小さな段差ですら足を上げるのが億劫になるくらい身体を酷使した訓練が終わると、何でこんなにもほっとした気持ちになるのだろう。嗚呼、やっと今日が終わった、という気分になる。本当はこれからなのだが、まずは訓練中に脱落したり死なないことが大前提なのだ。そして今日も生き残れた。今日も暖かいベッドで眠れる。それだけが頭を占めていた。


「おい、零すなよ」
「え、あ、うん」


夕食の時間。皆この時間が一番落ち着けるとあってか、騒がしくない程度に賑やかな食堂。その一角の席で、私は幼馴染のジャンとジャンの親友であるマルコと共に夕食をとっていた。向かい側に座るジャンとマルコは今日がどうだったかを話している。訓練の結果、反省、他の訓練生(主にエレン中心)の揶揄めいた話で盛り上がっていた。

一方の私は、その二人の話を頷きながら聴いているだけ。なかなか進まない手元と夢と現実の間で揺れ動く意識。煮崩れしているじゃがいものシチューの味も口に入れるがよく分からない。
だんだん手元に意識が行かなくなって視界が暗くなってきたとき、いきなり耳に響いたジャンの一言で急に目の前が明るくなる。ハッと手元を見ると傾いているスプーン、掬ったシチューが皿へと戻っている。そこで漸く自分が今寝ていたことに気づいたのだ。


「食うか寝るかどっちかにしろよ」
「うん、ごめん」
「今日は早く寝たほうがいいよ、なまえ」
「ありがとう、マルコ」


眉間に皺を寄せて水を飲むジャンと、苦笑いしながら注意するマルコ。二人から同時に注意を受けたのだから、相当危なかったのだろう。今度こそ寝まいと意気込んで再びスプーンを手に取った。


「…ジャン」
「あ?」
「お腹減ってない?」
「腹?別に今食ってるし、そんなでもねえけど」
「もし、良かったら私のパン、食べない?」
「はあ?」


一口、また一口とシチューを口に入れていくたびに私の腹から空腹の感覚が消えていく。いつもなら普通に食べられる量にも関わらず、お腹は八分目まできている。きっと疲れから来るものなのだろう。今日の立体起動訓練の過酷さは今までのなかでも抜きん出て過酷で、この偉容な身体のだるさはそこからきているに違いない。お腹を満たすことよりも床に入ることを身体が優先しているのだ。
お皿の上にあるパンをジャンに差し出す。男の子だし、ジャンならきっと食べられるだろう。捨てるより全然良い。

けれどジャンは私のパンを受け取ろうとしない。それどころか冷たい目で私を見るのだ。手元のパンと私を交互に見比べ、鋭い目線で私を睨み付ける。その目線があまりに鋭くて、思わず冷や汗が一筋流れた。
長い沈黙のなか、ジャンは嘆息をついてテーブルに肘をついた。握っていたスプーンを一旦置き、「あのな」と溜め息混じりに話を切り出す。


「お前な、疲れてるのは分かってるけど、それくらい食えよ」
「…だって」
「あのなあ、俺らは毎日死ぬほど訓練してんだ。働かずにな。意味分かってんのか?」
「…うん、」
「分かってねえ。俺らが食ってるのは俺らのために作物作っている奴らがいるからだ。そいつらの口に入らねえのに、だ」
「…」
「食えよ。第一、元から体力ねえお前が食わなきゃ明日にでも死ぬぞ」


ジャンの言うことは正論だった。
私は元から自慢できる程体力を持ち合わせていない。ジャンの言う通り、しっかり食べてしっかり寝て体力をつけなければ直ぐにでも巨人に食べられてしまう。
頭では分かっているのにどうしてもこのパンが食べられない。手を引っ込めたが口に持っていくまでには至らない。

ただぼうとパンを眺めているだけの私に痺れをきらしたジャンは、いきなり私のパンを奪ったのだ。手元から消えたパンとマルコの制止する声。ジャンは先程と変わらない顔で私を見ている。そしてジャンは、そのパンを二つに分けたのだった。


「食えよ。半分なら食えるだろ」
「…ん、」
「ったく…お前って昔からめんどくせえよなあ…。ほら、マルコ半分食え」
「え?食べていいの?」
「いいだろ。俺だってこんなにいらねえし」
「ジャン」
「…あ?」
「ジャン、ありがとう」
「……さっさと食えよ」


差し出された、半分のパン。先程よりも小さくなったパンとジャンを交互に見る。ジャンはもう半分を更に半分に分けてマルコへと手渡していた。二口で食べられそうなそのパンを、ジャンは何も言わずに口にいれる。 マルコも同じ様にシチューにつけてから口に運んでいた。

お礼を言って、半分のパンを一口齧る。パサパサしているそのパンはすぐに口のなかの水分を吸収してしまう。乾いた口を潤すように含んだシチュー。クリームよりじゃがいもが目立つシチューは口に出して美味しいとは言えない。それでも、僅かに感じた塩味が予想以上に美味しさを感じることができた。




20130726 柳




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