「小太郎は、父上が身罷られたらどうするのですか?」
「恐ろしい事を口にする娘だ。うぬは、父親に死んでほしいのか?」
「違います。わかっているのにそのような、意地が悪いですよ、小太郎」
「冗談が通じぬ。うぬは少し、頭を柔らかくすべきだな」


目の前で笑う小太郎の人相の悪さに勝てる人物を私は知らない。そうは言っても、北条から離れたことなどない身。私が知る人間というのはごく僅かだから、私の夫となる方が小太郎を簡単に越えてしまう可能性も、あるのか。


「…その度に小太郎を思い出すのは、嫌ですね」
「何の話をしている?」
「いいえ。それで、先程の問いですが」
「氏康が死んだら。……ふむ」


瞳を細めた小太郎は、癖なのか腕を組んだまま考えているらしい。
父上はこの頃、ご自分が世を去った後のお話をなさる。私や兄上に、「俺が安心して死ねるようにしやがれ」などとおっしゃる。戦死、病死。そのような事態に見舞われない限り、私達が父上よりも長く生きるのは当然のこと。だからこそ思うのだ。父上が幼少の頃より傍にいたという小太郎は、どうするのかと。


「さて、どうだろうな。
我が契約を交わしたのは氏康だ。うぬらではない」
「北条を去る、と?」
「さて」
「小太郎」
「なまえ、近く嫁ぐうぬも、北条の人間ではなくなるではないか」
「…それは、そうですが」
「……クク…」

簡単に消え入ってしまいそうな笑声。北条の人間ではない私に教える義理は、ないということだろうか。
表情を窺っても小太郎の考えを読めるはずもなく、不快感というのか寂しさというのか、不可思議な感情が私の中で渦巻く。小太郎の行方。父上は、ご存知なのか。

「何です」
「氏康の死後、我は自由。好きにさせてもらう」
「今も自由では?」
「氏康の、北条の命にも従わぬということだ」
「小太郎は小太郎なのですね、やはり」


小太郎が命に従ったことがあったかと思うが、私の与り知らぬところで父上の忍として働いていたのだろうか。そもそも、命を受けたら従えという契約だったのかさえ謎。あまりに奔放な小太郎が、それを容認する父上が理解出来ず尋ねた時分も、契約の内容を聞き出すことは出来なかった。
私は二人の繋がりを知らない。寧ろ、一生知ることはないのだと思う。


「が、暇は困る。故になまえを守るとしよう」
「…何を言っているのです。混沌などありはしないでしょう」
「疑うか、なまえ」
「小太郎ですから」
「悲しいな、なまえが意地悪をする」
「意地悪…」


小太郎にはあまりに似合わぬ言葉。さめざめと泣くような仕種までご丁寧に、溜息を吐けば、大して残念がってもいない彼が肩を揺らして私を見る。常々愉快そうで羨ましいことね、小太郎。


「ならば証明するとしよう。なまえが手を一つ打つ、必ず行く」
「…本当に?」
「ああ」


試せ。聞きやすい音を響かせた小太郎は、あっという間に姿を消した。試せとはつまり、小太郎が言ったように手を打てと。…仕方がない。ただ消えただけで、まだこの空間にいるのではないのか。そうも思うけれど、一つ。ぱん、と響いて暫くすると、風が私の髪を巻き上げた。


「守ったぞ?」
「今だけとも言えます。信ずるには足りません」
「何とも疑り深い。…ならば契約だ、なまえ」
「契約?…父上は」
「うぬが北条の人間でなくなり、氏康が没してから可能な契約。うぬが一打ちすれば、我が行く」
「事実か確かめるまで、随分と掛かります」
「うぬが死ぬまで有効だ」
「聞いていますか?小太郎」
「聞いている。…ああ酷い、なまえが我を信じてくれぬ」
「そうだからです」


何ていい笑顔。本当に楽しそうだこと。



end.

20120312 むじ


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