「俺は隠してたつもりだったんだけどなあ」
「何年一緒にいるつもりなの」
「十数年で俺を全て知ったつもり?」
「不機嫌だね」
「まっさか見破られるなんてねー。自分に苛立ってるんだよ」


馬鹿だね、と言おうとしたがそれよりも先に「あーあ、俺のばーか」と言っていた。私に言われたくなかったのか、何なのか。今私と彼は家のベランダにいる。何故中に入らないのか私にはわからない、外に出ようと言ったのは彼だから。
景色、とは言っても見えるのは向かい側の古いアパート。洗濯物がちらほら。


「なんか面倒臭い」
「え?」
「色々とね、なまえには分からないよ」
「そうだね」
「あれ?今日は何も言わないんだ」
「気分じゃない」
「きっと明日は来ないね」
「意味分かんない」


半兵衛の言っている意味なんて端から分からない。今に始まったことではないので私は特に言葉を続けなかった。
ぴゅう、音をたてて風が横切っていく。少し肌寒かった。でも半兵衛は寒がる素振りを見せず、ぼおと外を眺めている。頬杖をついているせいか顔の表情はまるで不機嫌、いや実際の今の半兵衛かもね。


「けど、別に悲観してるわけじゃないよ」
「へえ」
「何、俺が悲しんでるとでも思ってた?」
「そんな柄じゃあないでしょ?」
「流石」
「ねえ、半兵衛」
「なに?」
「何かさ、したいこととかないの?」


このタイミングでこれを言うのは不謹慎かもしれない。だが私は聞きたくて堪らない、何故なのか私にも分からない。そして、目の前の彼があと十年後にはいないかもしれないというのに「悲哀」という文字が私の中には現れなかった。
すると半兵衛は頬杖をやめてベランダに背を向け、両肘を柵に乗せる。息をついてからゆるりと顔を私へと向ける。


「逆に、なまえにはないわけ?」


…ああ、半兵衛にするつもりが。これでは逆に私が私に問い出したようだ。
私は柵に腕を乗せてそこに顎を乗せた。少し考えるように唸ってみせるが既に答えは決まっている。焦らさず待つ半兵衛も既にあることは分かっているだろう…いや、もう答えも。


「官兵衛さんと毛利さんと、飲もうよ」
「いーねぇ、俺も絶対参加」
「ばーか、主役参加しないでどうしろってのよ」
「俺が主役なの?」
「じゃなかったら何な訳?」
「…ま、たまにはいいかもね」
「いつもは主役うんぬんじゃないからねえ」
「よし、官兵衛殿潰そっと」
「無理無理、絶対無理」
「速攻潰れるなまえが言える台詞じゃないよね」
「絶対潰れない」


からからと笑う私、半兵衛も一緒になって控えめに笑う。この時期には珍しい夕焼けが少し寂しく見えた。
そんな私と半兵衛の間に細く風が通っていった。


「Le vent se leve, il faut tenter de vivre.」


いつだったか聞いたその言葉がふと頭に過る。意味は、なんだったか。


「風たちぬ」より/堀辰雄

20120422 柳


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