がたり、と外から聞こえた音。眠りが浅かったのか、普段ならば気付きもしないそれで目を覚ましてしまった。まだ夜明け前、朝餉の支度にやって来た子だろうか。加えて普段の私ならば再び眠りにつくだろうに、内に込み上げる好奇心が外へと誘う。

覗くだけ。冷えるだろうから羽織るものを。考えるうちに面倒になり、取り敢えず身体に掛けていたそれをそのまま引っ張ることにした。


「こんなに早くに来ているのね。驚いたわ」

口でそう言いながら、相手を驚かせるつもりで。つい緩んでしまう唇と弾みそうになる声を抑えるのは、思ったよりも苦労する。

「…誰もいないの?」


返事はない。
ここに働きに来ている人間ならば、主人に声を掛けられて無視をするはずがない。物音は人ではなく、獣であったのか。しかし、鳴き声が一つもしないというのはおかしな話である。…まさか。


「――…賊?」

手慣れていれば忍び込むなど易いこと、物音を立ててしまったのも想定内なのかもしれない。賊、ならば。とてもではないが、私一人では太刀打ち出来ない。ああ、何時も面倒を見てくれている子に死体として発見されてしまうのだろうか。

「…どうしましょう。何食わぬ顔で眠るなんて、あ!何か価値のありそうなものを持って――」
「なれば、そのまま立っておれ」
「…っ!?」


茂みから聞こえた声。身体を震わせる色気を含んだ音に、思わず胸を押さえてしまった。導かれるように固定された瞳は今か今かとその瞬間を待っている。


「わしはそなたに会いに来たのよ」
「わ、私に?…貴方は、」
「如何様な顔で眠るのか、興味があったが。ふむ。先手を打とうとしたわしを、袁紹が邪魔したか」
「えんしょう?袁、って、あの袁家の?」
「おお、豪語するだけはある。目を付けた女にも知られていようとは」


外套に包まれた身。頭まで深々と掛けたそれの影になり、この薄闇の中では顔の判別も出来ない。わかったのはただ、名門袁家の血筋、袁紹様のお知り合いということだけだ(まさか袁紹様もこちらにいらっしゃる予定で)。


「…賊、か。
確かに、そなたを狙っておるならば賊であろうな」
「何を、…貴方、袁紹様とはどういった」
「どう。友、とでも言うておけばよいか」
「名家の友人にしては品のない、」
「欲したものがあらば興味が尽きぬでな。況して袁紹と競うとなれば、格別に」


何故、人を呼ばないでいるのか。叫べば誰かしらやってくるかもしれないのだから、そうすればいい。このままでいたら妙な誤解を生んでしまうのに。


「なまえよ」
「っ、」
「わしは曹孟徳。
暫くすれば袁紹も訪ねに来よう。――…それまで」
「な、に」

顔がよく見えるようにと自らの手で外套を取る曹孟徳という男。曹。曹って確か。

「よく、この顔を覚えておけ。どちらがよいか、迷う必要もあるまい?」


ああ。
何と美しい瞳だろう。



end.

20120307 むじ


- ナノ -