※『伊勢物語』六段「芥河」 / 作者未詳


竹筒を手渡すと興味深げに瞳が動く。「喉渇いたろ」。そのまま告げてやれば、にっこりと笑ったお姫様は謝辞と馬鹿丁寧なお辞儀を寄越した。漸く受け取るか。思うが、お姫様の手は半端なところで停止してしまって動かない。


「どうした?俺はまだ使っちゃいないが」
「そうではないのです。あの、笠が」
「ああ。お姫様さえよければ、俺が預かっとくさ」
「感謝致します、雑賀様」
「何もそんな、大仰にされることでも」


少し離れた位置に停めてある駕籠は、そこまで豪華な代物じゃない。依頼を受けたときから気付いちゃいたが、報酬は期待出来ないだろう。
輿入れする娘の護衛。俺が任されたのはそんな、家にとっては重要な事柄。受けるも受けないも俺次第、羽振りが悪かろうと受けたのは、今でも鮮明に思い描ける父親の顔が原因で。真っ直ぐに、純粋に娘を想っている姿を見せられちゃ、断る俺が悪者になっちまう(俺みたいな色男が悪者とか、普通になしだろ)。


「雑賀様は、雑賀衆の頭領でいらっしゃるのですよね?」
「へえ、お姫様でも知ってるのか。売れてるもんだな、俺も」
「雑賀衆は火縄銃を使い熟すのだとか。駕籠の番をしている方もでしたが、お持ちのそれが火縄銃にございますか?」
「何だ、さっきから興味ありげに見てたのはそれかよ。…持ってみるか?」
「よろしいのですか?」
「ああ」
「では―…」
「おいっ!危ないぜお姫様!!」
「えっ、」


持ちやすいように手渡したんだ、危険はない。だが何も知らないお姫様は疑うことなく俺の言葉を信じ、触れそうになった手を引っ込める。一瞬で不安に染まった表情は、無垢そのもの。


「冗談」
「…雑賀様、意地がお悪くいらっしゃいますのね」
「俺はまだ善良。ま、清らかなお姫様を騙したことは詫びとくが。…ほら」
「まあ、人を平気で騙す方は何人も?」
「そりゃな。重いから気をつけろよ」
「雑賀様はこれを常にお持ちなのですね…あ、」
「だから言ったろ、重いって。お姫様には無理だ」
「お手間をお掛けいたしまして。申し訳ございません、雑賀様」


「傷などついてはおりませんか」。紡がれた言葉は柔らかな響きを含んでいて、とてもじゃないが火縄銃なんて物は似合わない。戦を知らない手、知る必要のない手、と言えばいいのか。


「どうやって使うのですか?」
「お姫様には無縁だろ」
「ですが、気になります」
「重たいって言ってる人間が上手く扱えるのか?…ほら、そろそろ戻るぞ。無事に送り届けないと金にならないしな」
「あ、はい」


揺れる髪、お姫様なりに慌てて俺を追う姿。歩調を緩めるとまた「感謝致します」だ。思わず苦笑が零れちまう。


「雑賀様」
「何だ?」
「雑賀孫市とは、雑賀衆の頭領となった方が代々継ぐ名なのですよね?」
「そうだな」
「雑賀様のお名前は」
「銃の扱い方以上に必要ないだろ、それ」
「ですが…折角こうして、知り合えましたのに」
「なら旦那に売っといてくれ。そうしたら、また会うこともあるかもな」
「その時には、教えてくださいますか?」
「気が向いたらな」




それから幾年。ずっと美しくなったお姫様はどう見ても幸せそうで、感傷を覚えることすら馬鹿らしく思えた。



end.

20120314 むじ


- ナノ -