最近、いや、ここ何ヶ月もずっと、ライナーがおかしい。エレン達と、兵士達と他愛もないことで談笑し、彼らが困っていれば手を貸し、まるで自分の居場所はここだと言わんばかりの顔で笑う。はじめこそ一貫して冷淡な態度を取っていたアニも、女子の中に溶け込んでおしゃべりをしている姿を見かけるようになった。 宿舎の違うアニはともかく、常に一緒にいるライナーがそういった振る舞いをするのを見ているのは辛く、最近は後ろを歩く足が止まることも増えた。兵士達と歓談するライナーはそんな僕に気付かずに行ってしまう。 今日もつい足が止まってしまい、いつこの足を動かせばいいのかわからなくなっていた、そんな時。 「ベルトルト・フーバー」 後ろからかけられた声に、全身が硬直した。その声には聞き覚えがあった。回数は多くないけれど、耳に残る声。 固まってしまった体を無理やり捻る。振り返れば、予想通りの人物がいた。 「ひとりなんだ?」 彼女、ナマエ・ミョウジは妖艶に笑って言った。その笑みが獲物を見つけた肉食動物のようで、内心怯む。たっぷりとしたブロンドを揺らしながら近付いてくる姿は美しいのに、興奮より恐怖が勝る。 見た目はクリスタと同じくらい綺麗な、だけど性格は全く違う彼女について、いい噂は聞かない。 神聖な美しさを持つクリスタとは違い、ナマエの美しさはどこまでも退廃的だった。熟れ過ぎた林檎のような芳香を放ち、一度囚われてしまえば二度と這い上がれないところまで引きずり落とされそうな雰囲気を纏っている。そのあまりの底知れなさに、彼女を忌避する者は多い。 目立ちたくない僕にとって、周りから一人浮いた彼女との交流は避けるべき行動だった。今まで一人ぽつんと立っていたにも関わらず、つい周りに誰もいないか目を走らせる僕を見て、ナマエは笑みを深くする。その表情がこちらの思考をすべて見透かしているようで、背筋を嫌なものが走った。 「またライナーに置いていかれたの?」 「……、え?」 赤い唇から放たれた言葉に、一瞬で口内の水分が蒸発する。言われたことの意味を推し量ろうとしていると、ナマエから新たな言葉が紡ぎ出された。 「ライナーは最近エレン達にご執心だもんねえ。ベルトルトはちゃあんと距離を取ってるのに」 親の言いつけをきちんと守っている子どもを褒めるような口調に、ひどく困惑する。 「……どういう意味?」 「言葉通りの意味」 言いながら、しなやかな腕がするりと伸ばされる。避けることも、払いのけることも出来ないでいると、白く細い指がゆっくり胸元を辿り、突然、見た目からは想像もつかないほど強い力で胸倉を掴んで引き寄せられた。 「裏切り者」 次いで耳朶を打った声に、頭を強く殴られたような衝撃を受ける。心臓が早鐘を撃ち、見開いた目から奪われた空気を補うように生理的な涙が浮かぶ。 ぱっと軽い動作で手を離したナマエは、前のめりに屈んだまま動けない僕の顔を覗き込んで言った。 「アハハッ、嘘だよぉ。だって、裏切るもなにも、貴方は元々こっち側の人間じゃないもんねぇ」 「君、は……」 反射的に零れた言葉の裏側で、次々と疑問が溢れてくる。 君は何? どちら側? どこまで知っている? 僕の疑問を全て受け止めるように微笑む彼女は、その細い指を自分の口元に当てた。 「残念ながら貴方達とは違うんだけど、誰の味方をするかはまだ決めてないの」 「味方……」 「そう、だけど、あんまりにも貴方が可哀想で。貴方の味方をしようかなって」 そう言う彼女の瞳は、確かに僕を憐れんででいた。憐れみ以上に愉悦の色が光を放っていたが、確かに存在しているのを見つける。 一度は離れた指が再び伸ばされ、今度はそっと顔を包み込むようにして触れてきた。 「誰も貴方の方を向いてない。エレン達も、ライナー達も。貴方はこんなに健気なのに」 沿えられた指が、憐れみに細められた目が、ぐるぐるとわだかまっていた思考を溶かす。何も考える気になれなくて、脳と直結した口から呆然と言葉が漏れた。 「……僕は、そっちの人間に興奮しない。だから君は、そっちの人間じゃない」 すると彼女は、その大きな目を零れそうなほど見開いた。蠱惑的に揺らめいていた瞳が輝きを増す。 「あは、今まで聞いた中で一番素敵な口説き文句」 囁くように言いながら寄せられた唇に、ただ溺れていった。 [←] |