※「愛撫」/ 梶井基次郎
「痛くない?」
「何が?」
無言の熱視線を感じると思えば漸くなまえが口を開いた。筆を止め言葉を返せば竹簡の端を叩く指、顔を上げろ、ということらしい。
「耳」
「耳?ちょっとなまえ」
私の手には筆が握られたまま、墨が衣に付く心配なんてしていないなまえは向かい側から身を乗り出し腕を伸ばす。言葉通り、狙いは耳だ。
「痛そうで。私はとても着けられない」
「…関係ないところを触っているように思うのだけれど」
なまえの指が私の耳をなぞる。あまりない感覚に背筋がむず痒いというか擽ったいというか、本来ならば私がなまえに与えるだろうそれが襲うのだから面白くはない。
下降する指は他者とは異なる部分に辿り着くと、気に入ったのかそもそもの疑問部だからか丹念に何度も何度も触って。…気持ちいいのだろうか、これは。
「押してみていい?」
「どうして」
「…気持ちいい」
「それはまあ、耳の中では一番柔らかい部分だしね」
「痛いの、押したら」
「さあ」
先程よりも強く感じるなまえの体温。余程この飾りが気になるらしく、視線はずっと耳に向けられている。ぐい、と。意味もなく引っ張る行為は相手をしてほしいということなのかな。
「痛い?」
「いいや」
「これは?」
「平気だね」
なまえに加虐趣味があったとは。引いたり軽く押したり、痛みはないけれど謎だ。私よりも単純ななまえの思考が、珍しく一つも読めない。
「郭嘉」
「何?」
「内緒話。耳貸して」
「……いいよ」
少しだけ髪を掻き上げる。近づくなまえとの距離、大人しく身を任せていると。
「いっ、」
「痛かった?」
「ああもう、何で噛むのかな。理解が出来ない」
「じゃあ、着けるときは痛かったんだ」
「知ってどうするの。それと、あまり綺麗なものではないと思うよ」
噛まれたその瞬間、歯が飾りに触れる音がした。
end.
20120517 むじ