「りーおー」
「あ、姉ちゃん」


友達と別れて家へと続いている坂道を登っている途中、やけに間延びした俺の名前が後ろから聞こえてきた。押していたチャリを止め、練習で疲れた重い体を捻る。ふわふわした金髪が見えた。やっぱり姉ちゃんだった。

姉ちゃんはこの坂を立ちこぎで登っていて、たまに左右に揺れながらもしっかりとペダルを踏みしめていた。そしていかにも疲れたような表情を浮かべながらこいでいる。俺から1メートル手前でいきなり減速し、チャリを右に傾けて足を離した。


「おつかれ、姉ちゃん」
「ど、どんなもんよ。あたしだってこの坂、登れるんだから」
「頑張ったねえ」
「うん、ありがとう」


風のせいで前髪がめくれあがり、下の髪が少しだけ汗で濡れている。汗を手のひらでぬぐい、俺の隣に並ぶ。俺も止めていた足を再び動かした。


「今日も図書館で勉強してたの?」
「うん。図書館、涼しいし静かだしね」
「へえ、珍しいね」
「そうかなあ、なんで?」
「だって図書館の人、姉ちゃん嫌いじゃん」
「嫌いだけど…今日は兄ちゃん帰ってくるって言ってたし」
「……そうだったっけ」
「おまえの頭のなかは野球のサインだけか、このやろう!」
「ち、違うってばあ!もっといっぱいつまってる!」
「何、例えばなに」
「な、何って言われても…今日の授業の内容、とか?」
「睡眠学習がよくいう!」


バシン、と容赦無く背中を叩かれた。図星だけど、ちょっとは優しく言ってほしい。こういうとこは兄ちゃんと同じだ。

姉ちゃんは今三年生で、和サンと同じクラス。たまに和サンから姉ちゃんの話を聞いたりするけど、家での姉ちゃんとは違って学校ではかなり優等生らしい。でも和サンは姉ちゃんの本性を見抜いていたらしく、「みょうじはギャップがスゴい」とか言ってた。
確かに、姉ちゃんは自分の世界に入ると完全にその世界の住人になっちゃう人だ。ご飯のときだって、姉ちゃんの肩を叩かないと気付かないくらい。


「兄ちゃん、すぐ帰るんだっけ?」
「帰ってほしい、かな?願望だよ、願望」
「兄ちゃんさ、俺の顔見るとイロイロ言ってくるんだよねえ…」
「それは多分、りおーがキャッチャーしてるからだよ」
「だって野球楽しいもん!」
「あー、はいはい。別に否定した訳じゃないって」


そりゃ、俺は和サンよりもヘタだし、準サンをうまくサポートできない。できないから毎日たくさん練習して、監督に怒られて、努力してるつもりだ。ARCとか千朶に負けないくらい練習してる。兄ちゃんだって、それくらい練習してたはずだ。

いったん口に出したら思い出してしまった。しかもずっとこびりついて離れない。


「りーお、!」
「いっ…!」
「何不貞腐れてんの?怒った?」
「怒ってないけど…」
「まあ、りおーはアレだよ。ホラ、なんだっけ、客席まで打つ人のこと」
「ホームラン?」
「そうそう、ホームラン。りおーは背高いんだから、ホームランバッター?っていうんだっけ?ソレになれるって」


姉ちゃんは頭いいけど野球はそんなに知らない。「犠打」の意味も最近知ったくらいだ。そんな姉ちゃんが、俺を励まそうとして必死になってる。頭を悩ませながら、あまり知識のないものを必死になって考えて。
ふと、隣を歩く姉ちゃんを見た。俺と同じ癖っ毛が歩くたびにふわふわと上下に揺れている。
姉ちゃんは志望する大学に合格するまで髪を切らないと言っていた。確か、二年生の二学期頃決めた。行きたい大学も国立だし、桐青からその大学にいった人は聞いたことがない。兄ちゃんも「無理だ」と言ってた。兄ちゃんがそう言った次の日には、赤本が一冊増えていた。


「…」
「…」
「ゴメン、野球全然知らなくて」
「……姉ちゃん」
「うん?」
「姉ちゃんが大学に受かって、車の免許取ったら、最初に助手席に乗るの俺だからね」


ちょっと恥ずかしくて姉ちゃんの顔見れなかった。けど、少し間が開いてから急に髪の毛をかき混ぜられた。部活してぐちゃぐちゃになった髪の毛がもっとぐちゃぐちゃになった。手を払い退けて腕の間からちらりと見えた姉ちゃんの顔は、勉強して疲れた顔を一切見せていなかった。




20130831 柳



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