※『在りし日の歌』より 「一つのメルヘン」 / 中原中也


俺は、己の考えが間違っているとは思わない。俺が敬慕しているのは秀吉様であり家康ではないのだ。秀吉様が築いたものを、易々と奪われてなるものか。
あいつは秀吉様の世を守ることなど考えていない。秀頼君がご存命の今、あるべきは豊臣の世。取り立ててくださった秀吉様の御心を繋いでいく、それが生ある俺達の成すべきことだ。にも、拘わらず。


「…狸が」


恩義がありながら徳川に加勢する輩など知らん。裏切り者共の助けがなくとも、俺はやる。意固地と言われようが膝を折るつもりなどない。


「漸く化けの皮が剥がれたな、老獪め」
「悩みを秘めているの?」
「――…っ!?」


俺以外に気配はなかったはず(左近すら払ったというのに)、視界には女が座している石も入っていた。ならば何故、俺はこの女に気付かなかったのか。
染み込むような声も浮かぶ姿も、生者なのか死者なのか判断が付かない。鼓動を感じ、熱が宿っているはずの己の身体さえ生きているのか疑わしくなる。現世と来世の狭間に存在しているような感覚、だろうか。俺を見詰める瞳の色も、俺とは異なっている。


「迷いも後悔も感じないけれど、何か苦しいの?」
「苦しくなど」
「怖いの?頼みとしていた存在が失せてしまうことが。――…もう失せてしまった?」
「何者だ、貴様」
「貴方に会いに来たの」
「…話が通じているようには思えんな」
「言葉は解るわ。大丈夫」


緩やかに微笑む女の素性はわからない。見目には女だが、実は女ですらないのかもしれない。
大丈夫だと女は告げるが、返答が既に俺の言葉と噛み合っていないのだが。


「これから貴方が挑むのは、とても大きな力」
「だからどうした。俺は負けん」
「わかるの?」
「ここには、秀吉様の御心を守ろうとする人間がいる。志を共にした人間がな」
「…それは、貴方が嫌悪している人も同じではないかしら」
「何?」
「同じだけれど、力と才はまるで違う」
「そうであっても、俺は」
「素敵ね、怖いくらい。
だから貴方は美しく見える。貴方だけではなくて、息吹いている全てが。…全ては言いすぎかしら」


何かを抱き締めるように両の手を胸に当て、女は目を閉じる。吐き出されたその音は、全てを慈しむようだった。全て。俺を、家康を、秀吉様を。

畏怖するような美ならば、それこそ女自身がそうではないのか。水面に映る己を、他者の反応から己を、知ることくらい出来るだろうに。


「私は好きだわ。貴方が、とても」
「貴様は、何処から」
「利己にも思える心が。…何があっても貫き通して、三成様」
「一つくらい答え、」


間違いなく、俺は女を見ていた。長く目を閉じても、逸らしてもいなかった。
だが女は姿を消し、残っているのは女が座していたはずの石のみだ。


「――夢、だったのか?」


川の流れる音がする。
俺は川辺に、立っていただろうか。



end.

20130326 むじ


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