ちら、ちら、瞼の裏に映る白い光に気付いた時、それまで浸っていた夢の内容は全て忘れてしまった。目は開かないが体はもう起きている、だが起きる気にはどうしてもなれない。柔らかく温い毛布、羽毛の入った枕は私のお気に入り、そして。


「……?」


ふと、感じる温かさがない。薄く目を開けて背中へと向けたが何もない、ベッドには私しかいないようだ。きっともう朝御飯を作っているのだろう、あの人はとても主夫っぽいところがある、現に私よりもご飯は美味しい(私が大雑把なだけだが)。
サイドテーブルにある目覚まし時計は八時十分を差している。遅刻、と思って体をあげたが今日は生憎の日曜日。力が抜けて再び枕へダイブする。


「起きてんだったら早く起きろっての」
「……安眠中、起こ」
「はい、おはようございます」


バサッと毛布が剥ぎ取られ冷気が私を包み込む。「うぎゃー」と悲鳴をあげるが彼は非情にも再び毛布を掛けようとはしない。
蕎麦やうどんのようにキュッと引き締められた私の体、仕方無くむくりと体をあげると何とも言えないふんわりとしたいい匂いが鼻孔を擽っている。今日はトーストだ。
ボサボサの髪を整えながらリビングへと行くと既にメイキングは終わっていた。向かい合うように敷かれたテーブルクロスの上にはこんがり狐色のトースト、マグカップにはカップスープ、小瓶に入っているのは凌統が昨日作って一晩寝かせたイチゴジャム、あの小瓶は私が自由が丘の雑貨屋で見つけたもの。
椅子に座ると丁度凌統がケトルを持ってキッチンから出てくるところで、結んでいない髪一本一本が綺麗に揺れていた。髪長くなったなあ。


「ジャム美味しそう」
「多分旨いよ」
「甘い?」
「甘酸っぱい」
「本当?」
「本当」


甘め、より甘酸っぱめが好きな私は(凌統には大差無いらしい)凌統の作るジャムが好き。スーパーに売っているジャムは甘過ぎて水をたくさん飲んでしまう、だが凌統ジャムはイチゴがゴロゴロとあって砂糖も然程入っていないから素朴な味。あれだ、町のケーキ屋さんとかに使ってもらったら注文が殺到してしまう、ジャムで稼げてしまう、いや工場が建ってしまう。
私は早速ジャムをたっぷりとパンに塗って一口。口に入った瞬間イチゴの酸っぱさで顎の奥がきゅーっとなり、一気に体全体にスイッチが入ったみたい。味見したときよりも若干固くなってしまったイチゴだが全然、スプーンで押したら簡単に潰れてしまう。最近は果物が高いのにこんなことをしてくれる凌統は優しい同居人世界大会一位だ。愛妻家のジョニー・デップですら高いイチゴを買ってジャムは作らないだろう。
うん、うん、と噛み締めていると「気に入ってくれた?」と笑い混じりの声が。


「食べた瞬間酸っぱくてミッフィーになった」
「酸っぱい?」
「ううん、これくらいが良いよ」
「俺もこのくらいが丁度良い。あまり甘過ぎるのは好きじゃないからさ」
「わざわざありがとう」
「いや、いいよ。俺も食べたいって思っていたし」


優しく細められたタレ目、口角が上がり笑みを浮かべながらジャムを塗っている。
「ねえ」、凌統を呼ぶ。「ん?」と顔をあげて私を見る凌統に思わず笑ってしまった。だって唇の端に、


「ここ、ジャム付いてる」
「嘘…うわ、本当だ」
「可愛かったのに」
「可愛いとか言われても嬉しくないっつの」
「何で?誉め言葉なのに」
「じゃあもしなまえは男らしいって言われたらどうする?」
「取り敢えず「女です」って言う」
「なら俺も「男だから」って言う」
「あれ、なんの話だったっけ?」
「……何だっけ」


こんな風にぐだぐだと話すことも最近は少なかった。お互い大学だったりバイトだったり、少しでも稼ぎたいってお互いに言っていたし時間も余っている訳じゃない。
だからこうやって話することも随分と久し振りな感じがしてならない、多分凌統も同じことを思っているだろう。


「ご馳走さまです」


ぱちりと合掌し感謝を捧げる、さらりと胃袋へ収まっていった朝御飯達へ。食器類いのものは洗浄機が頑張って働いてくれているなかでゆらりと私は窓際へ歩み寄った。
凄く良い天気。


「…」


澄みきった空、陽の光は温度は感じなくとも温かみは感じれる、今日は絶賛洗濯日和だ。思わず窓を開けると陽の光に反して風が悲しくなるくらい冷たい。チルドルームにいる肉の気分だ。深呼吸したくなって開けた窓だが直ぐにぴしゃりと閉めてしまう、こんな寒いなかで深呼吸したら瞬間冷凍だ、外部だけじゃない内部にも冷気が押し寄せてそのまま冷凍マンモスよろしくな永久凍土だ。
「おー寒い」と言いながら二の腕を擦っているといきなり腹に圧迫。状況が把握出来ないまま私の体は倒れていってしまう、ばふんとバウンドして視界には縦に長く伸びた空が見え、お向かいのアンテナが横から生えているように見える。あれれ、と数回瞬きをして状況把握に脳味噌フル稼働。


「なまえ」
「凌統さーん」
「いい天気だ」
「そうですねえ」
「寒かった?」
「寒かったです」
「なら明日も晴れだね」
「いつから天気予報士になったんですか」
「てか、いつまで敬語?」
「あ、そうだった、この状況について説明を」
「今さら」
「今さらだね」


思わず笑いが込み上げる。腹を圧迫していたのは逞しい二本の腕、倒れた先はシーツがしわしわになったベッド、頭上から声がすると言うことは凌統は私より頭一つ分背が高いってことで。
可笑しくて喉の奥で笑うのも限界がきた。「ふふふふっ」と笑っていたら気持ち悪いと一蹴されてしまう、でも凌統もまんざらではないようだ。


「背中があったかい」
「上半身があったかい」
「凌統のニオイがする」
「…変態みたいに聞こえるけど」
「ノット変態」
「ま、俺も似たような感じだけどね」
「凌統変態」
「変態じゃないっつの」
「ね、今日何するの?」
「取り敢えず洗濯」
「手伝いまーす」
「それから掃除」
「応援しまーす」
「なまえ、今日の夕飯何がいい?」
「肉!」
「じゃあ掃除」
「……はい」
「あとは買い物。ガソリン入れなきゃいけないし」
「銀行行ってお金出さないとだね」
「予定あるね」
「キツキツですね」
「そんなに余裕ないってのが残念」
「日曜日なのに」
「バイトは?」
「ないよ」
「俺も」


「バイトないのに暇もないね」と言ったらいつもだろ?と返ってくる。
でもこんな休みも悪くはない。一日一緒にいるなんて、一人で密かに幸せを噛み締めていた。
すると凌統がもぞりと動いた。腕に力を入れて引き寄せ、私の頭にも感触、「はあ」と息をつくとその息が首筋に当たって擽ったい。


「擽ったいよ」
「動きたくない」
「私も」
「動きたくない」
「じゃあこうしてます?」
「いや、することはしないと」
「真面目ー」


よし、と気合いを入れた凌統(耳に近かったから一瞬何も聞こえなくなった)。起きるー起きるー言ってるが一向に起き上がろうとはしない。くすりと笑った。
窓の外では弓形の電線が風に揺られていて雀は下から上へと上っていく、町全体が目を覚ますなか、私は将来もこのように続くだろうとふと思った。そしてそう遠くない未来に、私達は。


20120304 柳


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