ナマエが自分の前から消え去ってから2ヶ月が経った今でも、時々ふと気が付けば彼女のデスクに目をやってしまう。彼女は整理整頓がマーズよりも苦手だった。デスクに積み上げられていた書類の山も、私がくれてやったグレッグルのフィギュアも、色とりどりのペンが突っ込まれていたペン立ても、食べ残した菓子の箱も、少し前までは確かにそこにあったものだった。今は全て処分されてしまっているから、そちらを見たって綺麗なデスクが視界に入るだけだが、それでもあの汚い席の残映が垣間見える気がしてならない。
少女の姿と共に。


罪 と 罪


ナマエのデスクにあったものを処分したのは私だ。こればかりはしたっぱに命じることは出来なかった。下らない固執や因縁や思い出も一緒に棄てるためだったのだが、その行動がまさに私の下らない固執を反映していたのだと気づいたのは、処分してからしばらく経った頃である。

総帥の消失という大きな傷を負い、赤い鎖も伝説のポケモンも失い、果ては3人の幹部までも失踪したギンガ団を立て直すのは並大抵の苦労ではなかった。ギンガ団の野望はたった1人の子どもによって潰えたが、そもそも私達幹部やしたっぱの夢は総帥の野望を叶えるというところにあり、故に総帥が消えた今はギンガ団の復活など何の意味もない。私は総帥と幹部を欠いたギンガ団が本当にばらばらにならないよう、したっぱ達を繋ぎ止めるだけの存在としてアジトに残っていたのだった。ギンガ団にはまだ未練も執着もある。少なくとも、ギンガ団は私の居場所だった。たったひとつの居場所を失うことは、生きる意味を失うのと同義であった。



私と同じようにギンガ団に残ったしたっぱ達と共に組織を立て直し、ようやく生活が落ち着いてきた頃。私は久々に外に出て、ソノオタウンに向かった。
ソノオはナマエの故郷だった。正しくは、彼女の口から故郷だったとしか聞いていない。実際に案内された訳でもない。彼女の家も知らない。だからこれは、私なりのけじめだった。そして単なる自己満足。
ナマエは私にとって、ただのしたっぱに過ぎなかった。私よりも総帥によく懐いていたナマエはやはり、総帥の思想に惹かれてギンガ団に入った人間だった。ポケモンバトルが得意と聞いたので一度だけ手合わせをしたが、バトルの実力だけを見れば私達幹部に匹敵するレベルだった。その代わりに指揮能力やデスクの仕事はからっきしだったので、肩書きは永遠にしたっぱ止まりだったが。

普段まともに話したこともない、ナマエ。名前と出身地とバトルが得意ということしか知らない、したっぱの少女。
そんなナマエを気にかけるようになったのは、あの時――彼女のほうから話しかけられた時からだった。


……ソノオに出かける前、直属の部下であるしたっぱの男を同行に誘った。
まだ少年と呼んでもいい彼は、ナマエに密かな好意を寄せていた。彼自身からナマエのことが好きだと聞いた訳ではない。だが、見ていればなんとなく分かる。不思議なものだ、色恋沙汰など長らく縁がなかったというのに、案外そういうものは第三者からはよく分かるのである。
とにかく――だから、最後のけじめをつける時くらいは連れて行ってやろうと思ったのだ。好きだった奴の故郷。部下にこういうお節介を焼いたのは、そういえば生まれて初めてではないだろうか、と私は何気なく思った。




ソノオに訪れたのは、久しぶりだった。記憶と違わず見事な花畑で、こんな穏やかなまちで生まれ育ったナマエが一体なぜギンガ団に入ったのだろうと少し疑問に思う。彼女もまた、この世界のあり方に絶望して我らが総帥について行くことを誓った者のひとりだ。この花々が咲き誇る美しいまちは、ナマエの望み描いた幸福な世界にはならなかったのか。

時折吹く冷たい風は穏やかだった。時刻は朝。嫌になるくらい爽やかな晴天で、私は早くもこのまちから立ち去りたくなった。降り注ぐ太陽光が眩しすぎて、息がしづらい。無性に生きづらさを感じた。ソノオから飛び出した昔のナマエも、こんな気持ちだったのだろうか。

「いいまちですね」

不意に、背後のしたっぱがそう言った。私は無言で振り向く。
彼は泣いていた。目を真っ赤に腫らして、ソノオの美しい町並みを眺めていた。

「……おれ、ナマエのことが好きだったんです」

いきなりの告白に、私は何も反応出来なかった。既に知っていた事実なので、今更それを言われても何の感慨も浮かばない。ただ少しばかりの居づらさを、先刻の息づらさと一緒に感じた。

「バカみたいですよね。もうあいつはいないのに。いる間に、告白でもしておけば良かった……」
「そうか」

我ながら素っ気ない返事だった。私は口もとを覆うマフラーを掴もうとして、やめた。

ナマエは忘れもしないあの日、やぶれた世界に消えた総帥を追いかけた。追いかけて、そして二度とこちらの世界に戻ってこなかった。
我らの総帥にとって、この世界は唾棄すべき穢れた廃墟だった。世界をつくり替えることを阻止された彼は、新たな別の世界に逃げ込んだ。彼を追ったナマエも――おそらく、この世界に未練はなかったのだろう。ナマエの腕を掴んで引き留めるものは、こちらにはなかった。だから2人共、あの子どもと違ってこちらに戻ってはこなかったのだ。

もし、と私は思う。――もしこの部下の少年がナマエに好意を伝えていたら、彼女は向こうに行かなかったのだろうか。
もしあの時、私がナマエに何か応えていたならば、彼女は帰ってきたのだろうか。


『サターンさま、ポケモン勝負して下さいませんか?』
『いきなり何だ』
『ポケモン勝負ですよ、ポケモン勝負!』
『……構わないが、何の魂胆がある』
『えへへ、サターンさま、グレッグルのフィギュアをガシャポンでふたつ当てたんでしょう? もし私が勝ったら、1個頂きたいなーなんて』
『貴様、なぜそれを知っている』
『だってサターンさま、前トバリデパートのガシャポンコーナーで真剣に回してたじゃ……あだだだ!』
『記憶を失え。今すぐ失え』


約束通りくれてやったフィギュア。安っぽいフィギュア。けれどそれが彼女を繋ぎ止める鎖にはならなかった。私は結局自分の臆病さによって彼女を失い、彼女は全てに絶望したのだ。もっと彼女に話しかけてやれば良かった。あの手を掴んで、お前はここにいてくれと懇願すれば良かった。誰かを愛することに怯えて身を退いた私の、罪だ。

「……サターンさまも、あいつのこと、本当は好きだったんでしょう」

したっぱの突然の言葉に、胸を抉られたような気がした。私は息を吐き出して目を閉じる。デスクの書類の山に埋もれ、泣き出しそうな顔でこちらを見る彼女の姿が、まぶたの裏に蘇る。罪を償うチャンスなど、私にはもう永遠に与えられない。私は答えた。

「さあな」

なあ、どうして行ってしまったんだ、おまえ。

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