小説 | ナノ


これはとある少女ととある恐ろしい怪物のごくありふれたお話。

5年前の「その日」まで少女は外の世界に一番近い町に住んでいました。
父は外の世界へ危険を省みず挑む勇敢な兵士の一人でしたが当時は彼らに対する世間の目は冷たく、身内である少女の母や少女もまた税金泥棒とさげすまれていました。しかし父も母も、勿論少女も数は少ないものの確かな絆で結ばれた友人に恵まれ決して辛くはありませんでしたし少女は勇気ある父を心から尊敬し、優しい母を心から愛していました。少女は確かに幸せな日々を送っていたのです。

「その日」にある恐ろしい怪物が全てを壊すまでは。

「その日」、ちょうど外の世界から帰ってきたばかりだった少女の父親は誰もかれもがパニックに陥っている中、冷静に少女と母、そして近隣の住民たちを避難船へ誘導すると…自身は少女と母の制止を振り切って兵士としての役割を果たすために次々と町へ入ってくる怪物たちと戦いに行き…二度と二人の下へ戻っては来ませんでした。
そして少女の母も怪物たちの餌食になることは免れましたが避難した後の過酷な生活に身体を壊し帰らぬ人となってしまいました。
母の亡骸が焼かれるのを三人の友人たちと共に見守りながら、少女は父と同じように怪物たちと戦う決心をしました。
そして二年後、三人の友人たちと共に訓練兵となった少女は多くの同年代の少年少女たちと…そしてとある一人の少年と出会いました。
そのとても背の高い少年と少女は辛く厳しい訓練の中で少女は彼の穏やかで優しい所に、少年は彼女の責任感が強く、真面目な所に惹かれていき…いつしか友情とはまた違う、確かな絆で結ばれました。
三人の友人と多くの仲間たち…何より彼と共に過ごす日々。
辛い時も確かにあれど、決してそればかりではない日々。
怪物たち…特にあの恐ろしい怪物に対する怒りと憎しみは消えないものの、少女にとっては「その日」が訪れるより以前の日々と同じくらい、いやそれ以上に幸せだった時間は

五年前以上に残酷な形で打ち砕かれてしまいました。

再度現れたあの恐ろしい怪物。次々と死んでいく仲間たち。不可思議な能力に目覚めた友人。暴かれた仲間の「正体」…。
少女の心などまるでお構いなしに襲い来る余りにも残酷な現実にそれでも人間として、兵士としてあがこうとする彼女にとどめとばかりに突き付けられたのは、

あの優しく、愛しい少年があの恐ろしい怪物へと変わる瞬間。

そしてその巨大な手でついさっきまで確かに仲間だった者たちを屠る光景でした。

…多くの仲間を失いながらもそれでもなんとか少年とその幼馴染から友人を守り抜くことには成功しました。しかし少女の心はその場にいた誰よりも千々に乱れ、上官たちはともかく彼女の友人や仲間たちですら彼女はもう兵士として立ち上がれないのではないかという考えが頭の中を過りました。
しかし少女は兵士として剣を取ることを選びました。
友人や仲間たちと共に戦うため。父や仲間たちの仇を討つため。兵士としての役割を果たすため。
少女は少年を殺すことを心に誓ったのです。
怒りと憎しみをその身に滾らせて。
…未だ消せない彼への想いを心の奥底へ追いやって。
そうして来てしまった人類最後の攻防戦。
少女の前に姿を現した少年の手の中にある薄刃は、怪物の血のように蒸発しない血でしとどに濡れていて、
少女を視界の内に捉えた少年の顔には、かつて少女が幾度となく見てきた暖かな笑みとはまるで正反対の、酷薄な嗤みが浮かんでいました。
彼は本当に自分たちの敵なのだ。
その嗤みでその事実を再び認識させられた彼女は怒りと憎しみに満ちた刃を少年へ向けました。
少年もまた嗤みを浮かべたまま、少女に向かって血まみれの薄刃を向けました。
元々互いをよく知る者同士による双方互角の、いつ果てるとも分からない戦いに終止符を打ったのは…少女の体に突き刺さった、少年の薄刃でした。
地面へと崩れ落ちかけた少女の体を抱きとめたのは少年の腕で、
その腕の優しさに戸惑う少女の耳元で少年はある言葉を囁きました。
今の少女にとっては余りにも残酷で、それでいて優しさに満ちた言葉を。
…少年の刃が胸に突き刺さる衝撃を感じながら薄れゆく意識の中で彼女は謝りました。
大切な三人の友人たちに、共に戦った仲間たちに、尊敬する上官たちに、…なにより自分の両親に。
そして彼女は呪いました。
自分や多くの人々の幸せを粉々に壊した少年を。
そしてなにより、彼を殺せなかった上に…
彼の最後の「愛しているよ」という囁きに僅かながらでも喜びを覚えた、どうかしているとしか思えない自分自身を。


大地を揺るがす無数の地響きが最後の壁を潜り抜けて人間の領土を侵していく。
泣き叫んだり逃げ惑ったり、あるいは笑い声を上げている人間たちを掴んでは腹の中に納めていく巨人たちを壁の上から眺めながら、僕は彼女のことを想っていた。
自分と同期の兵士だった彼女。殺すべき壁内人類の一人だった彼女。そして誰よりも愛しい彼女。
その顔や透き通った声、身体の感触や匂いは今でも鮮明に思い出すことができる。
『お前は本当に…それで良かったのか?』
ライナーがさっき苦々しい口調でそう問いかけてきたけれど、僕自身に後悔はない。…あるはずがない。
彼女が笑ったり、喜んだりする姿も勿論素敵だったけれど…
苦しみ、怒り、憎しみ…そして悲しみにまみれた彼女もとても綺麗だったのだから。
それらすべての感情は、全て僕がきっかけでありまた他ならぬ僕自身に向けられたものだったのだから。
何より…そんな愛しい彼女の全てを手に入れられたのだから。
「さ、行こうか。…ナマエ。」
彼女の血にまみれた手で、彼女が詰まった腹を撫でて僕は壁内へと進んでいく巨人たちに背を向けた。
未だに口の中に残る、彼女の血肉の甘さを愉しみながら。




…「独占」ってこういうことだよね?



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