※男主人公
また今日は一段と機嫌が悪い。原因は殿、なのだろう。殿は本日高橋殿の屋敷に出向かれた。何やら大事な話がある、らしい。ギン千代様の表情が怒りで固定され、すっかり口を開かなくなってしまわれたのはそれを知ってからだ。
「……」
私は、何故ここにいるのだろうか。ギン千代様に呼ばれ、はて何時ものように手合わせだろうかと思えど座ったまま動かず、私にもどうしろなどと命は下らない。もしや謎掛け。ちらりとギン千代様の表情を窺うも、とても問答を行うそれには、見えないが。
「……」
「…なまえ」
「…はいっ!」
あまりに静かに、あまりに突然名を呼ばれたものだから返答が遅れる。このギン千代様の鋭い瞳はこれまで続いているものか今の私の反応に対するものか、しかし逸らしてしまえば何もしてはいないのに悪人になってしまいそうで。それだけは、勘弁。
「父上は、紹運殿に会いに行かれたらしい」
「…はい」
「立花に関わる重要な話をなさりに行かれたそうだ」
「……えっと」
「なまえ」
「はっ、はい!」
「高橋統虎という男を知っているか」
「へっ?あ、ああ、はい。よく、よく?存じ上げて、おります」
統虎殿。高橋殿のご嫡男であられる方だが、その統虎殿がどうしたというのだろう。殿は高橋殿の屋敷に、出向かれた。立花にとって大切な話を、高橋殿にお伝えするために。
「………」
「この城を任されたのは、私だ」
「…確かにギン千代様は、当主にございます」
「父上がそうお決めになって、皆も私を当主と認めているではないか」
「はい、それは勿論――…あ」
苛立ってもいるがこれは、悲しいのだ。寂しいのだ。男児に恵まれなかった殿はご自身の齢もお考えの上、ギン千代様を正式な当主となさった。私自身、殿にギン千代様によくよく仕えるようと仰せ付かった身。しかし家とは人が繋いで行くもの。途切れることなく手を取っていくためには現実問題、夫婦が必要で。
「父上は、高橋統虎を気に入っている」
「…成る程」
「あの男は常人ではない。私だってそれは認める、わざわざ難癖をつけようとは思わん」
「なれば奪うなどと、お考えには」
「わかっている。いるが、何故おいそれと譲らなければならんのだ。当主は私で、城の人間は私の部下で、それなのに」
女であるギン千代様が当主というのはやはり普通ではなく、それでも彼女は家名を誇りとして歩いてきた。その道に突然男が割って入り、手を引いていく。ギン千代様はその手に、背についていく。ギン千代様に従っていた者も何時かその背を頼りに歩きだす。ギン千代様越しではなく、自分自身の両眼で男の背を見るようになるのだろう。
「奪うという言葉が適切でないことは理解している。だが、だ」
「…悔しい」
「…ああ、悔しい」
「ギン千代様が促さずとも、皆が自然と統虎殿を慕うだろうと思うから」
「悔しい。私はあいつにはなれないし、私である以上、勝てなくなる」
女、と口にしないのは意地だろうか。ギン千代様は、ご自身を女とする前に一個とお考えになる。故に相手の性に対しての偏見を口にすることもない。統虎殿とギン千代様も、あくまで一個の人間同士。そうは思っても、横たわっているのは男である統虎殿と女であるギン千代様という答えなのだ。
「――それでも」
慰めなのどではなく、私が統虎殿を嫌っているのでもなく。私という人間に心のうちを明かしてくださったことは確かに嬉しかった。だから、だけが理由ではないのだが。
「たとえ統虎殿に及ばぬとしても、私の主は立花ギン千代様以外におりませぬ。…統虎殿に従わぬという意味ではありませんが」
「…あやすような顔で言うな、台無しだ。私は妹ではないのだからな」
何時か貴方様の口から統虎殿を仰ぐようにと命じられるその日まで、貴方様以外の兵にはなりません。なるはずが、ありません。
end.
20130614 むじ