたしも分からなかったから。だけど彼は納得したように頷き、微笑みを返してくれた。「なるほど、確かにそうかも!」……あぁ本当は分からないんだけど、いいよね。強ち間違えでもないだろう。きっとこの問題には正解もない。だって人間を食べるかなんて、人間が食べるという行動をしたといから分かっていたこと案だから。難しい話は嫌いだ。その後思考が回らなくなるから。


……………
………


ホウエン地方を離れたのは、わたしが18歳のときだった。新しくできたカントー地方の新居へ移るためだ。寂しくなかったと言ったらそれは嘘だろう。彼との別れは辛かった。実に何年、共にいたことだろうか。その穴を埋めてくれるものはない。
彼は泣かなかった。わたしは泣いた。みっともない姿だったと自負している。最後に彼の頭に手を置き撫で、「流石男の子だね」と言った気がする。弟のような存在、いざ離れて分かると襲ってくるのは彼の成長を感じたあの波だ。まるで彼のおばあさんのような想いを、彼は笑って受け止めてくれた。「ナマエ、僕はいつかきみを迎えに行くよ」……素敵でかわいらしい言葉だ。「そうねだね。待ってる」笑顔で交わした約束のようなものは、きっと3分後に忘れてしまった。昔はこんな人間じゃなかったよ。
でもわたしだって忘れないことだってあった。週に1度は必ず、彼へ手紙を送っていた。内容ははっきり言ってどうでもいいものばかりだったけど。庭の花が咲いた。新しくできた友だち。彼にとってはどうでもいいことを、どうして延々と長々と、続けることができたんだろう。かれこれ3年ぐらいだ。3年間彼はわたしのくだらない日常を手紙という形で知ったはず。だけど、本当のところは分からない。もしかしたら一通も読んだことないのかも知れない。返事が来たことないからだ。一度も、たった一度も。住所が分からない訳じゃない。送った手紙の封筒に、わたしは確かに住所を書き込んだのだから。前に、どうして返事をくれないのかを問うた手紙を書いたこともあった。だけどやっぱり、返事はなかった。


……………
………


それからどのくらいの年月が過ぎただろうか。返事の来ない手紙を送り続けるほど、わたしは物好きではない。彼はきっと、わたしのことなんて忘れてしまったんだ。そしてわたしも手紙を送ることを止めた。忘れてしまった。意味のなかったことだと、今なら吐き捨てることができる。見返りを求めないことなんて、わたしはできなかった。忘れるって難しいことだと思っていたけど、それはいとも簡単で、だけどそんなことも忘れた気がする。


〜〜〜


あれからどのくらいの年月が過ぎただろうか。わたしは再び、ホウエン地方へ足を踏み入れた。戻ってきた用事なんてたいしたことなく、ただ何年ぶりになる彼へ会うためだ。彼の家は静かな時間が流れていた。リビングのソファに座っている彼に声をかけてみる。振り返ったとき、その表情は少しだけ大人っぽくなっていた。あの頃かわいらしいと頭を撫でた男の子の面影は余り残ってない。少年の瞳が、わたしを映していた。


「久しぶりだね、ユウキ君。わたしのこと覚えてる?手紙書いてたよね」
「えぇもちろん。何か用ですか?」
「……挨拶に来たんだよ。わたしね、結婚するから」
「へぇ、そう」


無関心な返事。手紙のことに触れてみても、何一つ触れられなかった。ただ静かに淡々と「何の用?」だなんて。ああ、冷たくなった。彼は冷たくなってしまった。わたしはもっと、彼がお祝いの言葉を並べてくれるかとでも勘違いしていたのか。自分には関係ないのだから、当たり前の反応だ。だけど何も言わず、彼は近づいてくる。そっと手を取り、何をするの?――その言葉には返事が返ってこなかった。わたしが何か言えば、返事をくれた彼も、こうも変わってしまったのか。
人差し指が彼の口に運ばれる。がぶり。鈍い音鈍いにぶい。慌てて引っ込めた手には、小さな歯形がついていた。


「痛いよ、何するの?」
「やっぱり人間の歯じゃ指は切れないね」
「当たり前でしょう。何がしたいの?」
「昔、人間は食べれるって話をしたよね」


彼の、思い出話が始まった。突然のことすぎた、何がなんだか。彼の言葉は耳に入ってこなかった。全身が拒絶するように、見ることも聞くことも、止めてしまった。足はそっと出口の方へと進んでいく。「ナマエ」名前が呼ばれる。肩が少しだけ揺れた。怖かった逃げ出したかった。だけど足は止まった。


「前に迎えに行くと言ったこと、覚えてる?」
「……知らない。わたし、帰るね」


ああ、ねぇ、どうしてこうなったのかな。わたしの知らない彼がいるみたいで、もう言葉を交わすことさえ怖いよ。きっと答えは簡単だ。わたしも彼も、変わりすぎてしまったんだ。ここにはもう来れない気がする。さよなら、って言ってしまったもん。
噛まれた指からは血が滲んでいた。舐めると広がる鉄の味が何とも言えない。あのとき一緒に食べたハンバーグの味はきっと、もう君の中には残っていないんだろう。わたしも忘れてしまったよ。だから、さようなら。

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