※「瓶詰地獄」/ 夢野久作
※男主人公


忠勝殿のご息女である稲殿は、私よりも幾つか下。彼女とは私が初陣を迎えた後、自らをより高めるためとして忠勝殿に師事を請うたのが出会いだ。

父君のような武人となることを強く望み、時折私と手合わせをすることもあった彼女。手を抜くことをよしとせず、私にも常に全力を出すようにと繰り返していた。性差に加えて体格、年齢。全力を出したところで簡単に忠勝殿に払われてしまう私のように、稲殿の細い身体はすぐに地面に叩きつけられてしまう。それでよく、侍女に睨まれたものだ。


「すまぬが」
「まあ!ああ、これはみょうじ殿。忠勝様とお約束が?それとも姫様に呼ばれましたか」
「予てより、稲殿と手合わせの約束があったのだが。…暇はあるだろうか?」
「左様にございましたか。ですが、本日は召し物が届きまして。今みょうじ殿が見付かれば、平時以上に睨まれましょう」
「うむ…」


力に押される、ということは未だ曾てない。稲殿も、私を打ち負かすのではなく対等に立ち回れるような技を身につけたいと言っていた。故か今も手合わせは続いており――…まあそれも、今日限りで終わりを迎えそうだが。


「まだ細かい作業も残っておりますから、姫様は日がな一日お部屋かと思われます」

殿の養女となった稲殿は、近く真田に嫁ぐのだという。この婚姻によって徳川にも真田の力が加わることとなる。それに疑問などありはしないが、長く得物を合わせてきた稲殿が真田の妻となるという事実は、何とも奇妙な感覚を私の中に生み出した。

「なればせめて、私が来たとだけ伝えておいてくれ」
「畏まりました」


頭を垂れる女中。何か手紙を残すかと考え尋ねようとしたところ、一室の扉が開く。顔を覗かせたのは、化粧を施し髪を垂れたままにした稲殿だ。


「なまえ様!申し訳ございません、事前にお伝えしていればご足労を――…」


侍女に窘められたのか、室内に顔を向けた稲殿は頻りに頷いている。私との手合わせの後、真剣に忠勝殿の話を聞いていた少女もああしていたものだ。
その反応は確かに面影を宿しているというのに、目に映る稲殿は忠勝殿の娘ではなく一人の女性。ぼんやりと意識していたそれを目視した途端、私の中で稲殿を表す言葉が「真田の妻」へと形を変える。


「あのっ、なまえ様、改めてお詫び申し上げますので、」
「お気になさらず。
私も、改めてお祝いを申し上げに参ります」


見慣れたはずの笑顔でさえ、まるで知らぬ人ではないか。



end.

20120516 むじ


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